月別アーカイブ: 2017年5月

エビデンスに基づいた治療?

歯科医学は自然科学の範疇に入ります。

歯科医師である私が、

最近になって行動科学の分野に興味を抱いたのには訳が在ります。

私が【人】の身体に携わる仕事に従事しているというキーワードです。

人は【気分】と【感情】を持つ生命体です。

ですから、

患者さんの【歯に関心】を高めるキッカケを掴みたいと考えています。

自然科学の分野の研究には価値が在ります。

神秘溢れる世界が在ります。

しかし、

研究を着手するにあたって、

研究者は先ずは【仮説】をたてます。

で、

実験を進め、

統計処理を行い、

結果を導く、

と云う一連の流れで研究は進められます。

ただ、

【仮説】をたてた段階において

既に研究者の【主観】が入っていることを、

認識する必要が在ります。

既に研究者の頭の中に【起承転結】があると云う事実です。

ですから、

ある1つの研究結果に対する反証を行うことは

比較的【楽な研究】であることも事実です。

その繰り返しの中から、

事実と真実のふるい分けができて、

結果的に科学はゆっくりと進化してゆくのです。

【エビデンスに基づいた治療】と云う言葉をよく耳にします。

それは或る側面からは正しい姿勢です。

しかし、

反証するエビデンスも多数準備できることも

私らは認識しなければなりません。

良い意味、悪い意味での良い指導者に恵まれた研究者は

この処を十分に理解し消化しているようです。

私がインプラントの即時加重やノンフラップサージェリーに対して

【否定的】な姿勢であるのも、

冷めた眼で判断できている事実でも在ります。

対して、

【行動科学】においては【仮説】はありません。

人の行動から【規則】を導く手法に【客観性】を感じるのです。

更に、

私らは【人】を診る仕事です。

【人】の行動の規則の理解を深めて、

本体である歯科医学の進歩から得た治療を

より良く反映させるためには、

臨床家である歯科医師が行動科学を知ることが重要だと考えています。

普通の根管治療

根管治療が終わった処です。

今日は根管充填と云う最後の操作でしたので、

速かったですよ。

下顎の第2大臼歯の根管充填です。

それでも、

1時間少々でしょうか。

ラバーダム防湿して、

マイクロスコープを覗きながら、

根管の壁に、

神経繊維が残存していないか?

根管の先端部分を充填材料がキチンと密着できるようにと、

仕掛け工夫の細工を施し、

よーく洗浄を繰り返し繰り返し、

で、

ビシッと、

根管充填材料を押し込んで。

此処は最後の勝負処です。

【勘】働きの勝負処でしょうか。

レントゲンにて、

ヨシ!

