月別アーカイブ: 2019年6月

父の死

カトリック教徒である私ですが、

長男として生を受けた私の書斎には、

家の大きな仏壇を安置しています。

ご先祖様と共に生きるという考えは、

日本人の中の日本人を自負する私には、

ごくごく自然のことです。

このような私が、

壮年期に、

カトリックの洗礼を受けるという事実は、

大変な葛藤もあり、

その壁を乗り越える試練も、

皆さんの想像以上に、

過酷だったと

理解して下さい。

現状、

日本男子の長男の責任でご先祖様の御供養を務めることと、

ご先祖様への親しみという感情をもつことと、

カトリック信仰とは、

別物としてとらえています。

家督を次代に譲るまでの、

家の長男の大きな務めだと、

信じて疑っていません。

朝、夕の、

お供え、

読経は、

これも・やはり長男の仕事だと自然にとらえています。

このような過ごしようも、

神さまのご意思だと思っています。

仏壇の中の過去帳に、

両親の名前は・ありません。

家業を閉じる際に、

財産めいた物を一切、

余生と一緒に、

一切合切を、

娘夫婦に託したと、

人伝に聞きました。

それはそれで・構いません。

私が両親から受け継いだモノには、

身体は勿論のこと、

感性なり、

センスだったり、

手先の器用さなど、

感謝しても足りないモノも多いですから。

身体を資本に、

自分の人生は、

自分で切り拓いて、

自分で創ってゆくと考えています。

ただ、

がらんどうとなった家に、

ただ1つ残された先祖の仏壇の前に立った私の心は、

我が表情は見えませんが、

身震いしたことだけが、

忘れることができません。

長男が長男へと、

死と引き換えに、

繋いでゆくのが、

先祖の供養だと、

私は考えていました。

その点においても、

両親と私とは、

交差する一点もなかったことを

改めて自覚したのです。

以降、

家の大きな仏壇は、

移送され、

私の書斎で、

私の仕事を見守ってくれています。

戒名も聞かされず、

葬儀の日程、場所も、

これも何も知らされず、

ただ、

先ほど父が亡くなったとだけ。

それもSNSという手法で、

何処で、

何故の理由もなく。

一昨日の夜更けに知ることになった

父の死を、

今朝、

過去帳の没日の欄を開いて、

戒名を空欄とし、

俗名、命日、祖父母との続柄を、

記して、

いつものように、

お供え、

読経という習慣化された

長男としての仕事を続けました。

私は・それで良いのだと思っています。

私は祖父母たちや、

ご先祖様のお位牌を前に、

しょっちゅう会話しています。

祖父母たちは、

我が息子を、

どのような気持ちで迎えるのでしょう。

私は嫌な過去は忘れるように

心がける習慣がつきました。

ただ、

情けない想いにて、

波が頬を伝わったことは否定できません。

命日に、

戒名を記していない父の名前をまえに、

毎月、毎月を、

私は仏前にて、

何を思い、

何を語るのでしょう。

 

私の流儀

家督を継ぐことと、

家業を引き継ぐことを

私は別物として考えてきました。

時代は移り変わり続けるモノです。

昨今の、

人の仕事がAIに取って代わられるという話題作りのように、

家業は時代、時代によって、

変わってゆかねばならないという考え方を、

青春期から、

私は確信していました。

所謂、

動く大八車の乗った大黒柱論です。

仕事の種類よりも、

家が栄えることに重きを置く考え方を

私は支持しています。

そのような考え論者である私ですから、

家業を継がずに、

18の歳に、

歯科医学の門を叩いたのです。

その見返りとしての報いは、

今日に至るまで、

私は自覚しています。

全て自己責任ですから、

仕事に関しては、

一切の泣き言は言えません。

ただただ、

全力疾走で前を向いて、

走ってきました。

私にとっては、

仕事が、即ち人生の生きる意味でした。

これは、

今でも全くのブレは・ありません。

歯科医師としての私は、

確たる地盤の上に立ってい、

それは、

絶えず、

注意深く、

細心の警戒態勢で、

逆に、

たゆまざるチャレンジ精神で、

新しい光に向かって、

進むことを

決して苦労だとは感じていないからです。

人格形成のほとんどは、

幼児期に在ると聞いています。

その上で、

思考回路に影響を受けるのは、

少年期から青春期の環境です。

その基盤の上に、

どれだけ継続性のある自己努力ができるのか。

それが成功への鍵だと考えています。

 

 

 

 

 

 

イタズラっ子

私を担当する営業マンが・嬉しそうだったもんで、

つい、

どうした?

良いこと・あったんだ!

すると、

先生、結婚することに・なりました!

おう!

ソレはおめでとう。

私の担当者ですから、

彼はキツいと思いますよ。

しょっちゅう・私から雷を落とされる。

でも、

表情が何時とも・違った時には、

必ず、

どうした?

