月別アーカイブ: 2015年1月

新潟市【あゆみ歯科医院】

新潟市の郊外に【あゆみ歯科医院】という名前の個人開業の歯科があります。

高橋弘尚博士の診療所です。

私が新潟市で患者さんとして行くならば、断然この先生に治療して貰います。

人、術、道を兼ね備えた昔気質の本当の歯医者と言って良いでしょう。

派手な広告はしていませんが、この先生は間違いありません。

愛想はありませんが、決して恐くはありません。

照れ屋な性格ゆえに、取っつきにくい処はありますが、温かい情の人です。

患者さんの立場にたって治療してくれるでしょう。

オールマイティーなレベルの高い診療を常に提供しています。

このように地方に於いても、その場所、場所でキチンと治療している歯科医は必ず居ります。

自意識過剰で自画自賛のエセ名医でなく、本当の名医にかかることが

本当の予防歯科の真髄だと思っています。

で、話しは反れますが、この診療所の名前の由来について不思議に想い、

先生に問い合わせた記憶があります。

なんの事はない、博士の溺愛する猫の名前であるそうな。

こう言う処からも、見かけとは大きく異なり、単純で憎めない歯のオタクの一人であります。

マイクロスコープ顕微鏡を使った歯科治療 そのまた続き

歯科の治療に於いて【丁寧】と【精密な治療】をイメージしない方は居られないでしょう!

歯科医の側でも、そう思わない方は稀少だと思いますし、

また【丁寧】と【精密な治療】をと思わない歯科医は、仕事をお辞めになったほうが世のためになると思います。

その証拠に、歯科医のホームページに於いても

随分と眼鏡に飛び出したレンズがくっついたルーペを装着しながらの写真が見受けられるようになりました。

裸眼で診療するよりも、拡大下での診療の重要性が認識されているのだと確信します。

ルーペは所詮ルーペでしかありません。

より精密な治療をするのならば【マイクロスコープ顕微鏡】なくしては不可能です。

理屈も言い訳も通用しないのが、結果が全ての技術の仕事です。

【丁寧】で【精密な治療】の最低条件が【マイクロスコープ顕微鏡】です。

見立ての違い

高松市にトアル歯科医院があり、ホームページなんかでは結構強きの主張をして居られますので、

キチンとした考えの基での治療を為さって居られると思い、

何人かは秘かにご紹介する機会があったのですが、

この1年位でしょうか?

其処で治療を受けたる患者さんを治療する機会が増えて、

私としては其の歯科医にたいする評価を全く変えなければならない破目となりました。

私らインプラントで長い間生きてきた人間にとっては、かような若い先生に対しては暖かい目で見守る積もりでおりましたが、

ご本人のご本人にたいする評価を、この際もう一度ご確認されることが必要と感じざるを得ない治療結果を前に

いささかを通り越して怒りさへ覚えてしまうんです。

先日も、この歯科医の手によるインプラント治療のやり直し。

せっかく入れたインプラントですから、、インプラント周囲の炎症に対しては外科的に対応してインプラントの保存をはかり、

アバットメントは新しく作り替えて、仮歯も併せて新しい形のモノに。

出来上がりは、以前とはまったく違う状態になりました。

土台であるインプラントは同じですが、後は設計の違いにより別物と変わり果てます。

患者さんが私の診療所へと転院するキッカケとなった症状が治ったのは云うまでもありません。

この歯科医には申し訳ありませんが、

長い間、歯科が大好きで、歯の世界だけにドップリと浸かって過ごしてきた歯のオタクをナメテは困ります。

以前に話題となったホテルやデパートの産地偽装メニューを思い出してしまいました。

ホームページは一種の営業活動です。

正しい情報をお伝えすることは大切です。

が、書き手は好き勝手なこと書けますから、御用心!御用心!

性格でしょうか?

