書に親しむ意義


歯科医に成り立ての私が

歯科の【いろは】の手解きを受け始めた

大学院生の頃に、

既に準教授であった山口先生から、

最近、読書の話を伺います。

先生が大変な読書家である事を

最近、知ったのです。

また、

好む文体や作風においても、

相手を認めながら、

で、

自分の質との違いも感じつつ、

異なる趣に対して【敬意を払う】

心持ちを実感しています。

先生は中学生の頃に既に

大江健三郎氏の作品に親しんで居られたとの事。

恥ずかしながら、

私も高校生の時分に【大江作品】にチャレンジし、

【ちんぷんかんぷん】で、挫折した経緯がありましたので、

先生の話に、ジッと耳を傾けたのです。

また、

先生は太宰治が贔屓であるとの事。

此処に、

ヤット先生の独特のダンディズムの一端が、

ホンの少しだけ判ったような気がしたのです。

本に親しむ習慣ほど大切なモノはありません。

座学を否定してはなりません。

無限の創造力を育くみ、

知識の泉となり得る宝庫が、

読書です。

実体験の裏付けや、

判断の物差しになり得る意識を

育んでくれるのは、

読書です。

ですから、

親しむ本の種類や作風により、

読者側の【匂い】を感じる感覚器にも

なろうかと、思っています

読書離れが著しいと言われる昨今ですが、

時代だと云う一言で解決できる所作ではないと思います。

【過去を笑う者は、未来に泣く】

古代ローマ時代のシーザーの遺した台詞です。

情報過多のコレからの時代において、

尚更のこと、

古典を学ぶ必要性を感じます。

その上で、

現場に出でての多くの場数を、

思考しながら経験を重ねることが

本来の教養の身に付け方だと思います。

が、

知識と、知恵と、精神力とは

全く別物であることも

私は年齢を重ねて実感しています。

反省を繰り返す人生でありました。

これは、私個人で行う所作であります。

【考える人】で在り続けたいと思います。

【学ぶ】を続ける人で在りたいと思います。

と共に、

【自主独立】の人で在りたいと思います。

決して自分を誇張し観せる気持ちなどありません。

感じ方は、人それぞれ在ろうかと思います。

但し、人自身もそれぞれである事も事実です。