俺に言ってみろ。

ふん、ふん、なに、なに。

で、

私が助けてあげられることは、

即座に

解決できるように、

第三者との問題が原因であれば、

それとなく、

先方が彼を敵対視しないように、

防御してきた積もりです。

そんな関係ですが、

彼の年齢は知らなかった。

で、

君、幾つになった?

37になります。

そりゃ・所帯を持たねば・ねっ!

そうなんです。

でも先生、

心配事があって。

なんだい?

子どもが・できるでしょうか?

彼女は何歳?

40です。

年上女房か。

君は頼りないから・いいじゃないか。

で、

子どもなんて・すること・すれば、

できるじゃん?

ソレが、

2年ほど昔、

この彼女との授かった命が流れてしまったンです。

で、

立ち直るのに2年も要したんです。

ん~ん。

命は神様からの授かりもの・ですから。

私には答えられません。

ですが、

朝から暗い雰囲気もナンですから、

場を盛り上げ、

彼のモチベーションを向上させるために、

おい、金冷健康法だっ!

いいか!

100金で、

洗面器2つ買ってきてな、

帰宅途中でコンビニ寄って、

かち割り氷を買って帰れ!

でなっ、

いいか!

1っ方の洗面器には・熱い風呂の湯。

もう片方の洗面器には・コンビニで買ってきた

かち割り氷と水。

そこになっ、

金玉を交互に漬けるンだぞ!

間違うなよ!

竿でなくて、

金玉の方だ!

先生、ソレは効果あるんですか?

鍛えるほどに・鍛えられるのが人間の機能だ。

これが元気な遺伝子の素を造るんだぞ!

晴れ晴れした表情で、

彼は診療所を後にしたのです。

あまりにも私の声が大きいので、

個室待合室に居られた女性患者さんに、

聞こえたンでしょう。

先生、金冷健康法って本当ですか?

爆笑しちゃい・ました。

これこれ、淑女が金冷などと、

ハシタナイ言葉を使っては・なりません。

効果は、

私は・試したことありませんから、判りません。

でも、

何事も、

一途に信じて、

とにかく実行。

で、

続けること・です。

先生、あの方のお声が、

お帰りになる際には、

晴れ晴れ・されておられるように聞こえました。

先生、私も信じちゃいましたよ。

昔から、

イタズラっ子で・すみません。

物指し

難しい症例を

お引き受けすることになりました。

難しい症例というのは、

正常な成長過程と調和した歯科治療から大きき逸脱した時に、

人の口腔は破壊へ猛進します。

ほぼ全ての歯は、

無秩序な人工物によって、

本来の健康を喪失しています。

大型のセラミックブリッジ、

無設計なインプラントの配列。

口腔と、

頭蓋骨格、筋肉との調和など、

嘲笑うかのような・歯科治療の痕跡。

どのような症例を前にしても、

私は次のように、

自分の物指しを念頭に、

頭の中の整理を進めてゆき、

その物指しから逸脱した彷徨う歯を

元の営みを回復できるための

手立てを考慮しています。

先ずは、

いつも大きな2つの視野から、

症例を冷静に診査・観察しています。

1.炎症のコントロール

2.力のコントロール

ここを外してルのは、

どの部分が原因なのか?

そのような一定の物指しで、

物事を精査することは、

とても大切な習慣です。

その上で、

歯槽骨の連続性を平坦化しながら保つための、

個々の歯の観察を行うのです。

このような診査にはCTは無力です。

古典的な歯科用レントゲンの連続像と、

基準値を設定し咬合器にマウントした

患者さんの口腔模型、

そして、

患者さんの口腔内写真が必須です。

そこからが、

歯科医師の頭脳戦です。

そんな・こんなで、

この2日ほどは、

頭の中が飽和状態でした。

こうして、

ブログの更新できるのは、

霧が去っていって、

一区切り、

この難症例が診えてきたことになります。

長年、

歯科治療に携わり、

何事においても、

諸般全般を、

このような物事の考え方をする習慣が身に付きました。

職業が人を育てる・証とも言えましょう。

私は歯科治療することしか・できない

不器用な生き方を選びました。

今では、

ソレも・やむを得なかったのだと、

自分の【縁】を大切に感じています。

 

天下泰平

最近では、

親たる者でも、

躾のために

子どもに手を出したら、

警察に捕まるのだ・そうな。

何処の家庭でも、

思春期の子どもの暴言や、

我が儘・気儘に対して、

心悩ませ、

悩み、

ソレでも我が子・可愛さと、

子どもの将来のために、

軌道修正に四苦八苦し、

手立てに、

一生懸命な親の切なる声を

治療の合間の雑談で、

耳にする機会が増えました。

私自身も・そうです。

躾。

どうなるんでしょう?

