日別アーカイブ: 2017年4月28日

いくら便利でも

私はスマホが嫌いです。

携帯電話のメールもラインって言うんですか?

アレも私は嫌いです。

人とのコミュニケーションを採る手段は

最低でも相手の声を聞いて、

声のニュアンスから察する気配りが大切だと思うからです。

最近、体力の低下を自覚して、

出張は新幹線や飛行機を利用する機会が増えました。

空港のターミナルや駅舎、

果ては車内でみんながみんな、

スマホをいじっている姿は異様さを感じます。

時代が個性重視と云う割には、

みんながスマホをの姿に違和感を感じるのです。

携帯電話も持ちたくありません。

が、

仕事柄、

それはこの時代には出来ないので、

ガラ携って言うんですか?

私は未だに古い携帯電話を使っています。

表示画面は大文字の時計。

これはこれで便利ではありました。

手は私の商売道具。

飾る持ち物を意図的に敬遠していたので、

腕時計は日常には使っていませんでした。

しかし、

携帯電話の時刻を観るのも

嫌になったのです。

みんながスマホばかり。

それほど多忙なのでしょうか?

仕事が出来る人を大勢、存じ上げています。

そういう方に限って、

車内でノートパソコンに向き合うと云うスタイルの人は居られません。

携帯電話は大切な所要の際には便利な道具ですが、

中毒には成りたくありません。

私にしては珍しく買い物をしました。

腕時計です。

と言ってもバセロンやパティックではありません。

私には身分不相応です。

セイコーです。

それも文字盤の大きいもの。

軽いもの。

時刻が正確なもの。

調整の面倒でないもの。

和田精密歯研の高松支店長である橋本君はセイコーのファンであることから、

雑談の際にはしばしばセイコーの話を耳にしていました。

橋本君のお勧めのセイコー.アストロン。

量販店に買い物に出掛けた際に、

偶然に時計コーナーにて2割引きであったので、

買い求めたのです。

これでますます、

携帯電話を手に取る機会が減りました。

春は来る

現在治療中の患者さんのなかに、

長年、本当にお辛い日々をお過ごしであった女性が居られます。

藁にもすがる想いから、

各地の著名と言われる歯科医師をさ迷って居られた努力の人で在られます。

私は現在、

必死でこの患者さんの病の問題解決のために戦っています。

患者さんの苦しみは私の苦しみでもあるのです。

毎回、毎回の診察において、

私はこの患者さんの挙動と咀嚼系統のバランスを

それこそ丸裸にするぞと云う気概で臨んでいます。

穏やかにお過ごし頂ける日も近いと、

この患者さんの春の訪れを一緒に喜べるよう、

46時中、

この患者さんの口腔の所見が頭から離れることはありません。

これも私が恋して恋して就いた歯科の仕事です。

 

職責

別段女性蔑視ではありませんが、

女性作家の著作を私は好みません。

それは文体の匂いが男からすれば、

ある違和感を感じるからだと思います。

ただ、

山崎豊子氏や櫻井よし子氏、藤原てい氏の文体には

違和感を感じません。

ですから、

全く女性作家を否定している訳ではありません。

あくまでも私個人の一般的な流れだと思ってください。

その私がこの頃、

先にお亡くなりになった渡辺和子氏の著作を

片っ端から読んでいます。

で、

途中から気づいたのです。

古い著作から読み直してみようと。

その過程において、

思う処大いに在りました。

氏が随分と批判や中傷を浴びせられた時期が在ったことが伺えます。

様々な葛藤が在ったことも想像出来ました。

ただ、

職責の自覚の大きさ故に、

他人に観せる外向きの顔の有り様を

シッカリと血と肉にされたのだと思います。

当然のことながら、

私にも外向きの顔と本来の生まれ持った性格の間には

大きな差異が在ることを自覚しています。

欠点を自覚し、

心して修正する努力もしています。

しかし仕事柄、

一般的な普遍を殺すことが大きなエネルギーになることも

長い診療生活から認識しています。

このような事を考えますのも、

歯科と云う特殊性を持った仕事に就いたからだと思います。

歯科医学の性質上、

医療人と職人と云う2つの顔を持たねばなりません。

この事の擦り合わせに

長い間、悩んできたのは事実です。

また開業医ですから一種の人気商売でもあります。

華がなければ成り立たない役者のような性質も必要であることは

これも否定できない事実です。

つくづく難しい仕事を選んだものだと

少年期から青年期に至る時期の自分の為した選択を

悔やむ機会もたびたび在ったのは事実です。

師匠である内藤正裕先生の姿を観て歩いて来ました。

先生は情熱の人ですから、

弟子の私から観ても、

脱線される機会もたびたび在るのですが、

紳士道と歯科医師の道の辻褄を

明確に結論付けされて居られることが判ります。

三枝君、歯科医師だよ、我々は。

と云う台詞を何度耳にしたか判りません。

長い間歯科医師である私が、

50を半ばを迎へ、

やっと歯科医師と云う姿が朧気ながら観えてきたように思います。

東京吉祥寺開業の若き歯科医師のホープである

小出 明医師に師匠は語ったそうです。

僕もねぇ、三枝君もキチガイなんだよ。

君も自分を一度、

徹底的に破壊しなさい!

三枝先生、私はどうしたらキチガイになれるんでしょう?

私は答えに窮してしまったのです。

と共に、

息子が反抗期旺盛であった高校時代に

私は浴びせた罵声が鼓膜に甦りました。

父ちゃんは少数派なんだよ!

これからも歯科医師とは?

を思案しながら過ごすのでしょう。

ただ、

正直に申し上げられますのは、

歯科医師の仕事は剣術修行のようなものだと思います。