別段女性蔑視ではありませんが、
女性作家の著作を私は好みません。
それは文体の匂いが男からすれば、
ある違和感を感じるからだと思います。
ただ、
山崎豊子氏や櫻井よし子氏、藤原てい氏の文体には
違和感を感じません。
ですから、
全く女性作家を否定している訳ではありません。
あくまでも私個人の一般的な流れだと思ってください。
その私がこの頃、
先にお亡くなりになった渡辺和子氏の著作を
片っ端から読んでいます。
で、
途中から気づいたのです。
古い著作から読み直してみようと。
その過程において、
思う処大いに在りました。
氏が随分と批判や中傷を浴びせられた時期が在ったことが伺えます。
様々な葛藤が在ったことも想像出来ました。
ただ、
職責の自覚の大きさ故に、
他人に観せる外向きの顔の有り様を
シッカリと血と肉にされたのだと思います。
当然のことながら、
私にも外向きの顔と本来の生まれ持った性格の間には
大きな差異が在ることを自覚しています。
欠点を自覚し、
心して修正する努力もしています。
しかし仕事柄、
一般的な普遍を殺すことが大きなエネルギーになることも
長い診療生活から認識しています。
このような事を考えますのも、
歯科と云う特殊性を持った仕事に就いたからだと思います。
歯科医学の性質上、
医療人と職人と云う2つの顔を持たねばなりません。
この事の擦り合わせに
長い間、悩んできたのは事実です。
また開業医ですから一種の人気商売でもあります。
華がなければ成り立たない役者のような性質も必要であることは
これも否定できない事実です。
つくづく難しい仕事を選んだものだと
少年期から青年期に至る時期の自分の為した選択を
悔やむ機会もたびたび在ったのは事実です。
師匠である内藤正裕先生の姿を観て歩いて来ました。
先生は情熱の人ですから、
弟子の私から観ても、
脱線される機会もたびたび在るのですが、
紳士道と歯科医師の道の辻褄を
明確に結論付けされて居られることが判ります。
三枝君、歯科医師だよ、我々は。
と云う台詞を何度耳にしたか判りません。
長い間歯科医師である私が、
50を半ばを迎へ、
やっと歯科医師と云う姿が朧気ながら観えてきたように思います。
東京吉祥寺開業の若き歯科医師のホープである
小出 明医師に師匠は語ったそうです。
僕もねぇ、三枝君もキチガイなんだよ。
君も自分を一度、
徹底的に破壊しなさい!
三枝先生、私はどうしたらキチガイになれるんでしょう?
私は答えに窮してしまったのです。
と共に、
息子が反抗期旺盛であった高校時代に
私は浴びせた罵声が鼓膜に甦りました。
父ちゃんは少数派なんだよ!
これからも歯科医師とは?
を思案しながら過ごすのでしょう。
ただ、
正直に申し上げられますのは、
歯科医師の仕事は剣術修行のようなものだと思います。