月別アーカイブ: 2020年6月

父の初命日

今日は・父の初命日です。

昨日の仕事帰りに、

百貨店へと出向き、

生前・父の好物であったろう食材を

お供え物に・しようと・買い求めに。

ただ、

おぼろげながらの・記憶しか・ないのです。

微かな記憶を・辿り・辿りの、

買い物でしたが。

酒を・全く受け付けない体質であった父ですから、

父息子で・盃を重ねる事も・ありませんでした。

早朝、

御仏壇に・昨日用意した食材を・お供えし、

香を焚き、

経を唱えながら、

御位牌に認められた・私の名付けた・戒名を眺め、

なかなかの良い戒名だな・と、

自分でも・感心する・馬鹿な私は・相変わらず。

今から、

墓地へと・向かい、

初夏の讃岐の風の中に立つ・父のために、

偶然・見つけた・父の写真を、

スコップで・埋葬しようと。

父、息子、

それぞれに・事情が・在ったのです。

流儀に違いも・ありました。

でも、

そんな事は・些細なこと。

今は、

心から、

清んだ気持ちで・供養することが、

私の生涯の・務めであることに・変わりありません。

私が・身嗜みに・コダワル訳

朝から爆笑!

早朝、

新潟の友人と・電話で、歯の談義。

ところが、

話しが・ドンドン脇に・逸れるのも・いつもの通り。

前に・新潟の某ホテル〇〇に泊まった時によ、

あんまり疲れてたんでよ、

マッサージ呼んだんさ。

でさぁ、

上手な人かな?

ついでに、

できれば・綺麗なお姉さんが・来ないかな?

でも、

エロビデオみたいな展開になっても・困るけど。

馬鹿なこと・考えてたんさ。

で、

ピン・ポ〜ン。

来た・来た!

ドア開けて、

俺は・正に、

凍りついたんさ!

歳の頃は・70前後。

白髪の爺さんでな。

俺たち歯医者の・ほらっ・半袖白衣みたいなん・着てんさな。

で、

眼がご不自由な方。

でも、

これは・ありがたかった。

だって、

俺って、

直ぐに・ガッカリが・顔に出るやろ。

あの時の・俺の顔って、

自分でも・判るもの。

マルケな・俺の顔。

今日は・ついてねぇなぁ!

てな・感じで、

疲れ・プラス・ガッカリで、

マッサージが・始まったんさ。

これが、

死ぬ思いのする・恐怖のマッサージになるなんて、

この時には・全く考えてもいなかった・マヌケな俺。

最初は・仰向けだろ。

コッチも・見えないから判らないんだが、

なんか・違うんだよ。

マッサージの技術っ?

コレは・最悪レベルです・はい。

そういう問題じゃなく、

妙な・空気感なんさ。

で、

苦しんだよ。

息が・キツイ!

何で・マッサージで・息が苦しんだ?

そんなこんなを・我慢して、

仰向けに。

で、

もう・俺は・瞬殺!

イチコロ・ニコロ・サンコロですっ。

エイっ・エイっ!・エイ!って、

爺さんが・両腕で・プッシュするんは・イイんだが、

もう、

コレは・連発銃での・死刑でした!

脇から、

超・ド・スーパー級の【ワキガ】

眼が、アンモニア臭で・ヤラレるような・キツイ刺激臭。

で、

先生・どうされました?

話し相手の友人なんて、

泣いて・喜んでるんです。

どうされましたって・死ぬ寸前だろっ。

でも、

俺って・優しいし、

人徳的には・第1級だろっ?

オジサン・おつかれでした。

もう・今日は・これでオシマイに・してくだ〜い!

もう、

掌を合わせての・命がけの・お願い!

この当たりで、

友人の爆笑は・クライマックス!

何で・こんな展開に・なったのかと云えば、

医療人たる者、

患者さんに・決して不快感を・味合わせては・ならないって、

そんな処から、脱線したのです。

イヤハヤ、

今朝は・大爆笑でした。

無歯顎患者さんに対する・インプラント修復治療

お気の毒な事に、

全ての歯を・失った患者さんが、

大勢、

お越しに・なられます。

インプラント修復を希望されます時でも、

絶対に、

私は、

必ず、

総入れ歯を・お造りします。

なぜなら、

美しい・お顔創りの・ためです。

ワックスの上に・人口歯を・選んで、

列べて・観ます。

この作業は、

絶対に・欠かせません。

で、

ほらっ・ねっ?

お品の良い・お顔だちに・なりましたよ。

ついつい、

私の好みのタイプに、

仕上げちゃうんです。

 

歯科衛生士の理想像

私は、

診療の・バックヤード関係、

例えば、

機材の洗浄・消毒のこと、

材料関係のこと、

機材のメンテナンスのこと、

困った時、

新たな機材を選ぶ際に、

必ず、

新潟県小千谷市開業の阿部隆士先生の細君である

阿部孝子歯科衛生士に、

奥さ~ん・助けて・くれぃ~!