昔の人気テレビドラマの【寺内貫太郎一家】。

今なら、

速攻で親父は牢屋でしょうか。

【巨人の星】の星一徹。

この方も・間違いなく牢屋でしょう。

学校の現場でも。

教師が生徒に手を出すと、

即・体罰と世間から叩かれる。

私の育った【時代】とは、

大きくかけ離れてしまいました。

子どもたちも、

何年か先には・成人となる訳で、

世間で、

我が儘・気儘が通用する筈もなく、

どうするんでしょう?

でも、

働き方改革ですか?

今では、

いっぱい働いたら駄目ナンだそうです。

本当に・そうでしょうか?

今日は日曜日ですが、

歯で辛い思いをされておられる患者さんを

診察していました。

根管治療です。

休日ですから、

私一人で・診察していました。

私にとっては【普通】のことです。

だって私は【歯科医師】ですから。

治療しながら、

何で、

痛みの原因が判らない歯科医師が居ることが、

判らないのです。

私ら技術職は、

経験を積んでこそ、

五感が磨かれるのですから。

今現在の日本って、

私は国際競争力で負けると確信しています。

だって、

筋目が通ってないじゃないですか。

こんなこと書くと、

またまた、

批判を受けるンでしょうが、

チョッと、

女性が強すぎになったことが、

影響してるんだと・思うんです。

男はプライドで生きる生き物です。

持ってはならないプライドも・ありますが、

全く、

男のプライドに無頓着な女性も、

増えたように思います。

天下泰平の時代だからでしょうね。

このブログ、

炎上モノでしょうね。

 

 

忙しい?

私の診療所は、

もうダメだ!

他の歯科医院では、もう触って欲しくない!

歯医者なんか・信じてなるモノか!

そのくらい、

高くお金払って入れたセラミックブリッジ治療が

見るも無惨に根が折れて、

歯茎が腫れて止まらない。

歯科医師にそそのかされて受けたインプラント治療。

どころが、

ぜんぜん噛めない!

マイクロスコープ治療で根管治療。

ソレなのに、

痛みが止まらない!

激痛の毎日。

入れ歯治療したら、

痛くて噛めないどころか、

顔貌は老けるし、

食べるどころか、

入れ歯が口の中で踊って、

飛び出しそうな塩梅。

どうなってんの!

それでも、

ラストチャンス。

三枝先生とこに、

勇気を出して行ってみよう!

そんな患者さんには、

三枝デンタルオフィスは、

大きく門戸を開いています。

そういう患者さんばかりですから、

ゆっくりと、

時間的に余裕を取って、

付ききりの診療体制をとっています。

新患も・かなり多いです。

ですから、

本当は、

時間のやり繰りに苦心しながら、

毎日の診療に勤しんでいます。

顔では笑ってますが、

内心でも、

頭の中でも、

次から次へと、

フル回転ってな処でしょうか。

時たま、

勘違いして、

来るところを間違えて、

お越しになられる方がいます。

初診で来た早々、

腕時計ばかりご覧になってらっしゃる。

で、

ご自身の自己診断にて、

とにかく速く治せと仰る。

口腔を拝見すると、

歯の色を治せという以前に、

歯周病の進行もかなり進んでらっしゃる。

ご自身の現状認識が出来ておられないんですね。

説明申し上げても、

忙しい!忙しい!の、連発。

私の治療は、

多数歯露出のラバーダム防湿や、

マイクロスコープでの治療が主ですから、

治療をお受けになられる患者さんも、

皆さん、

他所の歯科医院のラバーダム擬き、

マイクロスコープ治療擬きが、

即座に理解できるようです。ですから、

この方には、

先ずは、

小さな虫歯から、

治療を受けてみてはいかが?

そうやって・練習しましょう!

そう申し上げたのです。

すると、

練習っ!

まるで私が、

その方を練習台にするかのように

受け取ったようです。

私も気が長くなりました。

今の状態で歯科修復をしても、

長くは保ちませンから、

歯周病の治療を進めながら、

状態の変化に合わせて修復するタイミングを見ては

いかがでしょうと。

すると、

私は時間がない!

忙しい!

忙しい!

本当に私は気が長くなりました。

私の診療所では、

あなたのご希望を叶えて差し上げられません。

他の歯科医院をお勧めします。

そう申し上げたのです。

こういう方の後って、

疲れがガクンと来ます。

練習台って?

私が患者さんを練習台にするほど、

下手くそでは・ないわぃ!

眼を閉じて左手で治療しても、

そんな下手くそな修復治療など、

したこと・ないわぃ!