今まで受けた根管治療とは全く違いますと、

患者さんは仰られていましたが。

私は昭和56年の日本歯科大学の入学です。

第76回生です。

280名の定員でした。

当時から、

私らは、

マイクロスコープ以外の治療過程は全く同じの

トレーニングを受けました。

来週の水曜日の午後は、

私は新潟キャンパスにて、

歯科保存学の実習を担当しています。

全く同じ過程にて、

学生諸君へ指導しています。

普通の治療だと思います。

ですから、

私の大学では昔から今でも普通なのでと、

そう、お答えしたのです。

しかし、

右手の手首が痛みます。

指の関節がヒキツリます。

手首を降りながら、

では、お疲れ様でした。

次回はファイバーポストで補強しましょうねと、

具体的な説明をして、

お気をつけてね。

で、

高ぶった神経と、

張り積めた神経を、

静めるために、

こうしてブログを綴っています。

私の読書方法

活字中毒を自覚している私は、

駿時を見つけては、

活字を追っているのです。

で、

安らぎを覚えたり、

私との同種の匂いを感じた書籍を

待合室のテーブルの上に然り気無く置いています。

一月に読む書籍の数は、

数えた機会はありません。

見知らぬ人との出会いのようなものが、

私にとっての活字です。

で、

読み方は、

蛍光ペンを片手に、

印象的な文章にマーキングしながら、

先ずはサッと流し読み。

シツコイ性格である私は、

一度完読した書籍を、

繰り返し、

今度はジックリと活字を追いかけると云う手法。

二度目のマーキングは色を変えて。

一度に複数の書籍を、

飽きたら別の、

で、

また疲れたら別のと云う具合です。

ポール.エクマン博士の書籍にハマっています。

繰り返し、繰り返し。

翻訳書ですので、

熟読したら、

原著でと云う、

コレも私なりの読者方法です。

もうお一方は、

岩下尚史 氏の著作です。

余りにも優美で格調高い、

技量豊かな文章に驚き、

氏を勝手に、

明治か幕末辺りの生まれであると、

そう決めつけていたのです。

で、

著者紹介にて、

私の二つ年長でしかない事に驚き、

戸惑い、

感動し、

安堵したのです。

國學院大学文学部を卒業され、

ですから、

私の学生時代と氏は同じ時代に

大人になる修業を経た訳ですから、

私は自分のイタラナサも情けない想いになりました。

大学卒業後、

新橋演舞場の企画室長をお務めになられた氏の文章は絶品です。

治療方針についての私見

先ほど、奥歯の抜歯を終えました。

歯の根が折れていたから抜歯に至った症例です。

で、

患者さんから、

来月ころインプラントの予約を採りたいのですが?

オイオイ、チョッと待っちくれい!

私は今しがた自分の眼で、

直接に骨を診ました。

どのような過程を辿りながら治ってゆくのか?

それを診て、

ゆっくりと診断したいと申し上げました。

もしかしたら、

ブリッジを奨めるかもしれません。

経過と治り方、

人それぞれです。

パターン化できるようで、

そう上手くいかないのが人の身体の手当てです。

治ってから、

初めて機能回復、

それが治療のルールです。

聡明な方でしたので理解して下さいました。

時たまに居られます。

ご自身の希望的観測の基で、

治療方針を求めて来られる方が。

治療の知識について向上して頂くことは

誠にありがたいことであるのも確かです。

ただ、

プロと素人の間には大きな河が在るのも事実なのです。

いくら説明申し上げても、

一向に折り合って下さらない方も、

少なからず居られます。

私がお願いさせて頂いて、

治療させて頂く訳ではありません。

医師と患者さんは対等の立場で、

その上で、

専門職の意見は精一杯させて頂きます。

治療にはご費用が発生しますが、

お金を払っているからと云う上位の立場で、

知らず知らず態度に出て、

治療方針をリクエストされる方も、

昨今では増えているような気がします。

私らの仕事は、

【奉仕の精神】で以て臨んでいます。

其れが基本的姿勢だと思うからです。

大切な患者さんの身体です。

少なくとも私は、

そのように思っています。

何が大切なのか?

資本主義社会の弊害を

この頃、

感じるのは多くの医療人の

声なき声であるのも事実なのです。

 

極めれば無垢になる

長い間、インプラント治療と向き合って来ました。

私の歯科医師人生がインプラント治療であったと言っても過言ではありません。

インプラントメーカーのインストラクターとして、

20年近く前から、

インプラント治療の普及に長い時間を費やしていました。

現在では多くの歯科医師が普通にインプラント治療を

日常の歯科診療に採り入れています。

それはそれで良かったと思います。

しかし、

伝わらなかったこと、

伝えきれなかったことも

現実には多かったと思います。

私は毎日、

インプラントの患者さんと向かい合っています。

といって、

入れ歯の患者さんとも、

毎日、

向き合っているのも事実です。

先ほどお一方、

レントゲンを前に、

私は思案していました。

2週間下さい、考える時間をと、

申し上げて、

今日の処は終了しました。

考え、

悩み、

調べて、

その繰り返しが私の日常です。

高名な陶芸家の方が仰られていました。

行き着いた先は無垢の白さになりました。

歯の治療も同じなんだなって、

具体化された言葉を頂いた気持ちになりました。

複雑な口腔の状況を

どのようにシンプルに手当てし、

長期にわたって維持できるか、

それが歯科医師の腕の観せ処だと思います。

教育の現場において、

偏差値を上げることと、

豊かな心を育むことの、

その間の両立に教育者は悩むのだと云う姿も、

私はここ10年、

実感しています。

真面目に職責を果すことに、

職業の差がないことも知りました。

選んだ道を極めたい。

それが人が人である証だと思います。

その先に、

何が在るのかは私は知りません。

私自身が未だに道半ばであるからです。

ただ、

無垢の白さと云う言葉の響きに、

私の心は納得したのです。

インプラント VS 部分入れ歯

日曜日の昼下がり。

久しぶりに、

日本歯科大学 新潟の学部長である藤井一維教授と、

電話にて長話に興じていました。

藤井教授も情熱の歯科医師です。

で、

三枝さん、インプラントと部分入れ歯の選択の基準って?

