私が幼少期にあった、
昭和40年代の日本は、
正に・高度成長期。
商家には・勢いが・ありました。
働き方改革などいう・概念など、
当時の日本人が・聞かされたら、
一応に・なにをバカ言ってんだって・評価されたと・思います。
何故って、
少しばかり前には、
大変な戦争で、
わが国は・焼け野原となり、
家族の中の誰かしらに・戦死者をだした、
凄まじい記憶が・脳裏に焼きついていたからです。
食べるモノに困り、
飢えを・経験した世代が、
新しい日本を牽引する時代だったからです。
ですから、
私の幼少期は、
家族が・従業員と一丸となり、
休みなく、
夜遅くまで、汗を流して、
家族のために・一生懸命・働いている光景を覚えています。
私も・手伝って・いましたよ。
当時は、五右衛門風呂です。
薪をたたき割って、
火で・風呂を焚いていました。
顔中が・ススだらけ・でしたモノです。
夕食の準備も、
小学校1年の歳には、
簡単なモノですが、
それでも、
工夫しながら、
家族に喜ばれたい・と、
知恵を搾ったモノです。
でも、
幼いことには・かわりません。
淋しかったです。
そんな時、
蔵の雨樋から、
子猫の鳴き声が・聞こえてきたのです。
作業員のおじさんが、
梯子をかけて、
子猫を助けて・くれました。
小学校1年の私の掌に乗るほど、
生まれたばかりの・眼の明いていない、
子猫です。
ボンっ!コレは・アカンわ。
死ぬで!
育たんわ!
鮮明に・覚えています。
泣いて・泣いて、
子猫を潰さないように・抱へ、
自分の部屋に・逃げたんです。
段ボールに・毛布を敷きつめ、
さて、
牛乳を皿に容れても、
当たり前ですけど、
飲みません。
理科の教材の付録のスポイトで、
口に・流し込んだのです。
育ちましたよ。
ミィ・ミィ・と泣いて、
歩くようになりました。
私が学校へ登校する度に、
庭の通路を先導し、
門まで・送ってくれるのが、習慣に・なりました。
私の小学校時代、
私の中学校時代、
私の高校時代、
ミィは・私と過ごして・くれました。
大学へと・進学する際、
私は・ミィ・と別々に・なりました。
長期休暇の際には、
ミィは・相当・高齢に・なりました。
でも、
私の傍に・居てくれました。
私が大学4年の冬、
電話で、
ミィが・息を引き取った事を報されました。
私の幼年期、少年期、青年期は、
ミィと・過ごした・泣き笑いの前半生です。
先日、
父の写真と共に、
懐かしい・ミィの写真が・在ったのです。
おう・ミィよ・忘れていたよ・ごめんなさい。
歳とったンでしょう。
涙腺が・緩んで、
私は・泣いていました。
額縁に入れて、
早速・院長室へと・運びました。
同業者や・他人から・してみれば、
私など、
順風満帆の人生を送ってきた・幸せな奴と・
お思いでしょう。
でもね、
本当の私は、
泣いて、
恥じて、
苦しんで、
怒って、
情けなくて、
反省も・し、
時には、
戦い、
私の前の森の木を、
私の前の雑草を、
切り拓いて、
自分の歩く・道を造って・きたのです。
それでも、
いっぱい・後悔は・あります。
至らなかった・と云う反省も・あります。
ミィに・問いかけました。
俺も・歳とったろう?
これからの俺を・観ててくれなよ!
私は【白衣】を纏うに・相応しい男に・なりたいです。