月別アーカイブ: 2017年4月

休みも仕事

今日は祝日ですが患者さんのご都合にて

午前中に手術を1症例ほど。

上顎のインプラント埋入手術です。

約半年まえに、

上顎洞底挙上手術を行い今日の日を迎えたのです。

予め骨を造ってのインプラント埋入です。

安全な環境を造ることが、

手術においての最重要事項です。

1時間程度でしょうか。

その後、

仕事の打ち合わせ会議に出かけ、

夕刻前には解放されるので、

車の修繕でもと考えながら、

手術に控えています。

人を育てると云うこと

朝刊にて春の叙勲名簿が公表されていたので、

ついつい。

柬理十三雄先生の名前を見つけたのです。

もう78歳になられたとのこと。

神奈川にお住まいであることも判りました。

日本歯科大学の名誉教授です。

御専門は歯科麻酔学。

新潟校の学部長である藤井一維教授の恩師にあたります。

私の専門は歯科保存学ですから、

大学病院時代には私は先生との関わりはありません。

歯科大生時代に先生から歯科麻酔学の講義を受けたと云うだけの

一教授と大勢の学生の中の一人と云う間柄でしかありません。

当時の先生は学内の教授陣の中でも

所謂【大物】であると云う認識を皆が一様に持っていました。

口腔外科学の加藤譲治教授と麻酔学の柬理教授のゴールデンペアの率いる

外科系が幅を利かせていると云う空気だったと思います。

病院内でも、

外科系の医員は濃いグリーンの手術着を纏い、

歯科系の医員とは一線を画していたと思います。

先生は大変温厚な人柄であったと記憶しています。

また仕事面においても、

大勢は部下に任せ育てると云うスタイルであったと、

それは私ら部外者にも伝わっていました。

それは現在、

弟子である藤井教授と佐野教授のお二人が、

新潟校の学部と短大の長を務めておられることからも

結果が物語っていると思います。

人を育てると云うものに掛かる時間が

これ程にまで必要であると云う証と共に、

育てる姿勢は必ず結果として顕れると、

現在の母校の様相を鑑み、そう思うのです。

今でも時々、

先生からの講義ノートを開きます。

頁を開いた際の紙から、

青春期の匂いが漂ってくる気がします。

基礎疾患を持つ患者さんの手術の前夜あたりに、

私は古いノートに眼が行き、

で、

藤井教授の携帯電話にダイヤルするのが常となりました。

私が学生であった頃の先生の年齢に自分もなりました。

拙い私ですが少なからず私にも弟子が居りますが、

私の育てる工夫が実を結ぶことを

不安を抱きながらと云う今朝の一時でした。

 

 

いくら便利でも

私はスマホが嫌いです。

携帯電話のメールもラインって言うんですか?

アレも私は嫌いです。

人とのコミュニケーションを採る手段は

最低でも相手の声を聞いて、

声のニュアンスから察する気配りが大切だと思うからです。

最近、体力の低下を自覚して、

出張は新幹線や飛行機を利用する機会が増えました。

空港のターミナルや駅舎、

果ては車内でみんながみんな、

スマホをいじっている姿は異様さを感じます。

時代が個性重視と云う割には、

みんながスマホをの姿に違和感を感じるのです。

携帯電話も持ちたくありません。

が、

仕事柄、

それはこの時代には出来ないので、

ガラ携って言うんですか?

私は未だに古い携帯電話を使っています。

表示画面は大文字の時計。

これはこれで便利ではありました。

手は私の商売道具。

飾る持ち物を意図的に敬遠していたので、

腕時計は日常には使っていませんでした。

しかし、

携帯電話の時刻を観るのも

嫌になったのです。

みんながスマホばかり。

それほど多忙なのでしょうか?