そんな会話を投げかけられたのです。

何で?

聞き直す私です。

藤井教授曰く。

曖昧じゃないですか?

三枝さんは基準を持ってますよね?

症例を観て、何となく、そう想うんですよ。

やはり藤井教授は流石です。

その通りです。

私には判断基準が在ります。

インプラントを希望されて来院されても、

私が患者さんにストップを懸ける場合も多いのです。

部分入れ歯でなければ絶対にダメだ!

その様な症例も多いのです。

超高齢化社会を世界中の国々が経験し始めました。

患者さんとの長期の関わり合いから、

【人が老いる】現象を、

歯科医師の眼で実感し経験しています。

唾液の分泌の低下、

筋肉と顎関節の老化など、

まだまだ在ります。

歯の無い部分だけを診て、

インプラントと入れ歯の選択をする危険性を

私は声を大にして警告します。

歯科医師の仕事は、

患者に生涯、快適な食生活を営んで貰う。

その手立ての専門職だと思います。

人工の歯を入れるのが仕事の本筋ではありません。

歯の番人であれ。

これが私の仕事です。

で、

藤井教授のご専門は全身管理と麻酔学です。

私の長い講釈が始まって、

二人して大いに盛り上がったのです。

 

私の履歴書

30歳半ば過ぎた辺りに、

歯科医師と云う仕事がつくづく嫌になり、

治療中心の生活を辞めた時期が在りました。

流行っていた【三枝歯科クリニック】でした。

高松市の中心部の大通りに面したお洒落なビルの3階に

ガラス張りの私の診療所は在りました。

歯科医師は私と前妻の2名。

院内技工士2名。

歯科衛生士3名。

治療椅子3台の体制で診療所を営んでいました。

完全予約制で、

健康保険取扱の歯科医院でした。

診療時間は午前9時間から午後の1時まで。

午後は2時30分から最終受付が6時30分。

1日の患者さんの数は、

治療の質を落とさないようにとの配慮から、

医師2名、歯科衛生士3名、治療椅子3台と云う規模では少数の

多くて24名から30名と決めていました。

新患の受付は常に半年待ちと云う状況での

安定した歯科医院だったのです。

が、

私は歯科医師と云う仕事が嫌になったのです。

経営は安定していました。

が、

私の夢観た治療は、

患者さんが多くてとても出来ませんでした。

理想はあっても、

自分の技術の未熟さを否応なしに自覚する毎日。

でも、

患者さんは満足して来て下さる。

でも、

自分では満足出来ない。

歯を大切に思って来て下さる患者さんに

何とか支えられていました。

しかし現実は、

仕事の合間で治療に来られる患者さんで、

経営は支えられているのも事実だったのです。

近くて、まあまあ良い歯医者って処が、

私の本当の評価であったと思います。

歯は命と関係ないと云う事実、

歯科医師は医師とは違うという現実、

健康保険の効かない治療を進める精神的苦痛、

予防よりも削る治療中心の現実、

私の心はボロボロになりました。

良い歯医者を夢観て歯医者になった私は、

良い歯医者って、どんな歯医者か判らなくなりました。

当時から、

健康保険の治療でもラバーダム防湿は行っていました。

歯周病の治療を行ってから修復治療を行っていました。

真面目に、真面目に、

歯科医師をしていたと思います。

しかし私は、

私の理想の歯科医師の仕事は出来なかったのです。

私は商家の跡取り息子です。

家業中心の生活に入ったのです。

診療所は移転し規模を縮小し、

治療椅子1台きりで、

歯科衛生士1名の、

1週間に1日か2日程度の診療で、

健康保険の治療を辞退したのです。

健康保険の効かない歯科医院など、

当時の私の患者さんの殆どから見放されました。

治療費用の高い歯科治療など無意味であると云う現実に

私は実感させられたのです。

家業の仕事は順調に推移していきました。

全国に販売店を構えられ、

都内を中心に全国を飛び回るビジネスマンが、

私の姿となりました。

しかし私は歯科を完全に捨てることが出来ませんでした。

私の心が歯科医師だったからです。

高い治療費用でも、

私でなければ嫌だと云う、

本当にありがたい患者さんに救われていたのです。

経営者の苦悩も味わいました。

事業拡大に伴い、

心配、苦悩の種類も変化すること。

キャッシュフローの苦労の連続。

売り上げが増えても、

経費もかさみ、

派手に観えても、

歯科医師の苦労とは別の苦労が在る現実に直面する毎日でした。

私は歯科の教育を受けた人間です。

技術者の、

科学に生きる教育を受けた人間です。

他人の造った商材を販売するビジネスマンの性質が

私に馴染む筈はありません。

革靴の底が一月で磨り減るほど歩いては、

販売店を回っていたのです。

宿泊ホテルは全て一流処。

銀座、北の新地では、

常に黒服から挨拶されるほど、

接待され、

接待し、

ビジネスマンとしては成功者と言われる範疇に居たにも拘わらず、

私の心は渇いていたのです。

心を充たすために事業を拡大していました。

それでも、

心は逆に益々、渇く一方だったのです。

世間に良くある話しです。

お家騒動が勃発し、

私は両親と反目し追放されました。

私は安堵したのです。

歯科医師の仕事しかなくなったからです。

二足のわらじで、

歯科はほぼ休業状態。

しかも自費診療のみ。

42歳の時です。

食べてゆくのも大変でした。

1000円を手にスーパーへ、

別居中でしたから、

当時中学1年の娘との二人暮らしで、

おかずを工夫して作る毎日でした。

空手を習いたいという娘の空手着を買うのに

苦労した情けない思いを、

今でも思い出すのです。

生活は苦しい一方でしたが、

健康保険の治療は再開しませんでした。

私でなければ嫌だと云う患者さんで、

私は最後の勝負をしようと決めたからです。

そこで初めて、

私は歯科医師と云う仕事と心中する覚悟をしたのです。

 

 

 

