月別アーカイブ: 2016年3月

情念

歯科医療の師匠である内藤正裕先生との出会いが

私の歯科医師としての方向性を決定づけしたことは間違いありません。

70をとうに過ぎた先生ですが、

未だに【情念の歯科医】で在り続けられて居られます。

困った時の【内藤頼み】は、

若い時分から変わらぬ未熟な弟子である事を自覚しています。

6月からの私の講習会の【案】の相談に、

【情念】を伝えて欲しいとの台詞の先生は

誠に的を得たものでした。

「21日の日曜日は1日を空けておきます。6時間かけて俺の情念のお復習を。」

で、

航空券の手配を直ぐにした私です。

【内藤節】は健在でありましょう。

私が【医師の裁量権】を重視するのも

師匠譲りです。

また、【情念の歯科医】であり続けたいとの想いも

師匠譲りです。

少数派

色々な方が、私のブログを読んで下さっている様です。

意外でした。

大勢の方が、メールを下さいます。

今日は何処其処へ行きましたとか、

何処其処の料理が美味しかったとか、

その様な認め方は、私の流儀に合いません。

その時々の私の感じたままに認めています。

善きにつけ悪しきにつけ、

私の個性の主張の場であると云う認識です。

皆から好かれようと云う考えは、私には全くありません。

人それぞれの感性が在りますので。

で、

面白いことがありました。

先日のブログに認めた

元タイガースのエースであった江夏投手の姿を美しいと云う記述に対して、

「以前、薬物中毒であった方を誉めるのか?」

と云うご意見を頂戴しました。

面白いですね。

法に反した行いは、決して誉められる行為ではありません。

が、

其れと、孤高のマウンドでの姿の美しさは別物であると云う

【分別】が、

反論ではありませんが、

その境界が大切だと想うのです。

私は芸人や政治家の異性問題を

世間がとやかく云うことに、違和感を感じています。

其れとコレは別物と云う【分別】。

私の考えは、少数派なのでしょうね。

 

教育

私の友人は嘗て、父親が恐くて恐くて堪らなかったそうな。

そう言う私も、彼との程度の違いは在れど、同じでした。

不条理とは?を認識させられるキッカケ的な存在が父親であり、

社会へと出でる準備.段階的経験が父親の存在だったと思います。

今どきは【イクメン】って云うんでしょう?

お母さんのような手当てをするお父さん。

昔の父親の子育ての所作と、

今どき求められる良いお父さんの姿には

大きな差異が在るようです。

カミナリ親父などは社会から抹殺されそうな状況です。

教師の求められる役割も、大きく変わったような気がします。

科目の勉強も大切ですが、

理屈通りには決して運ばない不条理、

決して納得できないけど渋渋と云う不条理から、

素直な気持ちを育む仕掛けをの教育が

益々に必要になる気がします。

意識

昨日の日曜日はマリリンをシャンプーし、

次いでアール爺さんをと思いきや、

テーブルの下や椅子の下へと逃げ廻られ

断念したのです。

で、時代劇三昧の1日を過ごしました。

時代劇ニュースと云うコーナーで、

海外の若手が時代劇造りに挑戦する様子が紹介されており、

興味深く、観いってしまいました。

アメリカ人の青年監督が、東映の照明監督に問う場面が。

「時代劇のセオリーって?」

「???セオリー?無い、無い!セオリーは壊すモノ!」

大いに共感させて頂きました。

時代劇を観るにしても、

ただ何となく観るのではなく、

カットへの配慮、

照明に於ける計算など、

工夫を感じとる【観る側の意識】が大切で、

コレは全てに通じることだと。

そう言う意味で、

【鬼平犯科帳】と【剣客商売】は、

何時観ても、何度観ても、

飽きさせない知恵を感じるのです。

 

