月別アーカイブ: 2019年12月

命の電話

好き勝手・気儘に生きてきたので、

といっても、

精一杯の努力は惜しみませんでしたし、

度胸勝負も・してきました。

反省もし、

後悔もし。

それでも、

立ち上がって、

1歩・1歩・重い足を上げて、

引き摺って、

その過程を・もがき苦しみ、

それでも、

心を取り直して、

助走を始め、

ヨシッと、

気合い入れて、

再び、

駆け走ってきた、

そういう自負は・あります。

ただ、

挫折感・敗北感、押し潰されそうなる圧力に、

絶対絶命の修羅場も・ありました。

死にたいと思ったことない人って、

居るんでしょうか?

私の知る限る、

著名な財界人、医療人、芸能人、

何度も・死にたいと、

直前まで行った方の多いこと。

そこで、

信念を諦めるのか、

再び・立ち上がるのかは、

その方の【志】と、

【自分を信じていること】の、

2つの条件を具備した方々だってと・思います。

そういう方々って、

みんな・命の電話にかけたこと・あるそうです。

そこまで、

追い込まれていたって・事です。

私も・ありました。

でも、

一向に繋がらない。

そこで私は・考えたんです。

私の診療所が、

歯でお困りの患者さんのための、

命の110番であろう。

歯の駆け込み寺に・なろうと。

だからこそ、

私は歯医者って、

胸をはって・言えるんです。

歯と人と

歯科関連の企業の方々が、

私の診療所へお越しになられるたびに、

よくもまぁ・こんな地方都市で、

このような歯科医院が・成り立つもんだ!

感心はんぶん、

奇人変人あつかい・目つきが・はんぶん。

私ですか?

私の診療所は流行らない方が・オカシイと・思っています。

なんせ、

私の診療所は、

歯科医学の教科書を誠実に行っていますもの。

また、

私は・人が好きですもの。

次の課題

人生100年時代になったと、

頻繁に、

この頃、

ブログで発信しています。

多くの方々は、

そう・言われてもなぁ?

実感されておられないと・思います。

半世紀前までは、

人生50年と言われて・いたんですよ。

かく言う私も、

もう少しで57歳に・なります。

人生の後半戦、

さて・さて、

次は何処へ向かって、

走って行こうか。

 

少年期

ただ生きている・のではなく、

困難な壁を・乗り越えるチャレンジ精神で、

寿命の間、

駆け走るのが、

私の本望とする・ところです。

自主独立の精神で、

独立独歩の・ひたむきさは、

決して【自己中】では・ありません。

他人を蹴落とすための競争ではなく、

マイペースを崩さず、

ただただ継続したく・なくなる怠惰な自分を

封じる・だけですから。

いつ終わるかも判らない寿命。

考えればゾッと・します。

といって、

しぬもの・怖い。

後悔の多い半生でした。

判断ミスや、

反省する行為もたびたび・しました。

それでも、

言い訳かも・しれません。

やむを得なかった・とだけ、

申し上げます。

だからといって、

走ることを・止める訳には・いかないのです。

ある1つのことを・成し遂げる為には、

経験上、

10年の準備期間が必要だと・考えています。

18歳で歯科の道に入り、

24歳で歯科医師免許取得、

28歳で歯学博士号の取得。

ひとかどの歯科医師になるのに10年の歳月が必要でした。

次の10年は、歯科医師としての確かな物指しを得る期間。

48歳までの10年は、

歯科医師としての足腰を盤石にするための歳月でした。

現在の私は56歳です。

今、

歯科医師としてフルパワー充電の時期だと・思っています。

次の10年。

歯科医師として大気圏に突入するエネルギーでもって、

歯科治療に専念する積もりです。

常に夢観る少年で・在りたいと。

 

 

