月別アーカイブ: 2013年8月

川崎律子 歯科衛生士

 昼下がり、
診療所の自室で
患者さんが来られるのを
待っていた。

 携帯電話の
着信のバイブレーションに
大学からだろうと、
電話を手にしたら
新潟の歯科衛生士の
川崎律子女史であった。

 随分とご無沙汰であったが、
相変わらずの
爽やかな川崎節は
健在であった。

 川崎女史とは
若い時分からの
顔見知りである。

 彼女は、
今は亡き原田富一先生の
一番弟子であった。
先生が御在命で在ったなら、
彼女の活躍を
一番に喜んでいるに違いない。
何れにしても、
原田先生は
この世に確かに
自身の歯科DNAを
遺したのである。

 電話で、
私の診療所の宮田君の
トレーニングを
是非にとお願いした。

 此の秋からは
宮田君も毎月
新潟へと
通う事になった。

 世に云う
名の通った歯科衛生士と
仕事を御一緒させて頂いたが、
私の贔屓は
川崎律子女史である。

 原田先生は生前、
愚息に対して

 ー 歯医者になれ! 東京じゃなく新潟に来い!
      俺んちに下宿せい!ー

と、威勢よく語っていた。
其のすぐ脇で
ニコニコ微笑んで
阿呆な二人の男の
話を聞いていたのが
川崎女史であった。

 原田イズムが
川崎女史のDNAで進化を遂げて
宮田君へと
継承される事を
心から望む私である。

オールオン4を採用しない理由

 1996年に設立された私の
高松インプラントセンターでは
オールオン4は採用しておりません。

 又、此れからも
採用する予定はありません。

 全く歯の無い患者さんに対して
インプラントを
埋め込む手術をしたその日の内に
人工歯を入れて
即日、
噛むことの出来る様にする手法は
別段、
目新しい手法ではない。

 インプラント治療の生みの親である
ブローネマルク博士自身の研究からも
同様の手法が開発されている。
ブローネマルク.ノバム.システムである。

 此のノバム.システムは
今から凡そ10年程前に
市販化された。

 市販に先だって、
私は伊藤雄策先生と
スウェーデンのクリスターソン教授より
此のノバム.システムの
実地指導を受け、
その後、
数症例程ノバムの臨床を行った。

 又、我が国に於いては
埼玉県のマキシス.インプラントセンターの
波田野先生御考案の
マキシス.ニュウが
無歯顎者に対する即日インプラント治療の
代表例であろう。

 オールオン4の開発者である
ドクター.マローの原著論文による
治療成績と、
世界で最も権威ある研究機関である
スウェーデンのカロリンスカ研究所から
オールオン4は
未だ未完成であり、
一般使用すべきではないという
報告が出ている以上、
インプラント治療に
長年、携わってきた者として
私のインプラントセンターでは
使用する気持ちにはならない。

 何故、此ほど迄に
オールオン4の営業広告が
巷に溢れているのか
私には解せないのだが。

 はっきりと云えるのは
昔から
インプラント治療に対して
真面目に取り組み、
この分野の畑を耕してきた
インプラントの専門家は
従来からの
確実な手法を
採り入れている。

