月別アーカイブ: 2020年1月

徒弟制度

働き方改革だか、

子どもの人権だか、

私には・難しいことは、

判りません。

が、

確実に、

職人仕事全般において、

レベルが低下していると・思いませんか?

仕事の出来・不出来よりも、

値段が安けりゃ良いって、

そういう物指しでのご判断なさる方は、

お気づきに・ならないかもしれません。

職人仕事って、

ソレなりのスタートラインに立てるのが、

門を叩いて10年目くらい・じゃないでしょうか?

その間は、

師匠から罵倒される連続ってのが、

普通だと思っていた私は、

今の時代では、

大間違い。

でも、

厳しい師匠についた方って、

見たら・直ぐに判ります。

逆も・同様です。

本当に良い方向に・行ってるんでしょうか?

私は技術職に関してだけは、

徒弟制度の導入が必要だと・思います。

ただ、

そんなことしたら、

入って来る若者が居なくなるって・意見もありますが、

若者は・馬鹿では・ありません。

厳しい修業の向こう側には、

達成感と、

自信が持て、

確実に、

食って行けることにも、

気づいていると・思いますよ。

歯科医院

私は商家の出ですから、

歯科医師のご子息の多い・歯科医師の世界が、

あまり・馴染まないと言えば・ヘンですが、

そういう処から、

変人・奇人扱いされるノかも・しれません。

私は歯科医師と言う仕事を、

完全に【職人仕事】だと・思っています。

インテリなんぞ・思ったことも・ありません。

ですから、

知識階級だなんて、

とても・とても。

エリートなぞ・もってのほか。

私は歯科医師と言う仕事を、

感性と技の仕事だと・考えています。

理屈より・手先。

エビデンスより・私の勘。

そう断言できるのも、

身体を張って、

職人仕事に徹してきたからだと・思います。

料理屋選びにしても、

食べログって・言うんですか。

そんな誰が評価したのか・知りませんが、

人様が商いしている店を、

素人の方が・星をつけるってのには、

野暮天って・言葉しか・思い当たらないのです。

善い店ってのは、

玄関口の前に立てば、

判るモンです。

少なくとも、

私の歳くらいになった男であれば、

そういう匂いは・判るモンです。

歯科医院も・ある意味・料理屋みたいな処があります。

私は・その辺に随分と気を遣っています。

私の修復材料の選択基準

最近の私どもの研究論文には、

歯根破折を取りあげたモノが数編・あります。

歯根破折の原因は単純では・なく、

さまざまな条件が重なって、

この不幸な結果を招きます。

歯根破折への研究は・どんどん進めますし、

その結果は、

英文論文誌ではありますが、

順次・報告させて頂きます。

ただ一言。

修復治療という複雑な治療は、

さまざまなステップを踏んで、

進行するわけですが、

そのステップ毎の操作が、

正確であるか・否か、が、

歯根破折の

有無に大きな影響を及ぼすと・私は考えます。

例えば、

フルジルコニア・クラウン修復。

ソレなりの仕事で、

名を馳せる歯科医師で、

私の知る限りは、

日常臨床では・お使いになって居られないようです。

ジルコニア単体の理工学的性質についても、

私は・講義できるほど・熟知しています。

ソレは、

あくまでも実験値でしか・ないのです。

自動車が、

納車の時が・1番きれいで、

10年、20年経過すれば、

どのような変化を生じるのか。

一般の方でも・お判りでしょう。

ジルコニアの表面性状・粗さ。

酸・アルカリ環境下、

冷・熱刺激の環境下、

大きな咬合圧の環境下、

他の歯の条件が変わることから余儀なくされる、

微調整の連続による形状と表面性状の変化。

そのような事も踏まえて、

人の身体の治療を行うべきでしょう。

歯科治療から修復材料選びは・避けては通れません。

だからこそ、

私は自分の手で確かめるのです。

無論、

インパクトファクターの高い学術誌の論文は、

常に眼を通しています。

が、

自分の手と目でデーターを出して、

ソレから臨床で使ってみる。

で、

継続的な挙動を観察し、

白黒・つけています。

他の歯科医師の意見は不要です。

私は私の判断基準を・何よりも信じています。

1流料理屋の華板は、

毎朝、

自分で市場でと出向き、

自分の目で、

魚を選びます。

お~い・今日は・何が良い?

って、

卸問屋に電話で聞いて、

魚を店まで運ばせる料理屋に、

1流店は・ありませんから。

最近、

ジルコニア信仰者でしょうか?