ノートルダムの森

人生のなかで、多くの出会いを経験します。

私は神さま仏さまから、

人との良い【えにし】を頂ける幸運に恵まれている果報者と、

常々自覚しつつ感謝して過ごして来ました。

毎朝のお仏壇でのお祀りも、

そうした幸運をご先祖さまに感謝しているからです。

多くの著明な歯科医師の先生方の胸を借りて育てられ、

今日、患者さんの治療を行うことが出来ているのです。

患者さんとの【えにし】に際しては、

私は自分の全てを捧げることを

師匠から躾られて来ました。

【歯科治療は愛の仕事である】と云う教えです。

私の今は、

決して自分の力だけでは成り立っていないと、

多くの出会いに感謝しています。

幸運な【えにし】に際して、

その度々、

感動に身を震わせたものでした。

東京都麻布開業の内藤正裕先生との初めての【えにし】の際の興奮は

今でも鮮明に身体に記憶されています。

私の歯科医師としての生きざまは、

先生無くしては語れません。

50も半ばを迎える私が、

昨夜、

生まれて初めての【感覚】を感じ、

興奮していたのです。

歯科医師の仕事は【五感】を研き、

そこから初めて生まれる【第六感】を育てる修業であると、

日頃、若い先生方に口酸っぱく伝えてきた私が、

その範囲を遥かに越えた【感覚】にて、

感動したのです。

岡山県倉敷市にあるノートルダム学園清心中学高等学校と言えば、

故 渡辺和子先生の名を直ぐに思い浮かべる事でしょう。

先生の著作の殆どを私は読んでいます。

しかし、

私は先生を知りません。

また真面目?なる仏教徒である私にすれば、

修道会のシスターと云う存在は、

全く身近とは言えない、

異種族の方と感じて来ました。

あり得ない存在、

自分とは関係のない存在、

それがシスターと云う人たちであったと云うのが本音です。

その様な私が、

【えにし】を頂き、

現 校長先生である三宅聖子先生と長い時間を

過ごす機会を得たのです。

私は職人です。

ですから、

人との初対面の際に、

悪い癖が顔をもたげるのです。

剣客のように、

相手との間合いを取り、

瞬時に相手の技量を観てしまう習性が、

知らず知らずに身に付いているのを自覚しています。

しかし、

昨日の【えにし】においては、

私は戸惑ったのです。

仏教の真言宗では、

大日如来様を中心とした胎像界と云う概念が在ります。

宇宙全体の中心に仏さまが居られ、

万事、母親の子宮に包まれ営みが在ると云う考えです。

三宅聖子先生との瞬間に、

私はこの世界に包まれていたのです。

このような経験と感覚を

私は未だに知りません。

私にとっては、

知らない渡辺和子先生よりも、

包まれていた三宅聖子先生に

圧倒以上、

感動以上、

恐らく胎児に還る感覚を味わっていたのだと思います。

【ひとかどの男】になる修業をしている積もりでしたが、

所詮は男は女性には敵わないと察した私は、

素直な一人の人間に、

初めてなれた瞬間だったと思います。

アル.パチーノの演じるドン.コルリオーネが

バチカンの司祭に懺悔する映画のシーンが私は印象的で、

