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私 の 根管治療

昨日

お示し した

私 の 【根管治療】 の 1部。

 

ウチ の 青年歯科医師たち

三枝塾 の 若手歯科医師たち

から

あんまり   質問が 多く

携帯電話 が パンク する 始末。

 

面倒 なので

オンライン電話って 云う 便利な 機能 を

青年歯科医師に 設定 して 貰い

イッペン に まとめて

解説 したの です。

 

なぜ

この 2枚の 写真を 観て

【手直し】 の 意味 方法

判らない のか?

私には 理解 できません。

 

マイクロスコープを 使った 根管治療って

別段

根管 の 小さな 入り口 を 見つける ために 使う 訳では ありません。

 

根管内部 の 根管壁

根管尖端 に ある 根尖孔

視ながら

作業する ために

マイクロスコープは 必要なのです。

 

ですから

その 肝心な 部分が

手にとる ように 視える ように

根管 の 入り口部分 に

覆い被さった 象牙質を

如何に ダメージを 与える ことなく

邪魔な 部分を 取り除く。

コレを 専門用語 で

【オルフィス の 形成】 と 言います。

 

このステージで 根管治療の 8割は 決まります。

 

この 手順の 大切さ は

半世紀以上 前の テキストブックにも 記載されて いる のに。

 

今 の 世代 の 先生方

急ぎ 過ぎる 傾向が あるん です。

何事に 対して も。

 

ソレと

常々

【整理整頓】を 心がける。

 

ソレが 歯科治療全般 の 決まり事  に 繋がる と 思います。

 

 

【血は 水より 濃い】と 言いますが 本当で しょうか

私は 昭和38年 産まれ です。

誕生日 は 天皇陛下と 同じ。

 

幕末に 産まれ

明治に 育った ばあちゃん から

日常の

ニッポン男児 の 作法  所作 を

叩き 込まれ

少年期 から 青年期

【24時間 働きますか】

リポビタンD の コマーシャル で

生き方 を 身に 染み込ませた 世代 です。

 

三枝家 は 播州赤穂 の 出。

播州赤穂 と 云えば 【忠臣蔵】

 

義理 と 人情

恩義 と 辛抱

そして

身を 棄てても

恩義 に 報いる

DNA に 刻まれた 人間 です。

 

私は つくづく 旧い 日本人に なった よう です。

 

ソレでも

構いません。

 

想う ところ 多々 在り の 数年間。

 

少子化 の 我が国。

子ども の 【権利】を 尊重する

ソレは

ごもっとも。

 

でも

過剰な 過保護

イイん で しょうか。

 

夫婦は 基を 正せば 他人です。

 

私は 現配偶者 には

運良く 恵まれ ました。

そうで 無い 配偶者も ありました。

 

母親 の 影響は 絶大です。

 

泣いている お父さんたち

新橋 の レール下 の 飲み屋で 頻繁に 見かけます。

家に 帰りたく 無い のだ と。

 

私にも

そのような  期間  長年 経験しました。

 

お気持ち  よ〜く 判ります。

 

子どもは

悲しい かな

母親の 影響を 大きく 受ける のは 必定。

 

お父さん を 褒める お母さん。

ソコに

人生 の 変わり目 が 在る ことに

気づいて ください。

 

世の お父さんたち

家族の ため

不条理に 堪えて 頑張って ルン です。

 

 

 

根管治療 の 違い

この 写真

この 写真

の 【違い】

判って くださる 歯科医師

随分 と 減った

この頃

つくづく 感じます。

 

さまざま な 【工夫】を 駆使して

始め の 写真の状態

から

後 の 写真の状態

まで

もって いったん です。

 

根管充填ほど 【地味】な 治療は ありません

ソコに

歯科治療の 【醍醐味】を 感じる の です。

先祖供養

高松市郊外 の 三木町に 移転した

私の ご先祖様 の 墓地。

 

実は

私が 開業する際

銀行からの 借り入れ金 の 中に

墓地 の 移転の 経費も 含めて 借り入れを お越しました。

 

もう 30年以上 も 前 の 話し です。

 

私は 父とは 生涯

合間見えない 仲 でした。

 