池波正太郎の小説【剣客商売】ではありませんが、

私のような開業医もある意味に於いては、患者さんからの人気商売でもあります。

但し医師たる者は、技術が一番であって、それと共に人間愛がとても大切だと思って過ごしてきました。

遠くより大勢の患者さんがお越しになって下さいます。

本当にありがとうと感謝しています。

丁寧に治療に勤しんで、患者さんの期待に添いたいと思っています。

そう言う意味で私は、地元の歯科の先生方との競合は無いと認識しています。

若い時分は、鼻っぱしが太かった質ですから、同じ土俵に立つ気持ちもありませんでしたが。

昔から私は他人目が気にならない性格です。

これは仕事に精を出すのには随分と役にたちました。

私の歳になれば欲もありません。

遊びも好きなこと随分としてきて卒業したんだと思っています。

歯のナンタルかを追求する事しか興味がありません。

好きな仕事に生きてこれてつくづく果報者だと思います。

マイクロスコープ顕微鏡を使った歯科治療 続き

先のブログに於いて、マイクロスコープ顕微鏡が、どれ程に精確な、精密な診療をする上で

大切であるのかを述べさせて頂きました。

しかしながら、あまりにこの顕微鏡を重宝する事での落とし穴があることも併せてお話ししておかなければなりません。

木を見て森を見ず!という言葉があります。

拡大することは大切ですが、

歯科の治療に於いては、治療する歯の周辺の状況や、噛み合わせ、

粘膜の性状、唾液、モット言えば患者さんの体格から骨格、筋肉の発達状況、

とどの詰まりは、患者さんの性格も全体に渡って観る目を必要とします

それが人の身体を診る医者の使命だと思います。

何事もバランスのとれた見方ができる医者であることが大切だと考えています。

患者さんにとっての最良の鎮静剤は、どんな薬、麻酔よりも医者そのものであります。

そう言った意味に於いても、患者さんを見透す医者の目を養うことが、医者の日々の過ごしように於いては一番気をつける行いであると言って良いでしょう。

マイクロスコープ顕微鏡を使った歯科治療

私がマイクロスコープ顕微鏡を使った歯科治療を実践して随分となります。

手術はもとより、神経を採る治療から虫歯の治療、被せ物の治療全般に於いても

顕微鏡はなくてはならない私のもうひとつの目になりました。

科学とは探究の世界です。

遥かに細かく見える世界での歯科治療は、細かな仕事の代名詞である歯科治療に於いては当然の道具であると言って良いでしょう。

凝り性で、コダワリの私です。

カール.ツァイスの顕微鏡を贔屓にしています。

色々と使ってツァイスに行き着きました。

顕微鏡を使っていない方には判らんでしょうが、

それはそれは面白いモノです。

歯科で使う顕微鏡の倍率は、よくテレビのドキュメント番組で目にする心臓外科や脳外科で使う顕微鏡のモノよりも

ズットズット大きいんですよ!

但し、顕微鏡を買ったから直ぐに使えるという代物ではありません。

アメリカの専門医についてトレーニングを受けた昔を思い出します。

但し、欠点は疲れ過ぎてフラフラします。

1日に大勢の患者さんを治療椅子を並べて診療するスタイルの歯科では使える代物ではありません。

顕微鏡は大きく視野を拡大して、精確な精密な診療のために使う道具です。

削らない歯科治療、残す歯科治療の精密な目には顕微鏡はなくてはならない道具です。

私が患者の立場であれば、顕微鏡の無い歯科治療は受けません。

私の母校

7年前に私は母校に復職しました。

私が大学を去るに際しての事情?を知っている方などは

なんでアイツが!とお感じになって居られるのを認識しています。

日本歯科大学は明治40年に中原市五郎先生が私財を投じて設立した我が国で最初の歯科医学校です。

富国強兵の明治の時代に、国は医師の養成に力を注いでいました。

中原市五郎先生は、その様な時代背景のなか歯科医の養成を強く感じて、

国に歯科医の養成機関の設立を強く求める運動を行いました。

が、国は歯科医は医師に非ずと協力してくれません。

そこで先生が自ら設立したのが日本歯科大学です。

建学の精神は、その様な理由から【自主独立】であり、

独特の教育方法で歯科医を輩出してきました。

現在に於いては、東京と新潟に2つの歯学部と大学院、短大、附属病院を併せ持つ

我が国で最初で最大の歯科教育機関です。

従って、我が国の歯科医における最大の派閥を誇っています。

私は当時の上司と衝突してというよりは、結果的には衝突しましたが、

今は亡きレイモンド.キム先生の治療に魅せられて大学を飛び出しました。

大学院にて博士号を取得した者は、ある期間は大学でのお礼奉公をという暗黙のルールを

初めて破ったのが、かくいう私です。

ですから母校の後ろ楯を一切失う破目となりました。

そう言う意味で私は、ある意味有名人?だったと思います。

振り返り観れば、そのくらい歯に夢中で、当時の上司には申し訳ありませんが、

やはりレイモンド.キム先生の治療が凄かったのです。

そこからは速かったです!時間が経つのが。

無我夢中でした、歯の魅力にとりつかれて!