年に一度や二度、

自然と観る機会が在ります。

懺悔するマフィアのドンを演じるアル.パティーノの表情と、

続けなさい、私の息子、

と語る司祭の演技は圧倒的な名作だと思います。

【人は良い事をしながら悪い事をする】

【人は悪い事をしながら良い事をする】

この言葉の意味に、

大いに共感し、

大人の男になろうと、

やせ我慢と修業に踏ん張った私が、

人に初めて【素直】になれた瞬間だったのです。

【歯の番人】ほど、

やせ我慢の要る仕事はないと思っていました。

が、

三宅聖子先生の姿と言葉は、

仏さまのように観えました。

先生の脇に控えし、

先生の愛弟子の先生に、

私は初めて【畏れ】の感覚を抱いたのです。

【畏れ】は【恐れ】とは違います。

愛弟子の先生の姿は、

仏教で云う、

御本尊様の脇に控えし脇仏さまのように観えました。

味わったことのない感覚にて、

私はノートルダムの森を振り返り、

あぁ、此処には神さまが居られると、

そう感じて後にしたのです。

 

 

 

 

日本の将来は?

バシーン!

もうびっくりしました。

で、

続いて、

蹴りが!

早合点しないで下さい!

私にではありません。

私はホームセンターへ頻繁に出向きます。

駐車場に車を停めて、

ホームセンターの入り口に差しかかった瞬間、

私の真横で起こったドラマです。

張り手と蹴りを入れたのは女性!

両手で頭を抱えて座り込んだのは男!

私の横10センチの出来事に、

私は何が何だか?

続いて、

オリャーお前!

判っとんんかぃ!

コレも女性の台詞。

鬼の形相の女性は、

男を見下ろしながら、

蹴りの連発。

馬鹿な私です。

よせば良いのに、

つい、

屈みこむ男を被うように、

で、

女性を見上げ、

およしなさい!

ハシタナイ!

 

なぁにぃ~!

おりゃなんじゃい!

この上2行は私の台詞ではありません。

呉々も。

今度は私の方へ と、

で、

私は歯科医師です。

怪我をさせると高くつきますよ!

と、サラリと私

女性と云うのは止めます。

この鬼の女は、

じゃかましいわぃ!

と、捨て台詞を残し、

黒のSUVに乗り込み去って行ったのです。

大丈夫ですか?

お怪我は?

警察呼びましょうか?

と、立ち上がらせたら、

男はポツリとこぼしたのです。

女房です。

すみません。

ありがとうございます。

大丈夫です。

止せば良いのに、

つい、

好奇心旺盛なる私は問うたのです。

何があったんですか?

ホームセンターの出口に至った時に不幸が襲ったのです。

男のジャージのポケットからポロリと落ちたるスマホが、

男の命を失いかねないキッカケと。

????

エッチなサイトの画面だったのです。

男は大いに反省している様子ですが、

私には少々、合点がいきません。

エッっと云う表情の私に男は不自由な脚で、

何度も何度も振り返りながら去って行ったのです。

あの女、

普通にしていれば美人の部類に入ると思います。

しかし、

このハシタナイことこの上なし!