仕事が出来る人を大勢、存じ上げています。

そういう方に限って、

車内でノートパソコンに向き合うと云うスタイルの人は居られません。

携帯電話は大切な所要の際には便利な道具ですが、

中毒には成りたくありません。

私にしては珍しく買い物をしました。

腕時計です。

と言ってもバセロンやパティックではありません。

私には身分不相応です。

セイコーです。

それも文字盤の大きいもの。

軽いもの。

時刻が正確なもの。

調整の面倒でないもの。

和田精密歯研の高松支店長である橋本君はセイコーのファンであることから、

雑談の際にはしばしばセイコーの話を耳にしていました。

橋本君のお勧めのセイコー.アストロン。

量販店に買い物に出掛けた際に、

偶然に時計コーナーにて2割引きであったので、

買い求めたのです。

これでますます、

携帯電話を手に取る機会が減りました。

春は来る

現在治療中の患者さんのなかに、

長年、本当にお辛い日々をお過ごしであった女性が居られます。

藁にもすがる想いから、

各地の著名と言われる歯科医師をさ迷って居られた努力の人で在られます。

私は現在、

必死でこの患者さんの病の問題解決のために戦っています。

患者さんの苦しみは私の苦しみでもあるのです。

毎回、毎回の診察において、

私はこの患者さんの挙動と咀嚼系統のバランスを

それこそ丸裸にするぞと云う気概で臨んでいます。

穏やかにお過ごし頂ける日も近いと、

この患者さんの春の訪れを一緒に喜べるよう、

46時中、

この患者さんの口腔の所見が頭から離れることはありません。

これも私が恋して恋して就いた歯科の仕事です。

 

職責

別段女性蔑視ではありませんが、

女性作家の著作を私は好みません。

それは文体の匂いが男からすれば、

ある違和感を感じるからだと思います。

ただ、

山崎豊子氏や櫻井よし子氏、藤原てい氏の文体には

違和感を感じません。

ですから、

全く女性作家を否定している訳ではありません。

あくまでも私個人の一般的な流れだと思ってください。

その私がこの頃、

先にお亡くなりになった渡辺和子氏の著作を

片っ端から読んでいます。

で、

途中から気づいたのです。

古い著作から読み直してみようと。

その過程において、

思う処大いに在りました。

氏が随分と批判や中傷を浴びせられた時期が在ったことが伺えます。

様々な葛藤が在ったことも想像出来ました。

ただ、

職責の自覚の大きさ故に、

他人に観せる外向きの顔の有り様を

シッカリと血と肉にされたのだと思います。

当然のことながら、

私にも外向きの顔と本来の生まれ持った性格の間には

大きな差異が在ることを自覚しています。

欠点を自覚し、

心して修正する努力もしています。

しかし仕事柄、

一般的な普遍を殺すことが大きなエネルギーになることも

長い診療生活から認識しています。

このような事を考えますのも、

歯科と云う特殊性を持った仕事に就いたからだと思います。

歯科医学の性質上、

医療人と職人と云う2つの顔を持たねばなりません。

この事の擦り合わせに

長い間、悩んできたのは事実です。

また開業医ですから一種の人気商売でもあります。

華がなければ成り立たない役者のような性質も必要であることは

これも否定できない事実です。

つくづく難しい仕事を選んだものだと

少年期から青年期に至る時期の自分の為した選択を

悔やむ機会もたびたび在ったのは事実です。

師匠である内藤正裕先生の姿を観て歩いて来ました。

先生は情熱の人ですから、

弟子の私から観ても、

脱線される機会もたびたび在るのですが、

紳士道と歯科医師の道の辻褄を

明確に結論付けされて居られることが判ります。

三枝君、歯科医師だよ、我々は。

と云う台詞を何度耳にしたか判りません。

長い間歯科医師である私が、

50を半ばを迎へ、

やっと歯科医師と云う姿が朧気ながら観えてきたように思います。

東京吉祥寺開業の若き歯科医師のホープである

小出 明医師に師匠は語ったそうです。

僕もねぇ、三枝君もキチガイなんだよ。

君も自分を一度、

徹底的に破壊しなさい!