私のようなジルコニア嫌いを批判する記述を見る機会がありました。

臨床的判断基準と言う言葉を・思い出しました。

アレコレ・かくしゃくと、

持論を展開されておられましたが、

症例として提示されておられた

ジルコニアクラウン修復。

申し訳ありません。

私は軽自動車の性能と、

アストンマーチンを比べることは、

無意味だと・思います。

軽自動車は、とっても便利です。

最近のは・よくできていると感心します。

でも、

私の患者さんたちは、

本物志向の方々です。

私は・そのような鋭い要望を持つ患者さんの・主治医ナンです。

提示されておられた症例。

私の患者さんであれば、

そくクレームでしょうし、

私の美的センスからは、

申し訳ありませんが、白い塵にしか・見えません。

論争は、

同じレベルの方々と・なさるほうが、

チョッと進歩できるから、

有意義ですが、

格段の差と、

顧客層の差を考えれば、

全く噛み合いません。

歯科修復材料って、

そのような類のことも・考慮べきと、

一般の方々も、

真剣に考えてください。

 

 

 

鬼手佛心

さてさて、

今は、

手術を控えての、

精神集中の最中です。

【鬼手佛心】という言葉が・あります。

外科系の人間ならば、

1度は、

耳にした機会があると・お思います。

鬼の手を得るためには、

心を研ぎ澄まさなくては・なりません。

また、

外科治療には、

不慮の出来事が生じる危険性をはらんでいます。

メスは万能では・ありませんから。

常に平常心であること。

これが、

鬼の手を得る・最低条件だと言って良いでしょう。

鬼の手を持っていても、

佛の心を持ち合わせていなければ、

メスを持つ資格は・ありません。

では、

佛の心とは。

私は宗教家では・ありません。

また、

カトリックの信徒ですから、

私に佛の心を云々・語る資格は・ありません。

が、

信仰を持つ人間として、

長年・歯科医学に身を埋没させてきた人間として、

思いますのは、

寛容な心。

慈しむ心。

そして、

捨て身の・精神。

医療は・元来、

奉仕の精神から・生まれてきたものですから。

 

 

歯科治療

囲碁・将棋のテキスト本は・数多あります。

几帳面な方は、

丁寧に、

過去の大家の戦局を再現したテキスト本を見、

さまざまな1局を、

手習いして・いるようです。

私は将棋を嗜みます。

が、

テキスト本に目を通すのは、

数年に1度あるか・ないかです。

結論から言えば、

将棋に真剣に打ち込んでいない・のだと思います。

私が対局するのは、

素人ばかり。

時間潰しと、

人間関係構築のための将棋ナンです。

へぼ将棋って・いう処です。

相手が相手ですが、

それでも、

将棋が趣味で、

余暇は将棋に没頭という対戦相手も・いらっしゃいます。

私は負け知らずです。

指し方は・人を顕します。

性格と・言って良いかも・しれません。

このタイプの人は、

こういう対応する・という事が、

判るンです。

だから先回り。

テキスト本のお復習いも・大切な勉強ですが、

もっと肝要なこと、

人の行動を観察し、

思考をつかむ事だと思います。

コレは、

治療においても・同様です。

論文は、

統計処理のために、

条件設定を行います。

ところが、

臨床において、

条件設定など・できません。

ですから、

考える歯科治療が・大切ナンです。

よ~く、

口腔を観察し、

患者さんの個性の把握が、

良い歯科治療を創るンです。

何事においても、

継続こそ力であると、

この3年間、

私の顔を観るたびに、

肩を叩き、

時には、

盛り場へ私を引き連れて、

そう・言い続けて下さったのは、

日本歯科大学新潟病院の黒川副院長です。

人は、

何かしら、

ソレなりの理由をつけて、

脱落してゆくんだね。

ただ、

ソレを認めたくないから、

ソレなりの訳って・処だな。

日本歯科大学には、

このような・大人の男が・居るンですね。

人は・それぞれ、

価値観なり、

結論を導くための、

物指しが・違います。

が、

自分を確立できていない人も・いらっしゃいますから、

そのような人には、

定まった・物指しは・持っていないのだと・思います。

ただ一言、

継続し続けには、

鏡に映った自分に・見とれるノではなく、

自分の欠点探しに努める・事だと思います。

ソレを大いに・反省し、

自分創りのために、

継続し続けるんだと・思います。

そういうモンじゃない?

普段の通勤時、

スーツを身に纏うようになって久しい。

クールビズの季節でも、

ネクタイをシッカリとしめるのも、

私の流儀。

コレは、

私の患者さんへの、

私なりの感謝の標でも・あります。

大勢の方との会食など、

よほど親しい仲の友人と以外では、

酒席でも・アルコールには手を出しません。

コレも・私の流儀。

家から1歩でも・出たら、

お行儀良く・に、ものすごく注意しています。

そういうモンじゃないンでしょうか?

全てに通じること

フライトアテンダントって凄いですね。

機に搭乗すると・必ず、

三枝様、いつもご搭乗・ありがとうございます。

腰かけると、

読書灯をさり気なく、

点灯して・下さるのです。

まだ私が本を出していないにも・かかわらず。

ある時に・聞いてみたんです。

そのような記憶力、

どのようなトレーニングの賜物?