父は 商家の 跡取り 息子。

典型的な 若旦那。

祖父が 88歳で 亡くなる まで

実印さへも

祖父に 預ける ほど

親に 弱い 性格でした。

 

本人的にも

想う ところ 在ったん でしょうね。

仕事 より

さまざま な 団体 会 の エライさん ばかり

引き受けて

ゴルフ  麻雀  カラオケ  クラブ 活動に 精を だして おりました。

父には

多くの 弟たち 妹たち が おりました。

 

時たま

彼らが

祖父 の もと に 訪れて

雑談  に  興じる のを 接し

青年期 の 私は

ある意図を 察した の です。

 

いつか 相続で 揉める だろう と。

 

私は

先手を 打って

親類縁者

もちろん 両親 にも 内緒で

歯科大学を 受験しました。

合格すれば

母 の 兄である 婦人科医 の 叔父が 助けて くれる。

そう 考えて

早稲田出身者ばかり の 我が家 の 掟を 破って

日本歯科大学に 入学したの です。

 

思った 通り

私は 三枝家とは 絶縁状態 に なりました。

 

時は 流れて

私は 歯科医師に なり

大学院 にて 歯学博士号を 取得して

商家 の 跡取り息子 の 立場を 放棄した 矢先

祖父が 亡くなり ました。

 

四十九日を 過ぎて

父は

兄弟 姉妹 連合で 裁判を 起こされ ました。

会社 の 経営権 を 巡って の 裁判です。

 

実は

私には 生みの親 とは 別の 親が おりました。

ただ

実際に

私を 溺愛して くれたのは

その 祖母だった の です。

 

私 の 生き方 に 大きな 影響を 与えた のは

婦人科医である 叔父 と その祖母なのです。

 

私は 近い将来 起こるで あろう 父の 裁判を 予想して

三枝家 の 墓地

叔父 の 先祖

私の 母方に 将来 起こるで あろう 問題を 鑑み

母方 の 実家の 成瀬家の 墓地の 移転墓地 を 準備したの です。

 

三枝家の 墓地は 裁判後 直ちに

成瀬家の 墓地は 今から8年くらい 前に 役に たちました。

 

【常に 備えよ】

ソレが

私が 祖母 叔父から 学んだ 人生訓 です。

 

墓地は 箱庭 の ような 讃岐平野 高松市郊外 の 三木町に あります。

私の 自宅から 車で 20分程度 の 場所に

三枝家 と 成瀬家 の 墓地

並んで 建立 しています。

三枝家の 墓標は 4代前から ですが

成瀬家の 墓標移動 大変でした。

成瀬家が 犬山から 讃岐に 移転してから ですから

江戸期 中盤くらい だった から です。

 

遺骨の 埋葬手続き も 四苦八苦 しました。

役所手続き 大変 なのです。

 

時代 は 【墓仕舞い】の 方向に ある のだ そうなっ!

 

判らない 訳では ありません。

教育 思想 が 戦後 激変 しました から。

 

しかし

私は 大きな 違和感を 感じます。

 

ご先祖様 在って の 自分ですから。

 

ただ

自身 の 子ら を 観

コレまた

大いに 考える ところ 在り。

 

私は

毎月

墓地の 掃除を します。

 

顔知らぬ ご先祖様 も 多い の です

小遣い せびった バアチャン ジイチャンも 眠って います。

 

血 の 流れ を ひしひし と 感じます。

 

父の 墓標。

遺骨は ありません。

他家に 嫁いだ 姉が 返還しない から です。

 

もしかしたら

私との 相克あった 父の 遺言かも しれません。

 

祭祀 に 関して

他家に 嫁いだ 者が 短慮に 判断すべき では ない

私は 考えて います。

 

父の 墓標に 手を 合わせて

【男】して 想う ところ 無い のか?

問い ながら

ソレでも

父の 性格柄

やむを得ない こと かも?

言葉なき 会話する 今日この頃 です。

 

ただ

確信いたします のは

私 の 背後には

大勢の ご先祖様が 守って くれて いる と。

 

最近

ヤタラ と

草ボウボウ の 墓地が 多く なりました。

 

私の 子ら。

どう 考えて いるのか

私は 問うた ことは ありません。

 

私は カトリック信者に なりました

から

この墓地に 埋葬される ことは ありません。

 

遺された ご先祖様を 考える と 頭 痛い のが 事実です。

 

私には

【墓仕舞い】など バチあたり な こと

到底 デキません から。

 

あ〜  良かった!