三枝先生、私はどうしたらキチガイになれるんでしょう?

私は答えに窮してしまったのです。

と共に、

息子が反抗期旺盛であった高校時代に

私は浴びせた罵声が鼓膜に甦りました。

父ちゃんは少数派なんだよ!

これからも歯科医師とは?

を思案しながら過ごすのでしょう。

ただ、

正直に申し上げられますのは、

歯科医師の仕事は剣術修行のようなものだと思います。

 

ていねいに生きる

手先の繊細かつ微妙な動きが必要不可欠な仕事です。

しかし其だけでは治療成功へは程遠いのです。

特にインプラント治療においては、

部品と部品の組み合わせです。

メーカーから供給された部品を素直に使うと云う

素人仕事は出来ません。

症例によって、

工夫を加えてこそプロの仕事だと思います。

また診断と治療経過を客観的に評価することも

とても、とても大変な治療成功への道です。

ですから、

毎度、毎度、

患者さんの口腔の状況を診て、

当初の予定通りに治療を先に進めるのか、

それとも引き返し、

別の手段を選択すべきか、

いや、

もう少し経過を診て再び考察すべきか、

そんな事の繰り返しばかりです。

ですから、

毎日の診療は、

観察力との戦いとも言えます。

正確な判断する能力を具備するには、

毎日の生活を穏やかに、規則性を持って、

過ごすことが必要だと結論付けしたのです。

また私らは大切な人の身体を与る仕事ですから、

日頃の行いにおいても紳士の嗜みに気を配るように思います。

そんな考えに至ったのも、

私が大学の学生諸君のプロフッションと云う特別講義を

委されるようになったことも大きな理由となっています。

学生諸君に恥じない行いをと

常日頃、

頭のど真ん中に置いて暮らすようになりました。

正直、

窮屈極まりないと思うこともあります。

が、

私は【縁】と云うモノを大切に思っています。

これも定めだと。

ですから余計に日々を【ていねいに】生きるを

大切に思っています。

辛い紳士道

自動車に乗車した際の、

人の体温で、

自動車のフロントガラスやサイド、バックガラスが曇って

視界が確保シヅライなんて経験を

今の人は信じられないでしょう。

でも私の若い時分は、

それが当たり前でした。

そのための乾いたタオルを車内に常備していましたもの。

メルセデスくらいだったと思います。

決して曇らない自動車ってのは。

トヨタも日産も曇ってました。

だからこそメルセデスだったのです。

しかし、

自動車の構造変革とエアコンの進歩にて、

自動車は正に人の身体の一部となった感が在ります。

で、

今後は自動運転でしょう?

どこまで消費者は望むんでしょうか?

また、

メーカーも大変な時代になったと思います。

が、

反して私のオンボロ車は曇って、曇って、曇もりまくりです。

雨上がりのせいでしょうか?

昨夜の帰宅時は蒸し暑かったですね。

エンジンをかけて走り始めて数分程度で、

フロントガラスを始め全てのガラスが曇ってきたのです。

あぁ、昔の自動車って、

こうだったと、

記憶から消え去っていた

若い時分の同じ状況を思い出したのです。

この間の日曜日は逆に暑かった。

助手席に息子を乗せていましたら、

父ちゃん、エアコンが壊れてんのちゃう?

