厚生労働省に対する法令遵守の姿勢は、
医療人としての・最低限度の医療倫理の表れでも・在ります。
ホームページ作成時には、
明確でなかった基準も現在・明確化されました。
それに伴って・私のホームページも・修正の必要が生じました。
基準について、私なりの意見も在りますが、
それは私の見解であり、
あくまでも・国の定めた基準に姿勢を正して沿うことが・
日本国から、歯科医師免許を交付された私の義務でも、在ります。
何処が変わったのか・来月からのホームページ。
注意して・ご覧下さい。
厚生労働省に対する法令遵守の姿勢は、
医療人としての・最低限度の医療倫理の表れでも・在ります。
ホームページ作成時には、
明確でなかった基準も現在・明確化されました。
それに伴って・私のホームページも・修正の必要が生じました。
基準について、私なりの意見も在りますが、
それは私の見解であり、
あくまでも・国の定めた基準に姿勢を正して沿うことが・
日本国から、歯科医師免許を交付された私の義務でも、在ります。
何処が変わったのか・来月からのホームページ。
注意して・ご覧下さい。
来週は・新潟です。
1日は、
ゆったりと夕食を摂ろうと・思っています。
鮨にしようか、焼き鳥にするか、割烹の方がと、
あれこれ思案するのです。
最近では駅前の方が賑やかですが、
私は古町が好きです。
新潟は古町、
古町・在っての新潟だと思います。
住んでいる人には・気づかないモノなのかも・しれません。
地元の人にこそ・古町を見直して頂きたいモノです。
このように・歯が根っ子だけになっている症例は、
土台を根っ子に刺して、
クラウン修復するしか・ありません。
が、
そのままの状態で修復治療したならば、
間違いなく・歯根破折するでしょう。
咬む力は強大です。
土台に応力が集中し、歯根破折が生じる訳です。
クラウン修復は、
健全な十分な量の歯質をクラウンが【包み込む】ことが大切です。
そのために、
歯周外科処置が必要です。
これで随分と歯が見えましたね。
クラウン修復の際の前準備は・さまざま在りますが、
歯根破折防止対策と・炎症抑制のために、
歯周外科処置が大切な役割を果たすのです。
後進に対する教育に関して、
大いに悩んでいます。
若いうちは、とかく技術の取得のみに走りがちです。
私も・そうでした。
しかし、
それでは次々と溢れるような情報に
振り回されてしまいがちになります。
治療は際して、
診断基準・治療基準が盤石でなければならないことに、
歳を経るたびに実感させられました。
【臨床的判断基準】と云う言葉で、
師匠から、しばしば教えを受けた若い時分を思い出すのです。
三枝っ・今日より明日・今年より来年、
【臨床的判断基準】の向上に努めなさい!
師匠から、しばしば言われた台詞です。
後進たちには、
同じように接している積もりですが、
何か違うような気持ちになります。
割り切れない・反応と云うことでしょうか。
時代と云う言葉では・解決できない何かを・感じています。
で、
最近では【馬鹿】に・おなりなさい。
自分を・歯科医学に埋没させなさい。
踊り狂うように・歯科医学に没頭して下さい。
そういう表現をするようになりました。
伝えることの・難しさを・しみじみ実感しています。
私のブログをアメブロからワードプレスに変えてから、
10年くらいでしょうか?
このブログで・3009本目に・なります。
筆まめと・言われます。
でも、
そうでは・ありません。
継続の実証だと・思っています。
私ら専門職は・自己修錬に努めることを・余儀なくされます。
自己修錬とは・研修会に行くことでは・ありません。
継続し・続けるこのだと思っています。
日本歯科大学の黒川院長から・しばしば。
三枝っ・継続っ!
遠くても・通い続けるンだぞっ!
新潟の・あまりの遠さに、
折れそうになる私を、
学生時代の恩師は・鞭打つのです。
弟子への・黒川院長の情熱に圧倒されます。
私の本業は、文筆家では、ありません。
本業の傍ら、
ブログを認めています。
ですから、
3009本のエネルギーの・数万倍・
私は歯科治療に精を出しています。
継続こそ【力】。
今・黒川院長の台詞の意味がズシンと。
昨日は、
今年に入って初めての完全オフの日でした。
寝ました・寝ました!
食事以外は、
ズッとベットで横になって、
映画を流しつつ・ウトウトと。
携帯電話も車に置いて、
外界から完全にシャットアウト。
で、
夜の9時過ぎに、
電話を貰っていた都内で勤務の後輩歯科医師に
折り返しの電話を入れたのです。
若い歯科医師の悩みを・聴いていました。
真面目に歯科医学に取り組む・この後輩歯科医師は、
私の後輩に当たります。
今年になって・知り合いました。
押し潰されるほどのプレッシャーから、
成長することを・経験上・学びました。
私も、日々・自分との戦いの連続であると。
先生でも?
