日別アーカイブ: 2020年1月27日

ジルコニア・クラウンへの警告

私はジルコニア・クラウンが嫌いです。

ですから、

全く使用しません。

ただ無意味ヤタラに・嫌いな訳では、ありません。

後進たちの指導のいう立場にも・在りますから、

私自身も、

ソレなりの数のジルコニア・クラウン症例を持っています。

未だ、

目立った・トラブルはありません。

対合歯との磨耗とか、

ジルコニアの硬さとか、

1つ1つの視点でしか、

臨床をとらえられない【臨床的判断基準】しか、

持ち得ない・歯科医師には、

私の感覚は・理解不能でしょうから、

どうぞ、

ご自身の責任で、

いっぱいジルコニア修復してください。

私は、

ジルコニア・クラウン修復が嫌いです。

エビデンス?

文献?

ジルコニア・クラウンへの危惧を提言する多くの論文を

私は沢山・知っています。

日本語の文献では・ありませんが。

ジルコニアという素材は、

フレームまで・です。

ソレに、

もう古い素材です。

既に、

別の概念からの・新素材に、

私は注目しています。

歯科医学って、

偏差値勝負じゃ・ないんですよ。

どれだけ・指先が器用か。

どれだけ・本物と触れ合ってきたか・という育ちの良さ。

美的センスとか味覚、美術的知識。

人間力とか。

だって・そうでしょう?

自動車のカタログだけで判断するなら、

国産車の軽自動車で十分じゃないですか?

ソレなのに、

なぜメルセデスベンツなの?

なぜフェラーリなの?

なぜフォードのF150が世界一売れてるの?

ソレが・判らない人って不幸ですよね。

そんな人も、

国家試験に合格すれば、

一応、

歯科医師ナンですから。

でも、

流行らないでしょう。

なぜ?

視野が狭くて、

本物の使い方を・知らないからですよ。

祈る

1昨年前に、

カトリックの洗礼を受けた私が、

その道にたどり着くまで、

さまざまな形での、

宗教的な旅を続けて・きました。

讃岐の国は、弘法大師空海の生まれ故郷。

この地には、

【お大師さん】が、

暮らしと、

深く関わりながら・が、

当たり前な営みとなっているようです。

幼い頃から、

観音さまの仏像を脇に、

日々、

掌を合わせてきました。

宗派は違いますが、

比叡山延暦寺の堂に私の姿が在ったことは、

数回では・ありません。

日本人である事を誇りに思う私は、

やおろずの神を敬い、

自然界に掌を合わせ、

また、

年の始めの最初の日毎には、

伊勢神宮を参拝するのが、

私の習慣でした。

歯科医師は患者さんの・かけがえない身体を与る仕事です。

そのプレッシャーと、

自分の未熟さを自覚出来るからこそ、

今日の無事を、

通勤途中に、

高野山讃岐別院に立ち寄り、

門の脇の・お地蔵さまの、

小さな・小さなお堂の前に立ち、

小銭入れの中の小銭を全て、

お賽銭箱の中に納める。

で、

合掌。

そんな・何十年間を、

毎日・毎日、

送ってきたのです。

このような私が、

カトリック信仰の道に入ることは、

やはり、

大きな・大きな旅を余儀なくせざるを得ない、

道を歩いたからだと・思います。

カトリックの信仰は、

聖書と祈りの本を通してが基本に・なります。

ふと・した時に、

聖書、祈りの本を開き、

祈りを捧げる言葉を読みます。

宗派の違いこそ在れ、

祈りを捧げることが、

宗教的な基本型ですから。

では、

祈る意味は?

医療人であれば、

祈る意味は・ごくごく自然の行いナンです。

患者さんの幸せに決まってるじゃ・ないですか。

自分を整える

日曜日は、

昼前まで・眠っていたんです。

で、

簡単なブランチを済ませて、

再びベッドへと戻り、

今度は邦画を・何本か・観賞していました。

【つなぐ】。

故樹木希林さん主演の映画は、

ズッと、

涙で・顔がグシャグシャになってましたね。

シャワー浴びるような読書と、

湯舟に首までドップリと浸かるような・映画観賞を、

リズム的に・交互に、

自分を埋没させることにが・私の習慣になってますね。

この【自分を整える】作業の期間は、

私は隠遁生活・みたいな感じですかね。

誰とも・会わない。

誰とも・電話しない。

【自分を整える】事の原因は・様々。

技術上の壁に挑む直前。

考える歯科治療の・考えに行き詰まった時。

人間関係に・一歩下がって・冷静な判断を見つける時。

などなど。

そのような・隠遁生活のあと、

つい、

脚を運ぶのは、

神戸のハーバービュー。

2月の中頃くらい・かかるでしょうか。

今夜は、

高倉健さん・の映画でも、