昼下がり、
診療所の自室で
患者さんが来られるのを
待っていた。
携帯電話の
着信のバイブレーションに
大学からだろうと、
電話を手にしたら
新潟の歯科衛生士の
川崎律子女史であった。
随分とご無沙汰であったが、
相変わらずの
爽やかな川崎節は
健在であった。
川崎女史とは
若い時分からの
顔見知りである。
彼女は、
今は亡き原田富一先生の
一番弟子であった。
先生が御在命で在ったなら、
彼女の活躍を
一番に喜んでいるに違いない。
何れにしても、
原田先生は
この世に確かに
自身の歯科DNAを
遺したのである。
電話で、
私の診療所の宮田君の
トレーニングを
是非にとお願いした。
此の秋からは
宮田君も毎月
新潟へと
通う事になった。
世に云う
名の通った歯科衛生士と
仕事を御一緒させて頂いたが、
私の贔屓は
川崎律子女史である。
原田先生は生前、
愚息に対して
ー 歯医者になれ! 東京じゃなく新潟に来い!
俺んちに下宿せい!ー
と、威勢よく語っていた。
其のすぐ脇で
ニコニコ微笑んで
阿呆な二人の男の
話を聞いていたのが
川崎女史であった。
原田イズムが
川崎女史のDNAで進化を遂げて
宮田君へと
継承される事を
心から望む私である。