ソレで教えて頂いた答えは、

意外なモノでした。

搭乗回数の多いお客様の中で、

搭乗する際に、

必ずアイコンタクトで、

お声がけして下さる・お客様。

今日は・宜しくとか。

いつも・ありがとうとか。

ソレと、

お客様自身がご自身の見せ方を・確立されていらっしゃいます。

ですから、

普通に、

意識していなくても、

そのようなお客様って、

モチベーションを高めて下さるお客様。

ナンパされたり・しないの?

される・方もいらっしゃいます。

三枝様は、

今からナンパされます?

そんな恐ろしいこと・できませんよ。

自然体に振る舞うことで、

その人の生き方を顕します。

如何なる場合に於いても、

私の中にある紳士道は譲れません。

治療に関しても・同じです。

基本型が身に付いていれば、

多くの情報に翻弄されることは、ありません。

また、

自分が知りたい事実に関しては、

他人の研究結果より、

自分のチームで検証して、

自分の目で確かめる。

今年も・ひと月過ぎました。

新進歯学研究会の研究報告の論文が、

次々と論文掲載を報せるメールを

学術誌から頂きます。

自分をシッカリと確立する年齢ナンです。

善しにつけ・悪しきにつけ。

ジルコニア・クラウンへの警告

私はジルコニア・クラウンが嫌いです。

ですから、

全く使用しません。

ただ無意味ヤタラに・嫌いな訳では、ありません。

後進たちの指導のいう立場にも・在りますから、

私自身も、

ソレなりの数のジルコニア・クラウン症例を持っています。

未だ、

目立った・トラブルはありません。

対合歯との磨耗とか、

ジルコニアの硬さとか、

1つ1つの視点でしか、

臨床をとらえられない【臨床的判断基準】しか、

持ち得ない・歯科医師には、

私の感覚は・理解不能でしょうから、

どうぞ、

ご自身の責任で、

いっぱいジルコニア修復してください。

私は、

ジルコニア・クラウン修復が嫌いです。

エビデンス?

文献?

ジルコニア・クラウンへの危惧を提言する多くの論文を

私は沢山・知っています。

日本語の文献では・ありませんが。

ジルコニアという素材は、

フレームまで・です。

ソレに、

もう古い素材です。

既に、

別の概念からの・新素材に、

私は注目しています。

歯科医学って、

偏差値勝負じゃ・ないんですよ。

どれだけ・指先が器用か。

どれだけ・本物と触れ合ってきたか・という育ちの良さ。

美的センスとか味覚、美術的知識。

人間力とか。

だって・そうでしょう?

自動車のカタログだけで判断するなら、

国産車の軽自動車で十分じゃないですか?

ソレなのに、

なぜメルセデスベンツなの?

なぜフェラーリなの?

なぜフォードのF150が世界一売れてるの?

ソレが・判らない人って不幸ですよね。

そんな人も、

国家試験に合格すれば、

一応、

歯科医師ナンですから。

でも、

流行らないでしょう。

なぜ?

視野が狭くて、

本物の使い方を・知らないからですよ。

祈る

1昨年前に、

カトリックの洗礼を受けた私が、

その道にたどり着くまで、

さまざまな形での、

宗教的な旅を続けて・きました。

讃岐の国は、弘法大師空海の生まれ故郷。

この地には、

【お大師さん】が、

暮らしと、

深く関わりながら・が、

当たり前な営みとなっているようです。

幼い頃から、

観音さまの仏像を脇に、

日々、

掌を合わせてきました。

宗派は違いますが、

比叡山延暦寺の堂に私の姿が在ったことは、

数回では・ありません。

日本人である事を誇りに思う私は、

やおろずの神を敬い、

自然界に掌を合わせ、

また、

年の始めの最初の日毎には、

伊勢神宮を参拝するのが、

私の習慣でした。

歯科医師は患者さんの・かけがえない身体を与る仕事です。

そのプレッシャーと、

自分の未熟さを自覚出来るからこそ、

今日の無事を、

通勤途中に、

高野山讃岐別院に立ち寄り、

門の脇の・お地蔵さまの、

小さな・小さなお堂の前に立ち、

小銭入れの中の小銭を全て、

お賽銭箱の中に納める。

で、

合掌。

そんな・何十年間を、

毎日・毎日、

送ってきたのです。

このような私が、

カトリック信仰の道に入ることは、

やはり、

大きな・大きな旅を余儀なくせざるを得ない、

道を歩いたからだと・思います。

カトリックの信仰は、

聖書と祈りの本を通してが基本に・なります。

ふと・した時に、

聖書、祈りの本を開き、

祈りを捧げる言葉を読みます。

宗派の違いこそ在れ、

祈りを捧げることが、

宗教的な基本型ですから。

では、

祈る意味は?

医療人であれば、

祈る意味は・ごくごく自然の行いナンです。

患者さんの幸せに決まってるじゃ・ないですか。