で、何処かでの私の講演をお聞きになられていた現在、全身管理科の教授をお務めになっている

藤井先生から、三枝さん、戻ってお出でよ!とのお言葉で復職することになった訳です。

専門過程の学生さんと大学院生の保存学と、教養過程の1年生のプロフェッションという授業を受け持っています。

私は新潟校に愛着があります。

伝統の上に新進気鋭の工夫を教職員一同が一丸になっている事と、

やはり雪国文化と気候が好きなんです。

上杉謙信公に山本五十六元帥、田中角榮元首相、坂口安吾に良寛様を輩出した訳が判ります。

今は、好きな診療に携わって、それを大学で確認作業が出来つつ、若い人たちとの関わりあいが持てて幸せですね。

兎に角、私の仕事にはテッペンがありませんから。

少しでも上手になりたいですね。

で、自分の経験を後輩達にフィードバックして、歯科界を通じて世のお役にたって貰いたいですね。

私の毎日

高松での診療、日本歯科大学で担当する授業と実習、そして研究で精一杯なのが本音です。

1日アッという間に過ぎていくのに戸惑います。

診療に於いてもモットモット工夫を凝らしたい!

患者さんの治療成績の分析を詳細に行い、今後の診療に役立てるようにと夢中です。

そこから新たなる治療方法が生まれて来ます。

私の【吸着入れ歯】はそうして生まれました。

インプラント治療に於いても、【三枝メソッド】は日々進化を遂げています。

私の治療は、既に数年前の残骸は留めておりません。

毎年の進歩を、母校での私の特別講演にて披露しています。

日本歯科大学で教育を受ける人たち、教育に携わる人たちへの私の感謝の気持ちです。

私の治療の勘所は大学でしか披露していません。

日本歯科大学で学んだ者としての、母校への恩返しです。

後20年位しか第1線に立てません。

70過ぎますから。

ヤりたい事が沢山あって、歯科って本当に面白いですよ!

虫歯の制御、歯周病の制御はある程度目処がついたと感じています。

インプラントはライフワークとして、安全で医師の技術差に影響を受けない方法を研究中です。

今年からは、本格的に部分入れ歯の研究に着手する予定です。

ヤブも誰しもインプラントと、大丈夫かいな?と思って仕舞う昨今ですが、

インプラントが出来ない患者さんがお気の毒!

確りと噛める部分入れ歯、残った歯と長く共存出来る部分入れ歯を

絶対に造ってみせます程に!

青春の決意

今年で52歳になる私ですが、ちょうど17歳の今日の日に、受験のために私は上京しました。

新幹線の窓からの光景は、恐らくは夕食時であったろうと思います。

流れゆく街の灯りに、それぞれに人の生活があるのだと感じたことを覚えています。

この街で暮らす人それぞれに、様々な生きようがあるのだろうと、

これからの自分の境遇に不安を隠せなかったのを覚えています。

幼い頃より私の側で私を見守ってくれた観音様の仏像を壊れぬようにと

タオルで包んで入れた鞄を脇に抱えて、上京しました。

商家に生まれ育った私は、親に内緒で歯科の道に入りました。

合格さえすれば、独り身の、私を溺愛する婦人科の叔父が援助してくれるに違いないと、

覚悟を決めて、秘かに歯学部受験の準備に将来の自分を賭けていた私です。

34年も経っても、あの時分の私を忘れることはありません。

恋い焦がれて歯科の道に入りました。

で、今の私があります。

遅くにホテルに入り、小さなベッド脇の机の上に観音様を安置して、

さぁいよいよ戦いが始まるのだと力んでいた自分の姿を懐かしく思います。

翌朝、直ぐに浅草の浅草寺にお詣りへと地下鉄に乗り、

それからの数日の出来事が走馬灯のように脳裏に浮かんできます。

なりたい仕事に就けた幸運に感謝する気持ちを忘れたことは、ズーとありません。

この感謝の気持ちを患者さんへお返ししたいと日々を過ごしてきました。

タワイモナイ話し

半年振りにメンテナンスにお越しになられた〇〇さんとの会話です。

久しぶりですね!お痩せになったんでは?

体調壊して!凄く痩せたでしょ?

良かったじゃない!だって〇〇さん、ぜんぜん痩せられなかったじゃない!

まぁ、先生、酷いこと仰るじゃない!

まぁまぁ!で、お幾つになられましたっけ?

もう71よ!先生。

えっ!全然みえへんわ!

まぁ、嬉しいこと仰るわね!此方にお世話になったのが45の時。

そんなになりますか?

そうよ!先生、インプラントを入れてから、全く肩も凝らなくなって!

はぁ、そんなもんですか?でも少し運動はなさらんと!

私と患者さんとのヤリトリはこんなモノです。

半年後に、またね!とお別れしました。

患者さんと共に良い歳のとりかたをしたいと願っています。