 私が臨床家である以上、
香川県高松市と云う
ちっぽけな地方都市ではあるが
インプラント治療の良心を
此の地に
遺さねばならない。

本当の意味での歯医者冥利

 私の診療所に来られる患者さんの
9割は女性である。

 加えて、
私の患者さんの
平均年齢は66歳である。

 かような私の診療所に
今日、新患でお越しになった
患者さんは
30代半ばの女性であった。

 小さいお子ちゃま連れの
美しい、品格のある
お母様であった。

 私が自分より
年齢の下の
患者さんに向かい合う時は
自然と気合いが入る。

 其れは、
その患者さんが
年老いた時には
確実に
私は引退しているからである。

 将来、私がこの世に
居なくなった時、
患者さんから
ー嗚呼、三枝が治した処は、まだもっている! ー

と、喜んで頂きたいからである。

 其れを、私は知るよしも無いのだが、
そうであれば、
歯医者冥利に尽きると
信じて、
若い患者さんに
向き合う私である。

マイクロスコープを使った歯科治療

 私は永年に渡り、
カール.ツァイスの
マイクロスコープを使った歯科治療を
実践している。

 私の恩師である
東京都麻布で御開業の
内藤正裕先生から
お電話を頂いた時の事を
懐かしんで
思い出す。

ー 三枝君!俺はマイクロスコープを入れたよ!
    その辺のアメリカ製じゃないよ!
      カールツァイスのの日本第1号だ! ー

 師匠の喜びは
弟子たる私の喜びでもある。

 早速、私は
空路遙々、田舎から
上京し、
師匠の購入した
高額な玩具を
見に出向いたのである。

 カールツァイスの名前と
其の凄さを
耳に数珠が出来る位
師匠から聴かされた
1日であった。

 阿呆な私の診療所に
直ぐに
カールツァイスの設置の
技術者が来たのは
云うまでもない。

 あれから随分と
年数が経った。

 カールツァイスのマイクロスコープは
私のもうひとつの目になった。

 但し、注意が必要なのは
マイクロスコープは
治療の確認の為に
在るのではない。

 見ながら治療する為に在る。

 それと、
見える事と、
出来る事は
違うと云う事である。

 最近、
マイクロスコープを使った歯科治療と云う
営業広告を
暫し目にするが‥‥。

 かような仕事に
遭遇する事、暫しであった。
どうして、これがと悩み
見える事と、
出来る事は違うと云う
結論に至った私である。

心斎橋のナチュラとリンクします

 私の仕事は、
疾患の予防と修復、
そして機能を回復する事は
当然の事ながら
審美的な要素の問題も
其の範疇とするものである。

 私の交友関係から
数年前には
基礎化粧品を手掛け
今でも
某メーカーから
販売されている。

 良いものだけを!が
私の信念である。

 贔屓の食い物屋は
多々在れど、
私の仕事には
直接、関係ないので
此は秘かなる
私のみぞ知る名店と
温めておきたいのだが。

 大阪.心斎橋に在る
ナチュラは
私の仕事と関係があるので
ブログにリンクする。

 美しさ、
其も
確かな技術に
裏付けされた、
尚且つ
上品なもので
なければならない。

 歯の健康と
口元の美しさは
当たり前の事ながら、
トータルでの
美しさを
心がけていて欲しいと願う。

 心斎橋.ナチュラは
自然体の空気に包まれた
良い美容室である。

 芸能人も、しばし其の姿を
見掛けるが、
よーく注意していないと
気付かない。

 かように自然体の店である。

 但し、
オーナーの後(うしろ)先生は
紹介が無い
一見の客に
鋏を持つ事はないので
電話で
よーく
お願いすると良い。

 私は普通の店は嫌いである。
勘違いの職人は
尚更、
軽蔑している。

 心斎橋.ナチュラの後先生は
数少ない
本物のスタイリストである。

高松インプラントセンター その8

 私の高松インプラントセンターは
香川県高松市と云う
四国の小さな地方都市に在ります。

 海外の歯科医の先生や
インプラントメーカーの役員、
大学の学生たちから
私が田舎で、
開業している事に
驚かれるのに
慣れてしまいました。

 今は亡きウルフ.ニルソン博士、
先生はスウェーデンのルント大学の
元教授であり、
ブローネマルク博士の信奉者でした。
ノーベル.バイオケア社が嘗て
ノーベルファルマ社と名乗っていた時代の
日本支社の社長をお務めになられていました。

 何度か私の診療所へ
お越しになられましたが、
最初の訪問時に、
何と!先生は田舎で仕事を!
と、驚かれていたのが
懐かしい思い出となりました。

 私は産まれも育ちも
高松市には縁が有りません。

 が、私の母親が
香川県の三木町の出身で
高松高校の卒業であった事、
私が都会の喧騒が
苦手である事から
此の地で
診療所を構えた訳です。

 強気の私です。
【医療に逆流なし】と云う言葉があります。

 患者さんは
小規模の診療所から
大きな診療所へと、
 患者さんは
地方から
より都会の病院へと
移動し、
其の逆はない。

 ー 其れならば、逆流させてみせる!ー

と、意気込んで
設立したのが
私の高松インプラントセンターです。

 元来、文学が好きな私です。
香川県の生んだ文豪、
菊池寛に因んで名付けられた
菊池寛通りに面して
診療所を構えられた事に
ありがたいと
感謝しています。

高松インプラントセンター その7

 1996年に設立された私の
高松インプラントセンターは
四国一の実績と経験、
そして設備を備えていると
自負している。

 異論の在る歯科医が居れば
私は何時でも
受けて立つ準備をもっている。

 昨日、インプラント治療を希望する
患者さんが来院された。
他の医院でインプラント治療を
勧められての来院であった。

 興味深い事に
私の下した診断と
全く異なった診断を
受けていた。

 抜歯が必要な或る歯の部分に
インプラントを埋め込む事には
異論は無いが、
この歯には炎症が著しく
周囲の骨の吸収は著明であった。

 此の状態では
インプラントを埋め込む事は出来ない。
骨の幅が足らない事は
CTを撮影するまでもなく
明らかであった。
骨造成の必須の症例である。

 又、もう一ヶ所は
既に歯が抜いてあったが
此処も、
明らかに骨の幅が足らない。
おまけに其の前の歯には
根の先に大きな膿の塊がある。

 此の様な場合には
すぐ隣にインプラントを埋め込むと
横に在る膿の塊から
早晩、細菌感染を生じる
可能性を孕んでいる。

 前医は私の大学の卒業生であった。
思わず舌打ちをした私である。

 何時から
こんな診断と治療計画が
罷り通る様になったのかと
頭を抱えてしまった。

 インプラント治療と云うのは
謂わば、一種の移植治療である。

 其の辺りを
肝に命じて
症例と向かい合わねばならぬ。

愚息の修学旅行

 新潟明訓高校に通う愚息は
宮城で先の震災に被災し、
1年遅れての
高校生活である。

 四国で育った愚息は
言葉も、感性も、生活風習も、
此の越後の国の人とは異なり、
なかなか
皆の輪の中に入れては貰えず、
独り突っ張って、
半ば焼けばちになった
時期もあった。