医師は患者さんの前では・平然と観せる習性を身につけてるんです。

でも、

人間ですからね。

そもそも、

忙しいと口にする人に、

名経営者はおりません。

ソレなりに、

私も人脈広いですから。

この稼業、

長くヤッテますモノで。

世間というモノは、

とても狭いのです。

横柄な態度って、

後から、

自分に跳ね返ってくるモノですのに。

謙虚さが美徳ナンですがね。

今日は日曜日ナンですが、

困ったから助け下さいって、

新しい患者さんの初診。

そのくらい、

私も、

時間のやり繰りに苦労していますが、

忙しい!

忙しい!

なんて・考えたことはありません。

 

 

言霊

カトリック信仰の日々のなかで、

1番・良かったことは、

綺麗な【言葉】に・

囲まれる環境に置かれることです。

祈りの本・しかり、

聖歌・賛美歌・しかり。

【言霊】という言葉の通り、

生活の質の変化は、

言葉によってもたらされた結果だと思います。

 

 

グロリア

サン・パウロ教会での復活徹夜祭のミサのライブCDを

起床して直ぐに聴きながら、

朝の準備に取りかかりました。

やはり、

グロリアは、

とっても・心に響きます。

立ち止まり、

聴き入って、

泪が・止まらなくなるのです。

その際の感情を一言では・言い表せません。

信仰を持つことに、

変わり者と評価されるのは、

戦後の日本くらいでしょう。

時を過ごしながら、

何が普通で、

何が非常識なのか、

私は判らなくなりました。

ですから、

歯科治療という【芸事】に、

より没頭するのかも・しれません。

 

良き時代

私が学部の学生時代の昔話です。

自宅アパートの道路をはさんで、

向かいの一軒家が、

なんと!

母校の看板教授の別宅?だったのです。

ですから、

時々、

玄関戸を空けた瞬間、

互いが、

マヌケタ顔したたと・思いますよ。

マズい!

そんな境地でしょうか。

で、

そんな機会が増えたモンですから、

〇〇教授から声をかけて頂くことが増えました。

三枝っ!

夕方までに洗車しとけっ!

今なら、

アカデミック・ハラスメントって非難されるんでしょうか。

当時の私の気持ちは、

全くの逆でした。

栄光の〇〇教授の誰かさんの車を洗わせて頂く

名誉なお手伝いって、

そんな気持ちで、

汗だくになって、

一生懸命、手洗い・ワックスかけたモンでした。

洗車が終わった頃合いで、

〇〇教授が缶コーヒー持参で、

三枝っ、横に座れってなモンで、

歯科医師としての生き方など、

しんみりと、

夕陽の中で聞かせて頂いたモノでした。

【鬼手仏心】という言葉も、

この〇〇教授が、

医師の職責を言い聞かせて下さった際に、

教えて頂いたと鮮明に記憶しています。

この言葉を重く認識して、

私は歯科医師として患者さんの診療に勤しんでいます。

ですから、

〇〇教授は、

専攻こそ違え、

私の恩師の一人と思っています。

そんな話しを、

日本歯科大学の黒川病院長にしたら、

そうだよな!

昔は・そうだった!

三枝って、

お前、〇△教授、知ってる?

はい、私が大学に帰る際に、

引っ張って頂いた当時の学部長です。

〇△教授って、

私の名前を呼ぶ前に、

馬鹿野郎っ・三枝っ。

必ず、馬鹿野郎という枕詞を使っておられました。

そんなことを黒川病院長にお話しすると、

そうなんだよな!

あの馬鹿野郎って、

実は誉め言葉ナンだよなっ。

で、

俺の話し・知ってる?

???

なぁ・〇△教授って、

ゴルフ好きだったじゃん?

廊下でパターの練習してるわけさ。

そこに若い頃の俺が、

先生、先生って、

近づいて行ったんさ。

すると例の・馬鹿野郎が出ると共に、

パターが竹刀のように、

俺の頭上を打ち付けてきたんさ!

なっ。

〇△教授は、

寸止めの積もりだったンだが、

パターは金属だろっ?

シナってよ!

頭の脳天に一発食らった瞬間、

目の前が真っ白!

で、

気絶だよ。

廊下に倒れ込んじまった!

ここで・おもしろいのが、

〇△教授が、

なんて・声をかけてきたと思うっ?

普通なら、

大丈夫か・黒川っ!

だろっ?

ソレがな、

飄々とした顔で、

黒川、お前、いつから背が伸びたんだっ?

瞬間、

私は泣きながらの・大笑い!

黒川病院長も仰っていました。

俺は、この先生には、

トコトン就いてゆこうと思ったンだ。

で、

昔の教官と学生の関係って、

絆だったよな!

大学での仕事を行う際に、

黒川病院長のサポートは、

非常にきめ細やかな心遣い。

部下の一人・一人を、

実によく観ていらっしゃる。

最近、

小学校、中学校などの初等教育の現場の話題を

頻繁に耳にします。

そんな時に、

私の育った母校の良さをしみじみ・ありがたいと。