習慣

明日の日曜日は休診日ですが、

何時もと同じ時刻に眼が覚める規則正しさ?が身に付いた習性を

恨めしく感じ、

でも、

何時もと同じ行動で朝の所作をこなし、

何時もの日曜日と同じように

時代劇チャンネルにて1日を過ごすのでしょう。

見飽きないのか?と、しばしば言われますが、

習慣になっていますので、

その様に考えたことはありません。

習慣とは、その様なモノだと思います。

融通の利かない処は、

誰しも何処かしら在るものだと思います。

で、先程

歯科技工士をコッテリ!と

絞りこんでいた私です。

若い時分のようなモノの言い方はしませんが、

丁寧に語気を荒げることなく、

でも、

ググッと。

多分、恐いと思います。

頭を使って、先の手順を観て、

器用に手を使うだけではなく、

頭を回転させて云々と。

どういう思考しながら作業したのかってなことは、

簡単に見抜けます。

決して怒りませんが、

恐い先生と言われる理由が在るのも、

よく観ている先生とも言われるのも、

【見抜きの能力】は、

仕事に於いては大事だと思います。

基本型を大切に、

決まりごとを造っているからこそ、

正常からの誤差を

瞬時に気づくのだと思います。

規則正しい生活習慣も、

この様な仕事柄から、

気をつけて、

時間をかけて

身に付いけたのだよ!と、

若い歯科医の先生方には

正直に暴露しているのです。

 

 

孤高のマウンド

息子から

「父ちゃんの文章ってアヤフヤで、皆にとって難解かも?」

そうかもしれません。

少年時代は野球全盛期でした。

川上監督率いる連戦全勝の巨人軍。

ミスタージャイアンツこと長嶋選手や王選手の居る巨人軍。

でも、

私はタイガースが好きでした。

4番の田淵選手に、エースの江夏投手の

縦縞のユニホームのタイガースが好きでした。

スポーツ選手らしからぬ肥満傾向の両選手への

野次の台詞も、

この傾向へのキツいモノだったと記憶しています。

爽やかさの演出においても、

巨人軍の方が上手であったと記憶しています。

が、

マウンドに立つ江夏投手は美しかった。

で、

口をへの字にしての重い投球姿は

タイガースのエースの凛々しさが在りました。

歯の仕事に就いて、ある時に、

当時の江夏投手のマウンドでの所作が、

脳裏に浮かぶようになりました。

孤高のマウンドに立つことの重圧を

私はしばしば感じています。

てな事を、徒然なるままに認めていますが、

また息子から、

何が言いたいのか判らないと

言われるんでしょうか。

【アヤフヤさ】や【間】を

私は大切にしています。

其れは、孤高で在らねばと云う意識下で

時間を過ごした私の知恵かもしれません。

 

自己主張

昨日のブログに認めた昭和56年度の、

【日本歯科大学の沿革】に、

多くの反響が在った様です。

多くの感想を頂きました。

で、其れならばモット強い【自己主張】の言葉を。

同じく昭和56年度の日本歯科大学入学案内の

【教育】の項での指針です。

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【教える者と教わる者の立場が、あくまでも厳然としてある】

【教育は、決して知識と技術の売り買いではない】

時代は変わった!と言われますが、

どちらが正常な考え方でしょうか?