私が歯科医学から学んだ生き方

数日前、

来年の春のお彼岸に向けて、

今年亡くなった父の墓標の最終打ち合わせを・終えました。

春の陽光を浴び、

代々の墓標の中に並ぶ父の墓標が・眼に浮かびます。

やっと、

穏やかな風のなか、

父は過ごせるでしょう。

先祖代々の墓と御仏壇を、

長男ですから、

私は守ってきました。

そういう意味で父は長男としての自覚が無かったようでした。

父との【縁】薄かった私です。

ソレに拍車をかけたのが、

先祖代々から引き継いだ暖簾・を下ろし、

家財道具から・何から何まで、

東北地方に暮らす娘夫婦のもとへ持ち運び、

ソレは全く・構いませんが、

がらんどうの空き家になった屋敷のなかに、

私の眼に入ってのは、

なんと!御仏壇だったのです。

この際には、

私の怒りは・絶頂に至ったのです。

私は典型的日本男子です。

長男が先祖を供養する。

そして、

父が死んだら、

その長男が、

その仕事を引き継ぐ。

ソレが日本男子の義務だと・考えています。

その日を境に、

墓の守に加えて、

先祖の御仏壇は私のもとへ・帰ってきたのです。

数年経て、

今年、父の死をメールという手段で知らされました。

無論、

葬儀の場所、日時などは記載されていません。

ですから、

父の遺骨が・何処で・どうなっているのか、

戒名さえも・知りません。

ただ、

遺産放棄を求める書面が、

弁護士事務所から送られてきた・だけです。

遺産放棄するのにも、

お金がかかるンですよ。

私も弁護士に書類を作成して頂き、

東北地方の地方裁判所に遺産放棄の書面を送らねばなりませんから。

弁護士費用がかかる訳です。

私は歯科医学を学ぶ者です。

一生懸命・医療に携わってき、

その結果、

信仰を持つように・なりました。

全て・されるが・ままに。

そういう自分になった・ようです。

私の患者さんには大勢、宗教家がいらっしゃいます。

みなさんが、

私のファンで居て下さっています。

で、

相談したのです。

先生は・どう・したい?

私は父を墓と仏壇に入れて供養したいと・伝えたのです。

それならば、

そう・すれば良いですよ。

その方が1番・良いですよ。

戒名は?

先生が付ければ良いじゃないですか。

知らない僧侶がつけた戒名よりも、

私も僧侶ですが、

その方が良いと・思います。

遺骨も・ないンですよ。

戦死者は白い空の箱で帰ってきたのですよ。

お祀りし・供養する事が・大切なのでは?

これで、

私の腹は決まった・のです。

父の位牌は御仏壇のなかに、

先祖のお位牌と並んで、

毎朝の、

私の下手なお経を聞かされています。

来年の春には、

自分の墓標が完成することを、

仏様となった父は・知って居ると思います。

ただ、

私が父縁の品を埋葬しようとしても、

何も・ありません。

 