昨日

四国中央市 の 市議会議員選挙 の 投票が 行われました。

 

HITO病院 の 石津部長

見事な 獲得投票数 にて 当選を 果たされ ました。

先ずは

おめでとうございます。

 

石津先生

出馬に 際して

なかなか 決心が つかなかった の です。

なぜなら

病院 の 事務諸般 の 統括者ですから

院務業務 に 差し障りが 在ったら

患者さん に 申し訳ない と。

 

最後に 決意した 契機。

ソレは

来たるべく 【南海トラフ地震】に 対する

医療業務 への 準備に 備える こと

昨今 の 国の 方針である 医療費抑制 による

地域医療の 崩壊 への 準備段階に 入った こと

日々 日々 感じ

地域医療を 守る

ソコに

危機感を 感じた から でした。

 

HITO病院 の 理事長 は 石川香代女医。

東京女子医科大学卒 の 地域医療に 対する 情熱の 塊。

厳しい 方 です

心 優しい 女性医師 なの です。

ゴールを 決めて

コツコツ 努力する 姿に

私は

この 年少 の 女医さんに 敬意 を 評して おります。

 

石津先生 の 決意 と 選挙

石川理事長 の 陰ながら の 賜物だと。

 

地域的 に 四国中央市

【南海トラフ地震】の 際

四国 の 医療の 要に なる でしょう。

 

徳島県 高知県 は 津波被害により

医療機関は 機能麻痺する 可能性が あります。

愛媛大学附属病院も 愛媛県西部地区の 津波被害 と 原発への

対応に 対応しなければなりません。

 

香川県 の 基幹病院

地盤の 液状化

人員不足 にて

他県への 対応には 力不足に なる でしょう。

 

四国中 を 網羅する 高速道路網

海上輸送 等

加えて

地域的な 優位点 に おいて

四国中央市が 医療の ハブステーションに なる でしょう。

 

そのような 背景から

石津議員 の 出現は

大きな 意味が ある の です。

 

人あたり 良い 公平潔癖なる 人物です。

 

良かった! 良かった!

 

 

 

患者さん との 【距離】

診療室 の 患者さん用 ソファーに

並んで

その患者さん の 口腔内写真を 観せながら

現状の

私の 診断に おける 【悩み】を

隠すこと 無く

お話し させて いただいて いる 光景です。

 

私は

患者さん に 対して

何事も

包み隠さず オープンに 話す のが 流儀。

 

この患者さん  を   含むて

私より 【年少】の 患者さん が 増えました。

 

私は 母の 【老い】を 身近で 観て

時には

恐ろしく も あり

時には

思う ところ 多々 あり

4年を 迎えて います。

 

【健康】の 定義。

母は 血液検査上の データーでは 健康体と 言えます。

痴呆が  日々 進行して ゆく 様に

戸惑って います。

 

ただ

私が 32歳の 年に

母の 骨盤から 自家骨を 採取して

口腔に 移植し 埋入 した インプラント修復は

来年の 2月に 62歳を 迎える

私の 年 まで

母の 食べる【楽しみ】には

十分に 役に たって いる ようです。

 

母は

既に 全ての 歯が インプラント修復 である こと すら

判って おりません。

 

好物を 嬉しそうに 食べながら

私 の お腹 と 歯は タイシタもの でしょう!

自慢する 様に

少しだけ  の  親孝行 か

安堵して います。

 

毎日

患者さん と 接しながら

みなさん

健やか に 長生き して いただきたい

思いつつ

アフター三枝 の 手当てをも

常に

頭の ど真ん中 に 置いて

治療方法を 第1選択 する ように なりました。

 

先ずは

患者さん 自身に

ご自身 の 口腔状況を 完全把握して いただく ことに

多くの 時間を 充てる ように なりました。

 

加えて

歯科医院での 定期的な 口腔清掃 に 頼る より

先ずは

ご自身で 完璧な プラークコントロールの 技術を

身につけて いただく ことの 重要さ

コレも

母から 学んだ の です。

 