今に生きる者は、今に併せる必要性も必須かもしれません。

が、

変わってはならないモノも在る筈です。

と云うモノの、

私は少数意見派である事も重々に承知しています。

大勢の流れに抗い、

自己主張を強くするか、

隠れるか、

判断すべき時も近いでしょう。

男子の本懐

ズーと昔の事です。

【男子の本懐】と云う小説に、

大いに感動した記憶があり、

数年に1度の程度にて、

頁を捲る私がいます。

また、

【山本五十六】贔屓の私です。

元帥の死亡診断書が公開された際に

多くの憶測を呼びました。

自死か銃死かの真意は判りません。

が、

椅子に座し、

汚れなき白手袋の両手で

剣の柄を確りと支えた姿で眠る元帥であったことは

紛れもない事実です。

仮に、

元帥在命で終戦を迎えたならば、

歴史に、【もしも】はありませんが、

恐らく東京裁判において、

絞首刑であった筈でしょうし、

身柄を拘束される前に、

阿南陸相のように割腹自決したで在りましょう。

【陽性】イメージ強い元帥ですが、

南方での名誉の戦死でなければ、

色彩は変わっていたかもしれません。

【あの世へも、で、この世にも未練云々、心は二つ、身はひとつ】

と云う、

元帥から旧友に宛てた名高い手紙を

コレもまた随分と前に眼にして、

私も共感できる処、大いに在り。

伊集院 静氏の作品での、

【人生には様々な坂が在るが~】

の名文に、大いに共感し。

其れは【男】でしか、

理解し得ない意味を味わうのです。

 

先の続き

人に話をする際には注意してと云う考え方には

大いに共感できます。

其れは【受けとる側】の様相により、

此方の意図とは違って伝わる可能性が在るとの

慎重さの為せる技である事ですから。

が、半面、

そうなんでしょうか?

【個性】と【普通】の境界について

矛盾しないのでしょうか?

【無難】と【チャレンジ】の境界について

矛盾しないのでしょうか?

【ニュースキャスター】と【評論家】の境界の【あやふやさ】に

違和感は無いのでしょうか?

【受けとる側】の正に教養の差を

加味されない【意見】に振り回される状況を

【ポピュリズム】って云うのではないのでしょうか?

【ポピュリズム】と【自主独立】の間には

大きな隔たりが在ります。

これ等を感じとるセンサーを育んでくれるのは、

読書と、それに裏付けされた経験だけだと

私は思っています。

 

書に親しむ意義

歯科医に成り立ての私が

歯科の【いろは】の手解きを受け始めた

大学院生の頃に、

既に準教授であった山口先生から、

最近、読書の話を伺います。

先生が大変な読書家である事を

最近、知ったのです。

また、

好む文体や作風においても、

相手を認めながら、

で、

自分の質との違いも感じつつ、

異なる趣に対して【敬意を払う】

心持ちを実感しています。

先生は中学生の頃に既に

大江健三郎氏の作品に親しんで居られたとの事。

恥ずかしながら、

私も高校生の時分に【大江作品】にチャレンジし、

【ちんぷんかんぷん】で、挫折した経緯がありましたので、

先生の話に、ジッと耳を傾けたのです。

また、

先生は太宰治が贔屓であるとの事。

此処に、

ヤット先生の独特のダンディズムの一端が、

ホンの少しだけ判ったような気がしたのです。

本に親しむ習慣ほど大切なモノはありません。

座学を否定してはなりません。

無限の創造力を育くみ、

知識の泉となり得る宝庫が、

読書です。

実体験の裏付けや、

判断の物差しになり得る意識を

育んでくれるのは、

読書です。

ですから、

親しむ本の種類や作風により、

読者側の【匂い】を感じる感覚器にも

なろうかと、思っています

読書離れが著しいと言われる昨今ですが、

時代だと云う一言で解決できる所作ではないと思います。

【過去を笑う者は、未来に泣く】

古代ローマ時代のシーザーの遺した台詞です。

情報過多のコレからの時代において、

尚更のこと、

古典を学ぶ必要性を感じます。

その上で、

現場に出でての多くの場数を、

思考しながら経験を重ねることが

本来の教養の身に付け方だと思います。

が、

知識と、知恵と、精神力とは

全く別物であることも

私は年齢を重ねて実感しています。

反省を繰り返す人生でありました。

これは、私個人で行う所作であります。

【考える人】で在り続けたいと思います。

【学ぶ】を続ける人で在りたいと思います。

と共に、

【自主独立】の人で在りたいと思います。

決して自分を誇張し観せる気持ちなどありません。

感じ方は、人それぞれ在ろうかと思います。

但し、人自身もそれぞれである事も事実です。