と、泣きつくンです。

阿部歯科医院は、

私が大学院生の時代に、

アルバイトに行っていた、

言わば、

武者修行の場で・ありました。

私の歯科治療における【基本的手技】は、

実は、

此処に・在るのです。

インや~!

厳しかったですよ。

患者さんの前で・怒鳴られる・なんて、

いつも・いつも・でしたね。

細君から、

首に・ストップウォッチを・ぶら下げられた際には、

顔から・火が出るくらい・恥ずかしかったです・

でも、

先生ご夫妻からの、

熱い愛情は・シッカリと・伝わっていましたので、

できない自分を・恥ずかしかったンです。

今日も、

奥さ~ん!

で、

云々・カクカク。

いろいろ歯科衛生士を知っています。

が、

阿部孝子歯科衛生士を凌駕できるプロを、

私は・知りません。

勝手なのが見本のような私は、

今日も・実は・恥ずかしかったンです。

なぜなら、

今日は、

阿部孝子歯科衛生士の・70歳の誕生日だったことを、

ご本人から・聞いたから。

先生、私も・歳とったのよ。

もう70。

九州から上京して、

縁が在って・新潟。

それも、

雪の深い小千谷。

皆さん、

田舎には、

1流など・居ないと・思っているでしょう?

甘いですよ。

この私が、

唯一・先生と・頭を垂れるのは、

阿部孝子歯科衛生士だけですから。

歯科衛生士と云う仕事。

時代は・間違えた方向に・行っていると・思います。

本当の・筋金入りの歯科衛生士。

雪深い・越後に・確実に・いらっしゃいます。

で、

還暦前の私が・言われたのです。

テレビで・スケート選手・観てるとね、

頑張ってる・じゃない。

直向きで。

可愛いい・でしょっ。

先生んこと・思いだすんよ。

で、

そのスケート選手。

私が、

転べ!転べ!

って・応援していない選手だったモンで、

黙ってました。

でもね、

パッションって・大切なんじゃ・ないですか?

何事に・おいても。

私も・まだまだ・はな垂れ坊主。

ゴールド修復

奥から2番目の大臼歯に、

ゴールド修復をセットした直後の・写真です。

今から、

ゴールドと・歯質の移行部を、

ピッタリと【擦り合わせ】作業します。

美しい・華麗なる・ゴールド修復です。

その後ろ隣の・金属クラウンは、

無論、

私の仕事では・ありません。

全く・基本も・へったくれも・ない、

ただの金属製の加工物ですね。

ゴールド修復って、

こうやって・創るんですよ。

ワックスにて・歯の外形を・盛り上げます。

ドンドンと・進めます。

上下の・噛み合わせ部分を・決定します。

コレは、

日本歯科大学新潟病院・歯科技工科の・三富君の仕事です。

ドロップ・コーン・テクニックを、

もっか・必死で・取得中なんです。

歯の形に・彫刻するのではなく、

歯の形に・盛り上げることに、

大きな意義があります。

より・精密で、

より・躍動感ある・歯が生まれます。

白衣を纏う男

私が幼少期にあった、

昭和40年代の日本は、

正に・高度成長期。

商家には・勢いが・ありました。

働き方改革などいう・概念など、

当時の日本人が・聞かされたら、

一応に・なにをバカ言ってんだって・評価されたと・思います。

何故って、

少しばかり前には、

大変な戦争で、

わが国は・焼け野原となり、

家族の中の誰かしらに・戦死者をだした、

凄まじい記憶が・脳裏に焼きついていたからです。

食べるモノに困り、

飢えを・経験した世代が、

新しい日本を牽引する時代だったからです。

ですから、

私の幼少期は、

家族が・従業員と一丸となり、

休みなく、

夜遅くまで、汗を流して、

家族のために・一生懸命・働いている光景を覚えています。

私も・手伝って・いましたよ。

当時は、五右衛門風呂です。

薪をたたき割って、

火で・風呂を焚いていました。

顔中が・ススだらけ・でしたモノです。

夕食の準備も、

小学校1年の歳には、

簡単なモノですが、

それでも、

工夫しながら、

家族に喜ばれたい・と、

知恵を搾ったモノです。

でも、

幼いことには・かわりません。

淋しかったです。

そんな時、

蔵の雨樋から、

子猫の鳴き声が・聞こえてきたのです。

作業員のおじさんが、

梯子をかけて、

子猫を助けて・くれました。

小学校1年の私の掌に乗るほど、

生まれたばかりの・眼の明いていない、

子猫です。

ボンっ!コレは・アカンわ。

死ぬで!