痴呆症 の 母ですが

一度 身についた プラークコントロール

歯磨き

忘れて おりません。

 

施設に 入所した 当初

訪問歯科治療 の 歯科医師 と 歯科衛生士が

母の 口腔に ミラーを 入れた 刹那

 

母は

その手を 払い のけて 言った 台詞 が

あなた は 【荒い】

だった そう です。

 

歯科医師 と 歯科衛生士は 驚き

その 時

介護施設 の 職員の 方が

三枝先生 の お母様 です

と。

 

訪問歯科の 先生 と 歯科衛生士さん

には

お気の毒 です が

患者さん とは

身体感覚 を 忘れない の です。

 

そのあと

母は 全く 訪問歯科治療 訪問歯科清掃 は 受けて おりません。

 

私 も 特に なにも して おりません。

 

行く たびに

母専用 の 歯磨剤 と バトラー222番 の 歯ブラシ

ルミデントM の 歯間ブラシを 持って ゆく だけ です。

 

私の 歯科診療 の 極意  と  問われれ ば

【清掃性 の 良さ】

【力学的 安定性】

つきる と 考えて います。

 

【力学的 安定性】は 歯科医師 の 腕の 見せどころ。

しかし

【清掃性 の 良さ】に 関しては

患者さん  ソレゾレ の 癖を 熟知しなければ なりません。

 

そのため も 含めて

私は

患者さん との 【距離感】

グイグイ と 身近で なければ ならない

縮めて ゆくの です。

 

写真の 男性患者さん は

全般 に わたり

コダワリ の 判る 【違い の 判る 男】

私 と 同様に

食 にも 一言あり

へんこつ者 (スミマセン)

私は

このような 人が 好きです。

 

私 亡き あと

美味しい モノ 食べながら

私を 思い出して いただけたら

歯医者冥利に つきる

現在

知恵 を 振り絞り

治療方法を 選択して います。

 

青年歯科医師たち に

私 の 苦悩が

目蓋に 焼き付いて くれたら。

そんな 想い にて。

 

長い 冬の 夜

昨日は

帰宅が 遅く なりました。

 

役所勤め の 働き盛り の 男性。

彼は

高校時代から の 私の 患者さん です。

 

御母堂さま が 私の 患者さん だった ことから

可愛い 息子

私の 診療所へと 連れて きた のが

キッカケ と なり

もう

彼も 立派な 紳士へと。

 

私は 大いに 勘違い して いたの です。

 

役所勤めって ヒマなんだ と ばかり

思いこんで いました。

彼を 含む

役所勤め の エリート層に 属する 方々

大変

心身 ともに 酷使なさって おられる ことを 知りました。

 

大変な プロジェクトを 任されて

成功へと

踏ん張って いるので しょう。

 

大きな 負荷にて

上の 大臼歯 を 失いました。

食いしばり って 凄い ん ですよ!

 

次回

インプラントの 埋入手術 の 予定 なんです。

 

 

役所仕事 大変な 時期だろう から

どこか

隙間 の 日曜日

明日

役所での スケジュール 視て

連絡 しなせい

伝へ

あとは

男同士 の よもやな 話し。

 

自宅では

魚を 焼くのは 私の 係り。

カセットコンロ の 火力を 微妙に 調整しながら

ハタハタ を 焼く 私。

 

どてら姿 に

もう

我が家 は 冬。

【年季】が モノを 云う

時代劇専門チャンネルで

【右門捕物帖】が 始まった の です

主演は 故 中村吉右衛門さん の 若かりし頃。

30歳 いって ない ん じゃ ないん でしょうか。

正直

観て られ ません。

ヤッパリ  青いん です。

ガッツ 1番って 時に

コレは イケマセン。

 

その氏

後年

【鬼平犯科帳】 と 云えば 中村吉右衛門 と まで

云われる ほどに

全て の 局面に おいて

【重み】が 備わり ました。

 

年月 の 過ごし方

相当

工夫なさった の だと  思います。

 

歳の とり方 って

【年月】 では 無く 【年季】なんだ!