ビックリして・いました。
プレッシャーが私のエネルギー源であることを伝えました。
プレッシャーが私の【五感】を磨くのだと。
【五感】から【第六感】が生まれることを・伝えました。
【五感】は、【情熱】から生まれるのだと・伝えました。
【自我】を棄てて・初めて・【医療人】になれることを・伝えました。
良い歯科医師に育ってくれればと、
私も・そんな歳になったのですね。
昨日の夕刻から・ある会合へ。
で、
私は・ますます、
浮いている自分を実感させられたのです。
私は【歯のプロフェッショナル】であることに、
徹してきました。
また、
【歯のプロフェッショナル】になろうと、
若い時分から、
自己修錬に努めてきました。
また、
どのようにしたら、
患者さんに安心感を与えられるのかを、
ズッと、
考えながら、
本来の自分を制御し、
演じることに努めてきました。
その結果、
今の仕事の成果を得るに至ったのです。
なにかあれば、
私だから・できるんだと、
何事もないように・言われます。
そのような時に、
内心で、
私は憤慨するのです。
【歯科治療は愛の仕事である】
内村鑑三の言葉です。
日本の聖書の普及に尽力した氏は、
札幌農学校のクラーク博士の弟子です。
氏が
長野県で、歯科疾患にて床に倒れた際に、
地元の歯科関係者の尽力によって、
回復した後に、
残した言葉です。
当時は、
抗生物質が普及していなかったことと、
虫歯による細菌感染からの・顎骨髄炎にて命を落とす人も多かったのです。
【歯科治療は愛の仕事である】
この言葉がズッと私の・ど真ん中に在りました。
歯科医師としての結果を出すことの・引き換えに、
私は世間一般から・外れてゆく自分を感じています。
私の患者さんが仰います。
だからこそ、
私たちは・此処に来るんですよと。
私の1番弟子である、
東京都吉祥寺開業の小出明歯科医師からの
電話が鳴り響きます。
早朝です。
???
先生、台風、天候は?
飛行機・飛びそうですか?
あぁ・そうだった。
今日はA子さんの学校見学の日だったな。
A子さんは現在、
高松市の歯科医院にて歯科助手をしている
20を少しばかり過ぎた女性です。
ある時、
私の診療所を訪ねて来られました。
先生ところで・勤めたい。
ゆっくりと面談した結果、
私は即座に申し上げました。
あなたは・まだまだ若い。
将来をジックリと・お考えなさい。
歯科助手で・一生涯を?
歯科助手も大切な仕事ですが、
あなたは・もっと考えて欲しい。
歯科衛生士におなりなさい。
学校へ進学なさい。
その上で、
私は受け入れましょう。
その後のA子さん。
昼間の歯科医院の勤務の傍ら、
夜は居酒屋でアルバイト。
歯科衛生士学校へ進学する資金調達のためだと聞き、
私の視る眼は正しかったと。
そのくらいの【覚悟】がなければ、
医療人には・なれないと、
私は考えています。
その話しを、
小出明歯科医師にした処、
先生、私がお引き受けします!
東京には夜間の歯科衛生士学校があります。
昼はウチで勤務して頂いたなら、
修学期間中の生活費は大丈夫でしょう。
住居も私が面倒みます。
今どき・珍しい良い話しでしょう?
歯科衛生士は歯科医療には・欠かせない・存在です。
しかしながら、
私の眼に適う歯科衛生士は数少ないのです。
専門技術の向上に努める歯科衛生士は数多くいます。
スキルを磨く努力に日々を過ごす歯科衛生士も、
大勢・視てきました。
しかしながら、
医療人としての【職責】について、
自問自答する歯科衛生士は数少ないと、
看護師と歯科衛生士の違いについて、
考えさせられる事・たびたびでした。
そんなこと言うと、
大勢の歯科衛生士さんから反発を受けるかも・しれません。
看護師は厳しい環境のなか・奉仕の精神で、
スキルアップしなければなりません。
夜勤もあります。
患者さんの【死】にも・直面します。
亡骸のお世話をし、
送る手当ても・しなければなりません。
また、
看護学部の偏差値を考えると、
高校時代に、
そうとう勉学に勤しんでいたという実績は事実です。
歯科医学は・医学とは別の、
特殊性を持っています。
この特殊性に気づく歯科衛生士さんこそ、
プロフェッショナルの中のプロフェッショナルでしょう。
この辺のところを、
A子さんの面談の際に、
私の彼女の才能に気づいたのです。
小出明歯科医師の基で育てられ、
学校と現場を同一時期に経験できるA子さんは、
必ず一流の歯科衛生士に育って、
社会貢献して下さるでしょう。
おそらくA子さんは、学校を卒業されてから、
小出明歯科医師の基で、
最大の戦力となって、
都内で有数の歯科衛生士になるでしょう。
私の診療所を訪ねて来られた若い方が、
将来への転換点になってくれること。
それも、
私しか・できない仕事だと・思っています。
今まで多くの人との関わりから、
生き方の物指しと云うモノを実感するのです。
その物指しの違いから、
見えるモノも、
違って視えると云うことも・学びました。
視えたモノを、
どう受け取るかという・判断基準の違いも、
どのように・考えてきたのか・の違いから、
変わって来ることも・学びました。
その結果、
どのような・行動をとるのか・
それも、
それぞれの・生き方から変わってきます。
正しい、正しくない・と云う評価を、
気にすることは・ない・
と、
私は考えています。
批判に対する行動については、
私は・相手によって・変えています。
そのような物指しを、
私は歯科医学の臨床から・学びました。
インプラント治療の出現が、
歯科治療の普遍に【一石】を投じました。
四半世紀も経ても、
未だに、
歯科界は、
この恐竜の出現を十分に消化できていない模様です・
ソコに、
CAD/CAMと光学印象と云う
デジタル化の恐竜が押し寄せて来ています。
ですから、
あえて私は、
【古典】に還ることを頑なに守っているのです。
歯科保存学的見地からは、
感染防止と歯質保全を第1とし、
炎症のコントロールに徹底すること。
歯科補綴学的見地からは、
顎位の安定のために・咀嚼運動の垂直化に努め、
力のコントロールに徹すること。
歯科技工学的見地からは、
徹底的な精密化に努めること。
その【物指し】を
頭の・ど真ん中に留めていれば、
溢れる情報に・振り回されることは・ありません。
また、
生き方の【物指し】を、
私は【聖書】に還ることに・した訳です。
何事においても、
【自分】を見失うことがないように。
その【自分】造りに、
仕事が在るんだと・考えています。