日別アーカイブ: 2017年4月11日

最初の一歩

中学に入学した娘の寮生活が始まりました。

寮は個室ではありません。

他の生徒さんとはカーテンで仕切られた空間に、

ベッドと棚が在るだけです。

学習室に各自の机が用意されており、

毎日の勉強は其処でするようです。

携帯電話は夜の9時に寮母さんに預けると云う規則です。

私は心配で心配でなりません。

テーブルの娘の座っていた場所が空いています。

何気なしに、

其処を見てしまいます。

時計を観れば、

娘は何をしているものぞ?

と、云う塩梅。

後悔半分以上、

諦め少々。

そんな私です。

生涯、学徒で在りたいと

私はリーダー等には成りたくありません。

そのような実力をも持ち合わせてはいません。

18の歳に歯科医学の門を叩きました。

今、54歳になります。

未だに、

歯の何たるかをも、判っていません。

考えて、

考えて、

工夫して、

工夫して、

その繰り返しです。

歯科保存学の父と唱われる偉人に

G.V.Black先生の名は余りにも有名です。

歯科保存学を専攻した私にとっては、

神さまのような大業績者です。

先生は、このように書き記されています。

【専門職たる歯科医師はたゆまざる学徒であれ】

青年期の私は、この言葉に戦慄を覚えたのです。

私が仮に歯科医師でなければ、

熱く熱した珠鋼をひたすら叩く刀鍛冶か、

彫刻刀を手に石を叩き刻む石工に、

そのような人で居たいと思います。

多くの若い歯科医師や学生諸君が集まって下さいます。

当の私は、

何も考えていません。

ありのままの私を曝しています。

三枝デンタルオフィスは私の仕事の舞台です。

毎朝、私は此処に来て、

患者さんと向き合い、

共に、

悩んで、

考えて、

喜んで。

此処で歯科医学を学び、

此処で人生を学んでいます。

 

鏡に写った姿の美しいことを

【何の得にもならない】ことのなかに、

【美しさ】と云うものが在ります。

その美しさとは、

何故そうするのか?と問われても、

答えられないような【きまり】を、

毎日、毎日、繰り返し自分に課していった結果から、

自然に生まれてくるのだと考えています。

幼い頃からの【しつけ】のようなものかもしれません。

親からの一方的な小言を、

幼い頃は否応なしに受け入れねばなりません。

この理由なきしつけが、

美しさを作ったことに、

大人になってから気づく機会も多いでしょう。

ハシタナイ所作や考えは、

美しさとは対比に在ることを自覚する機会も多いはずです。

大人になれば、

当然のことながら親からのしつけは受けません。

今度は、自分との闘いが、

自分を鍛える手だてだと思うのです。

私は、しがない開業医です。

何も考えなければ、

毎日、毎日が、

単調なことの繰り返しでしかありません。

しかし、

少しでも良いから、

昨日よりは一歩でも前に進んでいたいと、

思ってきました。

それには【工夫】が必要です。

でも、

その工夫も、

普遍な所作から得た結果を

再度、自己評価することが大切です。

ですから一歩前に進むためには、

日常の日課的な所作を大切にすべきだと思います。

時々に京の街を歩きます。

何の気もなく眺めれば、

あぁ舞妓さんと思ってお仕舞いです。

でも、

私らの仕事においては【観察力】が大切です。

あら、先生、お出ででやすか?

と、過ぎ去って行った二人の後ろ姿からの違いに、

彼女らの日常の過ごし様の差が出ている事に、

気が付かねばなりません。

で、なければ、

私は単なる贔屓筋でしかありません。

遊びの中にも、

仕事に役たつ何かを探す感性を持つことが、

プロとプロとのお相撲みたいなものだと思います。

私は歯科医師ですから、

治療精度が向上できると、患者さんに喜んで頂けます。

また、

患者さんに対する心配りも、患者さんに喜んで頂けます。

この患者さんに喜んで頂だくことが、

私の原動力になっています。

当然、患者さんの側は私の工夫などお気づきになりません。

そこが大切な肝心処なのです。

相手に気づかれないように、

コツコツと自分と闘うことが、

自分を見つめ直すことが出来る唯一の方法だからです。

他人目をアレコレ気にしても、何も成長は期待できません。

鏡で自分の姿を写すこと。

鏡のなかで美しい姿で居られるように、

それが私の関心事です。