1昨年前に、
カトリックの洗礼を受けた私が、
その道にたどり着くまで、
さまざまな形での、
宗教的な旅を続けて・きました。
讃岐の国は、弘法大師空海の生まれ故郷。
この地には、
【お大師さん】が、
暮らしと、
深く関わりながら・が、
当たり前な営みとなっているようです。
幼い頃から、
観音さまの仏像を脇に、
日々、
掌を合わせてきました。
宗派は違いますが、
比叡山延暦寺の堂に私の姿が在ったことは、
数回では・ありません。
日本人である事を誇りに思う私は、
やおろずの神を敬い、
自然界に掌を合わせ、
また、
年の始めの最初の日毎には、
伊勢神宮を参拝するのが、
私の習慣でした。
歯科医師は患者さんの・かけがえない身体を与る仕事です。
そのプレッシャーと、
自分の未熟さを自覚出来るからこそ、
今日の無事を、
通勤途中に、
高野山讃岐別院に立ち寄り、
門の脇の・お地蔵さまの、
小さな・小さなお堂の前に立ち、
小銭入れの中の小銭を全て、
お賽銭箱の中に納める。
で、
合掌。
そんな・何十年間を、
毎日・毎日、
送ってきたのです。
このような私が、
カトリック信仰の道に入ることは、
やはり、
大きな・大きな旅を余儀なくせざるを得ない、
道を歩いたからだと・思います。
カトリックの信仰は、
聖書と祈りの本を通してが基本に・なります。
ふと・した時に、
聖書、祈りの本を開き、
祈りを捧げる言葉を読みます。
宗派の違いこそ在れ、
祈りを捧げることが、
宗教的な基本型ですから。
では、
祈る意味は?
医療人であれば、
祈る意味は・ごくごく自然の行いナンです。
患者さんの幸せに決まってるじゃ・ないですか。