グロリア

天の・いと高きところに・神の栄光。

で、始まる、

賛美歌【グロリア】が、好きです。

今日・私は、

グロリアに包まれて・過ごしているような・気がします。

今年も・いろんな事が・ありました。

過ぎ去った日々を・振り返ることも、

時には・大切でしょう。

私には・少なからず弟子と呼べる歯科医師がいます。

その中でも、

東京都吉祥寺にて【コーラル歯科医院】という看板で、

孤軍奮闘している40代の青年歯科医師が居ります。

小出明歯科医師です。

私は彼のひたむきな性格が好きです。

少し・可愛がり・過ぎたのかも・しれません。

彼は、この数日後、

大きな手術を執刀します。

彼の技量、経験、知識からすれば、

十分に安定した【手当て】ができると、

私は判断しています。

そう判断したから、

私自身が、

患者さんご本人に対して、

治療説明を行ったのです。

小出明歯科医師は恐らく、

今日の休診日、

診療所に隠って、

模型を手にし、

手術の練習に勤しむでしょう。

そういう歯科医師だからこそ、

私は小出明歯科医師を可愛がった・のです。

また、

歯科医師は、

そうでなければ・ならないと、思います。

休日はトレーニングに充てる。

ソレがプロフェッショナルの基本だと・思います。

小出明医師に対しては、

この症例に関するレクチャーは完璧に済ませています。

あとは、

ひたすら・ひたすら、

彼自身の手先が、

彼の意図するままに、

動かせられるように、

今日の1日を、

その最終調整に充てねば・なりません。

私自身も・そう・してきました。

グロリアが、

どうぞ、

患者さんと孤軍奮闘する歯科医師を包みますように。

医療人として

逃げ出したという衝動に駆られる難症例も・ありました。

技術の取得に苦しむ機会も・多々ありました。

医学と医療の間の溝を・どう解決すべきか、

悩んできました。

人工物と生体との調和の方法に・苦しんできました。

そんな半生でしたから、

決して眼には見えない存在を感じるようになりました。

人ゆえの欠点、

喜怒哀楽の抑制、

すなわち、

平静の心であることが、

医療人の心得と・判るようになりました。

万(やおろず)の神、

ユダヤ教の神、

イスラム教の神、

キリスト教の信仰の形、

私は神さまと会った人と会話した経験は・ありません。

もしかしたら、

神さまは確かに居られますが、

存在が大きすぎて、

人には理解できなくて、

大勢いらっしゃるように・見えても、

本当はお一人なのかもしれないと、

この頃は・思っています。

天を仰ぎ見て掌を合わせて、

天から降り注ぐ陽光の温かさに・神さまを感じ、

生きていることに・感謝しています。

生命体への医療行為を行う私たちは、

そういう意味を、

大切にしたいと・思うんです。

 

メリークリスマス

私の好きな西宮市仁川カトリック教会の聖堂です。

で、

聖母マリアさま。

自分と・向き合う時に、

私は、ブラリと、

教会の扉を開きます。

誰も居ない聖堂に、

独りで腰を下ろして、

聖像を仰ぎ見るのです。

 

歯根破折

今年の新患の傾向としては、

圧倒的に【歯根破折】が多かったことが、

とても印象に残りました。

ニッケルチタン・ファイルの普及が、

迅速な根管治療の源泉となりました。

ニッケルチタン・ファイルの普及が、

湾曲した根管治療にチャレンジできる【勘違い】に、

拍車をかけました。

その結果、

【拡大され過ぎた】根管、

本来の根管から反れ、

根管壁を穿孔された無残な根管、

破壊された【生理学的根尖孔】。

ニッケルチタン・ファイル登場以前には、

決して観られなかった・レントゲン像が認められるようになりました。

その根管の中に、

大きな期待を持たされたファイバーポストと接着性レジンセメントの複合体。

器材、材料の進化を、

まるで、

大洋から登る朝日のように、

大きな期待で、

信用しきった善良なる歯科医師は、

考える行為を放棄したのでしょうか?

歯を甘くみては・ならないと、

恐々、治療する私は小心者の愚か者でしょうか?

そのような支台歯に、

コンピューター委せのCAD/CAMクラウンを被せる暴挙。

先人たちが、

苦労辛苦の繰り返しから生まれた

精密鋳造とセラミック・ビルドアップの技術を

まるで嘲笑うかの昨今。

技術の進歩に対して、

客観的な評価と、

臨床応用へのブレーキ役が歯科医師なのでは?

私は・そう感じています。

 

 

歯科医師としての心得

年末年始に海外で過ごす私は、

今年の最後の日曜日に、

難症例のインプラント外科に挑む

東京都吉祥寺開業の小出明医師に

メールを送ったのです。

コメントは入れていません。

ただ、

手術中に思い出して欲しい写真を数枚以上。

手術はイメージ通り進むほど

甘くはありません。

行き詰まった際に

私の写真が彼の脳裏に浮かぶようにと。

で、

最後に

この2枚。

専門職は常に謙虚であれ!

小出明医師が、

見事な手術を完了されることを

見守っています。