育たんわ!

鮮明に・覚えています。

泣いて・泣いて、

子猫を潰さないように・抱へ、

自分の部屋に・逃げたんです。

段ボールに・毛布を敷きつめ、

さて、

牛乳を皿に容れても、

当たり前ですけど、

飲みません。

理科の教材の付録のスポイトで、

口に・流し込んだのです。

育ちましたよ。

ミィ・ミィ・と泣いて、

歩くようになりました。

私が学校へ登校する度に、

庭の通路を先導し、

門まで・送ってくれるのが、習慣に・なりました。

私の小学校時代、

私の中学校時代、

私の高校時代、

ミィは・私と過ごして・くれました。

大学へと・進学する際、

私は・ミィ・と別々に・なりました。

長期休暇の際には、

ミィは・相当・高齢に・なりました。

でも、

私の傍に・居てくれました。

私が大学4年の冬、

電話で、

ミィが・息を引き取った事を報されました。

私の幼年期、少年期、青年期は、

ミィと・過ごした・泣き笑いの前半生です。

先日、

父の写真と共に、

懐かしい・ミィの写真が・在ったのです。

おう・ミィよ・忘れていたよ・ごめんなさい。

歳とったンでしょう。

涙腺が・緩んで、

私は・泣いていました。

額縁に入れて、

早速・院長室へと・運びました。

同業者や・他人から・してみれば、

私など、

順風満帆の人生を送ってきた・幸せな奴と・

お思いでしょう。

でもね、

本当の私は、

泣いて、

恥じて、

苦しんで、

怒って、

情けなくて、

反省も・し、

時には、

戦い、

私の前の森の木を、

私の前の雑草を、

切り拓いて、

自分の歩く・道を造って・きたのです。

それでも、

いっぱい・後悔は・あります。

至らなかった・と云う反省も・あります。

ミィに・問いかけました。

俺も・歳とったろう?

これからの俺を・観ててくれなよ!

私は【白衣】を纏うに・相応しい男に・なりたいです。

 

今の時代

昨日は、

遅くなりました。

午後の6時半から・手術を1症例。

簡単な手術だったのですが、

1年ほど前に、

骨移植材を使った【骨造成】を・行いました。

レントゲン写真では・キレイに骨の形成が・認められます。

が、

やはり、

実際の骨の【質】を、

目で確認しようと。

何ごとにおいても、

自分が・納得するまで、

妥協しないことが・大切だと・思っています。

手術後の・後かたづけを済ませ、

友人と・長電話。

で、

もう・寝ようと、

床に入った矢先に、

別の友人からの・電話着信。

???

こんな遅くに・どうしたの?

あのなっ・三枝っ・俺・離婚しようと・思うンや!

何があった?

浮気がバレたんか?

アホなこと・言うなよ。

俺は・もう昔の・俺とは違う!

女房が・俺に全く・感謝が・ないノや!

俺は・一生懸命・働いてる。

家でも・モンの凄く・気を遣ってる。

が、

ありがとうの・一言も・無く、

俺のプライドを・傷つける台詞ばかり。

俺の存在価値など・ないノや!

ほ~お・

あのなっ・俺も全く・一緒やで!

ありがとうなぞ・言われたこと・ないわな。

俺には人格など、

家では・全く・無いに等しい。

子どもも・同じだろ!

あのなっ・日本が間違ってるんや!

そうか・みんな同じ・ナンダだな!

で、

私が友人にした・アドバイス。

別れろ!別れろ!

次を捜せ!

責任?

そんなモンは・蹴り飛ばせ!

君の日常は・よく知ってます。

夫婦の問題は・半分・半分と言いますが、

君ん処は、

全部、

君の細君が・勘違いしてるんが元凶や。

子ども諸共・叩き出せ!

こう言う事・書くと、

炎上するでしょう!

でもね、

男は・外で戦ってるんですよ。

男女平等で、女性も社会に進出しています。

それは・良い事だと・思います。

が、

忘れては・ならない事が・あります。

男の習性です。

自分のために・働くのでは・ありません。

男の生き甲斐は、

感謝される事に・あります。

取引先に対して、

床に頭をこすり付けるように・下げる。

プライドも・へったくれも・ありません

何故って?

家族のために、

プライドなんか・どうでも・良い事なんです。

ただ、

家族が・男のプライドを・傷つける。

これは、

男にとっては、

致命傷です。

私ですか?

我慢しているに・決まってるじゃ・ないですか!

火炎地獄の上に・あぐらをかいてる・修行僧の心境ですよ。

自分でも・いつ・キレるのか、

判りませんが。

今の時代が・オカシイのですよ!

現状打開

贅沢ナンでしょうか?

コンなんじゃ・駄目だ!