 越後の人は温かい。
但し、
最初は警戒心から
本音を見せてはくれないが、
一旦、仲間と認知されれば
ホンによーく面倒みてくれる
熱情の人である。

 愚息も何時か
世間に出ねばならない。

 生きた人間程
厄介なものはない。

 其の予行練習だと思い
父たる私は
見守ってきた。

 今日から
明訓高校は三泊の予定で
修学旅行へと。

 愚息には気の毒ではあるが、
広島から讃岐を経て関西へと
出向く様である。

 当地の修学旅行であれば、
此のコースは
小学校の生徒向けのものである。

 其れほど迄に
越後の国から
遠く離れた地に
此の地が在ると云う事である。

 越後の人に
西国の人の空気に触れて貰いたい。
 越後の人に
西国の街の気配を感じて貰いたい。

 確かに、愚息は
此の地の水を飲んで育ったのだから。

 京に登れば
金閣、清水も善いが、
祗園までぶらりと
足をのばして
だらりの帯の舞妓の薫りに
足を留めるのも良かろう。

 呉々も事故の無いように
気を付けて、
西国を満喫して頂きたい。

虫歯は早期発見,早期治療は当たり前!

 歯の硬組織が侵襲される状態を
専門用語で
歯牙硬組織疾患と云う。

 虫歯は其の代表例である。
が、それだけじゃない。

 噛み合わせ異常からくる
ひび割れ、此れをクラックと云う。
他には、磨耗、咬耗も
噛み合わせから生じる
れっきとした歯牙硬組織疾患である。

 その他、逆流性食道炎、胃酸過多、過食症に多い
酸侵症。

 等々、様々な疾患がある。

 此処で注意しなければ成らない点は
疾患の進行のスピードである。

 神様は尊いお方である。
キチンと人の身体に
防護機能を設けて下さった。

 小さな小さな歯ではあるが、
此の人の身体の一部にも
キチンと防護機能が
備わっている。

 病気の原因が
慢性的にジワジワと
迫ってくるには
歯と云えども抵抗を示す。

 二次象牙質と云う
本来の構造にはない
新たな組織の誕生で
細菌の侵入を
防いでくれる。

 噛み合わせ圧異常で
歯のエナメル質に
ひび割れが生じ、
様々な悪事の原因となる事を
ドクター.マッコイが
デンタル.コンプレッション.シンドロームと呼び、
私の記憶が正しければ、
1983年頃、発表された。

 私は1990年代の前半に
マッコイ医師から
直接、話を伺った事がある。

 楔の様に
歯の生え際が
磨り減ってしまう状態を
くさび状欠損と云うが、
此れも
デンタル.コンプレッション.シンドロームの
為せる業である。
 呉々も、
歯磨き粉の中の磨耗剤のせいではない。
硬い歯ブラシでの擦りすぎではない。

 まぁ、学問としては興味深いが、
治療となれば別である。

 二次象牙質が出来ていない状態で
象牙質が露出してしまえば
アウトである。

 クラックは急性侵襲であるから
早く、手当てをせねばならない。

 虫歯と云うのは
既に細菌の感染を伴っている。
歯には
積極的な大きな
自己修復能力はない。

 予防の段階での
ミクロの再生能力は
フッ素の力で善かろうが、
虫歯の早期発見、早期治療は
当たり前以前の話である。

夏の終わり

 私の朝は早い。
午前3時には起床する。
何時まで経っても眠かった
若い時分が懐かしい。

 ゴールデンリトリバーのマリリンも
体内時計に確りと、
私の生活リズムが刻まれた様である。

 今では、ベッド脇で寝ている
決して小さいとは言えない此の仔犬は、
起床時刻に、身を乗り出して
私の顔を舐め舐め、
飯を喰わせろ
散歩に連れて行けと
喧しい。

 仏壇の花の水を変へ、
水とお茶を供える間、
此の犬は
金魚の糞の如く
右から左へと
私の足元から離れない。

 ー 阿呆の倅より何とお前は賢いことか! ー

毎朝、新潟の愚息の顔を思い出しては
犬に感心しきりの私である。

 リードに繋いで外へ出た。
何気に外気が肌寒い。
思わずマリリンと伴に
駆け出した。

 私にとって朝の3時間は
大変、貴重な時である。
歯科医にとって、
大人の男として
身に付けなければならない
知識と教養の吸収の為の
手当ての時間である。

 テーブル下で転た寝の
マリリンを今度は私が起こし
診療所へと向かうために
外へ出た。

 通勤で通りを行き交う人で
喧騒の最中の市街地である。

 透き通った青い空であった。
が、鼻腔に充満してくる大気に
夏が確実に終った事を感じた。