と。

 

陣太鼓

今朝

テレビの 時代劇専門チャンネル で 【忠臣蔵】

放映される ので

早く から

テレビ の 前に

珈琲  烟草  灰皿

序でに

涙を 拭く 日本手拭い

順序。

 

私 の 【忠臣蔵】 贔屓は

幼い頃 から の 筋金入り。

 

三枝家 が 播州赤穂 の 出 だった

から なのか

判り ません

【時は 元禄14年 小雪 舞い散る 云々   目指すは  本所 松坂町】

定番  の  台詞が 流れる

正座 し 治して。

 

コレが

私 の 60年 の 恒例行事。

 

山鹿流 の 【陣太鼓】

1 打ち  2 打ち  3 流れ

リズム は 身体に 刻まれて

私は 今日 の 歳まで 過ごして きた の です。

 

ジッと  我慢 し

凄まじく 辛抱強い 性格 だと

私は 自覚 して います。

 

この 2年

人生最大 の 侮辱 に 堪えて

討ち入り の 準備 に 備えて いました。

 

現在

赤穂浪士 の ような 行動は 犯罪 ですから

私は

複数の 裁判と 云う 手段を

連射し

相手 の 虚偽主調に  齟齬 と 矛盾 が 露見する 機会を

待って いたの です。

 

嘘 で 自己保身を はかる

別件 裁判に おける 主調 と 矛盾が 生じます。

 

序でに

相手方 弁護士

地雷を 踏んだ の です。

 

この件に 関係する 裁判は 2件 ほど。

傍聴席 も あります

から

日時 は ご報告 致します。

 

裁判書 の 法廷 に 立ち

私は 正々堂々 と 主調します。

 

相手側

なんと

オンライン で 出廷なんだ とか!

逃げる なよっ!

ただ

相手が 誰であるのか

みなさん には 画像で 判る で しょう。

加えて

この人物 の 代理人弁護士 の 自己保身理論

社会通念上

まかり通る のか?

大いに 想う ところ ある でしょう!

 

来年

私は 新たに 裁判を お越します。

 

2年前

デタラメ報道 した 捏造 の 本体 の 証拠が 判明した の です。

 

歯科治療から 学んだ 人生は

決して

うやむや に しない こと。

絶対に 治す ん でっ

です から。

 

忠臣蔵で 云えば

私の 心内

毎日

陣太鼓 を 叩いて います。

 

この 継続する心 と 粘り強さ

確実 に 歯科治療から 会得した もの です。

 

 

三枝デンタルオフィス は 【最強の集団】

昨日から  大阪市へと 出張して ました。

いつも

交代で 青年歯科医師が 運転手 して くれる ん ですが

たまには

ゆっくり させて やりたい と

ひさしぶり に 自分で ハンドル 握り ました。

 

最近 の 自動車って お利口さん ですね~!

時速80キロ で 自動運転。

 

そんな 感じ で

秋の 風を 楽しみ ながら

会議場 の リーガロイヤルホテル へと。

今月 の リーガロイヤルホテル の 飾つけ。

【晩秋】

イイねっ!

 

お昼ごはん は 定番 の【今井】

定番 の 【鍋焼き 天婦羅うどん】

 

讃岐饂飩 も 美味しい ですが

ソコは

田舎 の 郷土料理。

ソレゾレ  の 職人さん たち

工夫を 凝らし 技 精進している のですねっ!

 

ただ

私は 饂飩も 料理で あるならば

出汁

具材 の 処理

具材 の 仕入れ先

などなど

料理は 【ハーモニー】だと 考えて います。

 

私は 讃岐饂飩 もっと もっと 進化の 余地 ある

思って ます。

 

今日も 会議は ハードでした。

そんな中

スタッフたち

当地まで 来ている こと 知った の です。

 

ソレも

私の ために 【お百度参り】までっ!

 

泣いて しまいました

 

そんな ん で

会議は  適当に 終わらせて

晩飯

ウチ に 招待した の です。

 

待ち合わせ まで  イカリスーパーで 買い出し。

みんな 慣れない 私の 縁者と 会ったり

疲れて

あとは チョッと 食べ過ぎ スタッフさん

青年歯科医師から   耳打ち されて

 

三枝流 【茶粥】

みんな どうも ありがとう

そして

お疲れ様でした