父の死


カトリック教徒である私ですが、

長男として生を受けた私の書斎には、

家の大きな仏壇を安置しています。

ご先祖様と共に生きるという考えは、

日本人の中の日本人を自負する私には、

ごくごく自然のことです。

このような私が、

壮年期に、

カトリックの洗礼を受けるという事実は、

大変な葛藤もあり、

その壁を乗り越える試練も、

皆さんの想像以上に、

過酷だったと

理解して下さい。

現状、

日本男子の長男の責任でご先祖様の御供養を務めることと、

ご先祖様への親しみという感情をもつことと、

カトリック信仰とは、

別物としてとらえています。

家督を次代に譲るまでの、

家の長男の大きな務めだと、

信じて疑っていません。

朝、夕の、

お供え、

読経は、

これも・やはり長男の仕事だと自然にとらえています。

このような過ごしようも、

神さまのご意思だと思っています。

仏壇の中の過去帳に、

両親の名前は・ありません。

家業を閉じる際に、

財産めいた物を一切、

余生と一緒に、

一切合切を、

娘夫婦に託したと、

人伝に聞きました。

それはそれで・構いません。

私が両親から受け継いだモノには、

身体は勿論のこと、

感性なり、

センスだったり、

手先の器用さなど、

感謝しても足りないモノも多いですから。

身体を資本に、

自分の人生は、

自分で切り拓いて、

自分で創ってゆくと考えています。

ただ、

がらんどうとなった家に、

ただ1つ残された先祖の仏壇の前に立った私の心は、

我が表情は見えませんが、

身震いしたことだけが、

忘れることができません。

長男が長男へと、

死と引き換えに、

繋いでゆくのが、

先祖の供養だと、

私は考えていました。

その点においても、

両親と私とは、

交差する一点もなかったことを

改めて自覚したのです。

以降、

家の大きな仏壇は、

移送され、

私の書斎で、

私の仕事を見守ってくれています。

戒名も聞かされず、

葬儀の日程、場所も、

これも何も知らされず、

ただ、

先ほど父が亡くなったとだけ。

それもSNSという手法で、

何処で、

何故の理由もなく。

一昨日の夜更けに知ることになった

父の死を、

今朝、

過去帳の没日の欄を開いて、

戒名を空欄とし、

俗名、命日、祖父母との続柄を、

記して、

いつものように、

お供え、

読経という習慣化された

長男としての仕事を続けました。

私は・それで良いのだと思っています。

私は祖父母たちや、

ご先祖様のお位牌を前に、

しょっちゅう会話しています。

祖父母たちは、

我が息子を、

どのような気持ちで迎えるのでしょう。

私は嫌な過去は忘れるように

心がける習慣がつきました。

ただ、

情けない想いにて、

波が頬を伝わったことは否定できません。

命日に、

戒名を記していない父の名前をまえに、

毎月、毎月を、

私は仏前にて、

何を思い、

何を語るのでしょう。