私は未熟者である息子を諭したのです。

古いイタリア車ってのはな、

どんなに熱くかろうが、

窓を閉めきって、

それでも悠然とハンドルを握る。

これがイタリア車を愛する紳士道なのじゃ。

大いに講釈垂れる私を

冷ややかな視線で観ている息子の方が

ズット大人なのかもしれません。

 

強さの意味

ペナルティを受けたテニス選手であるシャラポワ女史が、

1年3ヶ月ぶりの試合で戦っている姿は、

誠に美しいものでした。

序盤、調子を取り戻す過程での様々な表情から、

その美しさが際立って、

私には観えました。

1年3ヶ月と云う期間はプロにとっては、

トテツモナイくらい長いものです。

途中、途中でのトーナメントに出場出来ない訳ですから、

精神力を持続させることに脱帽するほどの

努力なり手当てしたことが伺えます。

筋力の維持のためのトレーニングは単調な行為に見えますが、

単調な行為を継続することには、

トテツモナイ精神力が必要です。

なんでも女史は大学に通って経営学の講義も

併せて受講されていたとのこと。

女史が美人であるから応援しているのではありません。

内に秘めたる精神力に私は惹かれたのです。

強さの定義を勘違いする人も

この歳ですから大勢に観てきました。

強さの意味。

それは紙一重です。

出来ることならば、

私はこの若い女史のような、

弓のような力を体得したいと、

画面に釘付けになっていました。

 

 

 

 

いやいや大いに恥じをかく

今朝は市内の総合病院へと定期検査に出かけていました。

泌尿器科です。

この歳にもなるとオシッコが近くなり、

大いに悩んでいたのです。

息子からバカにされても、

昨年末からノコギリ椰子のサプリメントを服用していたのです。

しかし、

股の付け根辺りに違和感を感じて、

患者さんである内科医師の先生に相談し、

2週間ほど前に、

その先生の勤務する総合病院を受診したのです。

ところが、

泌尿器科の診察室のドアを開けて、

私は固まってしまいました。

綺麗な女医さんだったからです。

前立腺の触診を、

まさかこの女医さんにして頂く訳にはいきません。

紳士のプライドが傷つくからです。

私は言いました。

先生のような綺麗な人にハシタナイ真似は出来ません。

どうぞ、其だけは男性の医師にお願いします。

その女医さんですか?

笑ってました。

で、

先生、それなら先ずはお薬を飲んで下さい。

それで改善されなかったら、

男性の先生にお願いしましょうね?

若い女医さんから子供をあしらうように言われました。

紹介して下さった内科医師も、

そういえば女医さんだったと、

どちらにも頼めない症状を恨んだのでした。

で、

今朝の定期検査となったのです。

症状は完璧に改善されていましたので、

私はズボンの上から尻を両手で覆い、

その状況を申し上げました。

女医さんですか?

また笑いながら、

それは良かった、良かったと。

また子供に対するように言われ、

3ヶ月分のお薬を頂き、

尻を隠しながら、

私は診察室を後にしたのです。

女医さんは綺麗じゃない方が良いと、

この時、私は結論付けしたのです。

 

幸せな歯医者

判断ミス。

私にも在ります。

ある患者さんの上の奥歯に、

インプラントを1本入れて、

メーカー付属の既製品のアバットメントを使って、

ジルコニアのクラウンを装着したのです。

その材料選択を私は誤りました。

気にくわなかったのです。

歯列全体との力学的調和を図れていないと判断したのです。

私の仕事は、

長く患者さんに快適環境を造ることです。

気にくわない結果を前にした際には、

私は潔く認める主義です。

患者さんには申し訳ないのですが、

私が気にいる結果が得られるまでお付き合い頂きます。

今日、

ジルコニアのクラウンを除去して、

造り直したメタルボンドクラウンに交換させて頂きました。

無論、

アバットメントもやり変えました。

これはプロの意地です。

この際には当然、

患者さんにはご費用を求めません。

私の判断が至らなかったからです。

治療を終えてホッと一息の最中、

患者さんから頂き物を。

胸が熱くなりました。

珍しいお酒を高価なグラスでと云うご配慮に

本当にありがとうございますと。

このグラスは私には分不相応なので、

診療台の横に飾っておこうと思います。

お酒は、

先ずは観音さまにお供えしてから、

何かの目出度い日に頂こうと。

患者さんから勉強させて頂き、

で、

お品も頂き、

私は幸せな歯医者です。