現状打開の気持ち。

とは、言っても、

現在は、

過去の継続的な・工夫なり、

忍耐で・あったり、

さまざまなる・その時々の現状打開の結果、

在る・のですが。

何か・足らない、

まだまだ、

進化しなければ・ならないって、

毎日・思案に明け暮れるのです。

 

太陽の光

次の・日曜日。

父が・亡くなって1年の・命日になります。

父が、

何処で、

どのように、

で、

葬儀は、

いつ、

何処で、

行われたかを、

報されて・いません。

死後、

数カ月・経て、

人伝に、

母が施設から・迎えに来て欲しいと、

泣いて毎日を・過ごしていることを知り、

教えて頂いた・母の携帯電話で、

母との・最後の会話を交わしたのが、

昨年の・敬老の日でした。

母には、

来週には・迎えに行くと・伝へた事で、

母は・安堵したようでした。

その時、

父の遺骨は、

母の横に・在る事、

戒名も・母が知らぬ事で、

私は、

ある種に属する人・特有の思考回路と・所作を・理解したのです。

ただ、

息子が迎えに来てくれる事で、

頭が・いっぱいになった母に、

難しい事を・話しすることは・酷だと判断し、

電話してね!

迎えに来てね!

それが・母と私の永遠の別れだと、

腹をくくったのです。

翌日、

母の携帯電話は、電源が・切られていました。

その翌日、

母の携帯電話は、解約されていました。

その数日後、

東京の法律事務所から、

遺産放棄を求める通知を・受け取りました。

即日、

顧問弁護士に手続きを依頼し、

遺産放棄を・行いました。

父は・大きな【商い】を営んでいました。

生前、

国税局から脱税捜査を受けた経験もある、

ある種の知恵と・価値観を持った・商人でした。

姉夫婦は・税理士事務所を・開設しています。

姉夫婦の・生き様が、

私の流儀とは、

全く・違う匂いがする事が、

付き合い・しない訳でした。

ただ、

私の血には・代々の商人のDNAを引き継いでいます。

また、

姉夫婦の・知恵より、

私の・知識と情報網・人脈は、

遙かに・彼らを凌駕しています。

彼らの持つ・資格の倫理観を、

私は・知りません。

が、

私は医療人です。

医療人は・無垢である事が・医療の最低条件であると、

私は・自分自身を・戒めて・過ごしています。

清廉潔白が・医療人の条件だからです。

一生懸命・働いて、

一生懸命・納税して、

一生懸命・経営しながらも、

患者さんファーストを・貫いて来た半生に、

プライドを・持っています。

そういう意味においては、

私は・三枝家の流儀とは、

全く違う・価値観を持っています。

友人・知人たちは、

法律の裏をかく人には、

法律論でない、

別の手段が有効であるから、

任せて欲しいと云う厚意と、

馬鹿に・された私の想いが、

交錯したのは・事実です。

が、

私は資産は・自分で創るもの。

あぶく銭しか・残らないかも・しれません。

でも、

それが・私の働いた事での・証し・なのです。

私は、

父の戒名を・自分でつけました。

遺骨も、

遺品も、

父に縁のある品・1つ、

私は持っていませんでした。

ただ、

三枝家の墓地に、

祖父母の墓石と・並んで、

父の戒名を刻んだ・墓石を建立し、

僧侶に・経で・供養し、

父の魂が、

此処が・新たな・家であることを、

報せて頂きました。

それから・毎月、

私は・墓地の掃除に・出かけています。

毎朝、

お仏壇の中の・父の位牌と、

話しを・して、

1日を・スタートさせます。

昨日の日曜日、

父の命日を直前に・控へ、

情けなくて、

情けなくて、

悔しくて、悔しくて。

物置の段ボールを・引っ返したのです。

ダダっと・崩れた段ボールの蓋が開き、

1冊の・アルバムが・顔を出しました。

捲ってみると、

父と息子が、

命と命を賭けた・相剋が生じることになる・随分と前の、

幼少期の私時代の・父の写真が・ありました。

何故・でしょう?

ポロポロと、

涙が・たくさん・出ました。

父の生きた環境、

父の性格、

私は・責めすぎたと・思います。

父を・軽蔑した態度を・とったと・思います。

孝行したい時には親は無し。

昨日、

私は・思い知ったのです。

たった2枚の写真が、

私と父の・残った・形です。

1枚は・額に入れて・お仏壇へと。

もう1枚は、

次の日曜日に、

父の墓地に・埋葬しようと・思って・います。

最近の私は、

自分でも・よく判りませんが、

日に日に、

覚悟が生じてくる・自分を・自覚しています。

男の度胸・ナンでしょうか。

父への、

少しばかりの・ケジメがついて、

外へと・出、

陽光を・浴びました。