恐らく死ぬまで、この心の傷は消えないでしょう。
明日で、先の東北大震災から5年を迎えます。
仙台に居た息子からの助けの声が、
耳に焼き付いています。
そこからのテレビ報道に氷ついた気持ち、
北陸道を新潟まで、ひたすら走り、
山形から当地へとたどり着くまでの記憶、
幸いにも息子を見つけ、新潟市へと避難させ、
その後、当地へ舞い戻り、
歯科医としての職務、
其れは命を落とされた方々に対する
決して治療ではない職務でしたので、
私自身が命なり職責を再認識する大きな岐路でもありました。
国と云う存在にも、
大きく考えさせられました。
悲鳴に近い叫びの涙を、
自身の非力も思い知らされました。
と共に、
私は歯科医で在って、良かったとも。
私らは、幸運の上に日々の暮らし向きが在ると
感謝せねばなりません。
本当に、ただ運良く、今が在ると感謝せねばなりません。
大勢の被災された方々の、辛辣な叫びを
私らは、耳を傾け向ける姿勢であるべきと思います。
恐らく明日の、あの時刻になると、
何時ものように、私の心と身体は凍てつくでしょう。
この瞬間を生涯、
私は繰り返すに違いありません。
大勢の御霊に頭を垂れて、
明日を迎える、
心が落ち着かずの今を途方にくれています。