割りきれない気持ちで、

ホームセンターの帰りに

興奮から乾いた喉を潤そうと、

ハンバーガーショップへと。

あぁ、入る処が悪かったのです。

女性が4人テーブルを挟んで座っていました。

耳にシャッターすれば良いのに、

私の耳はダンボに変身したのです。

会話の内容は書けません。

男同士の猥談より凄まじい。

恐らく30代後半でしょうか?

文庫本を読むふりをしながら、

私は恐ろしい現実を体験した気持ちでいました。

吉永小百合や山本陽子、

あぁ大和撫子と云う響き良い言葉は、

今は何処へと?

幼い頃の私の女性へのイメージはこうでした。

白いエプロン姿で、

畳に座り縫い物の最中。

無論、

台所の火にかけた鍋の具合を気にしながらの

家事の掛け持ち。

そこへガラリと玄関戸の開く音が。

片手で髪型を整えつつ、

立ち上がるや否や、

アラ、あなた、お帰りなさい。

と、夫の上着を脱がせる手伝いの傍ら、

鞄を受け取り、

先にお風呂になさいます?

それとも、おビール?

今日の出来事を、

今の話しとセットで息子へ話したら、

父ちゃん!

現実は前者の2つ。

最後のは古典、漢文の世界やろ。

で、息子に聞いてしまいました。

お前も蹴り入れられたのか?

息子曰く。

流石に最初の話しは、

チョッと住む世界の違う人やと思うけど、

父ちゃん、

女性専門週刊誌を観てみぃな!

スゴいで!

何が何だか判らない難しい時代に

長生きは止めようと思ったのです。

 

 

嫉妬って、こわ~いですね!

私ん処が、

良~く観えるんでしょうね?

自費診療で自社ビル建てて、

儲けやがって!って、

腹が立つんでしょうか?

別段、

儲けようなんて考えて治療したことありませんよ。

それに私ん処は、

治療椅子1台きりで、

後は手術室だけですよ。

儲けようと思えば、

そんな効率の悪いこと出来ませんよ。

私が歯科のユートピアを創りたいと、

夢を追いかけているだけです。

ただの阿呆ですよ。

可笑しいことが沢山在るんです。

私が側に居るのも知らずに、

そりゃそうだ。

私の診療所に来られたことのない人ですもの。

口を開けて、

自分の歯を指で指して、

私が治したんだとか!

で、

全然、良くないって。

私ですか?

その時は機嫌が悪かったんで、

歩みよって、

私が三枝ですがって、

ご挨拶させて頂きましたよ。

その人ですか?

アワアワと、

泡喰ってました。

下の階で子供服の店ヤってルでしょ?

コレも気にいらないみたいですよ!

散々、悪口言われますもの。

【誰かをお誉めしても、その人の耳に入ることはありません】

しかし、

【誰かの悪口を言うと、即座にその方の耳に入ります】

これは幼い頃に、

婆やから聞かされていた教訓の1つです。

上手いこと言うもんだと、

この歳になって、

昔の人の知恵に脱帽するのです。

歯科医師は美容師じゃあありませんから。

ただ、

美容師さんの仕事も大変ですよ。

腕の良いスタイリストって、

物凄い努力されてますもの。

ただ、

身体にメスを入れて傷つけることはありませんし、

噛み合わせなどの微妙な綾とか、

悪性の病気に関わることがないのが

羨ましい点ですが、

大変な仕事と云う意味では

同じですね。

歯科医師を真面目にすればするほど、

矛盾を感じます。

患者さんの言いなりになれない一線ってもんが

在るんです。

言う事を聞いたら、

患者さんの困ることになる!

って判断した時には、

私は断固拒否しますから。

それで悪口言われるのは、

一向に構いません。

其処は医者の信念ってもんが在りますから。

が、

嫌になっちゃうのが、

嫉妬、ヤッカミですよ。

婆やの教訓じゃあありませんが、

誰が言ったか直ぐに、

こういうのってセットで耳に入りますから。

そういう時は、

私ですか?

可哀想な人だなって、

神さま仏さまにお願いして差し上げるんです。

どうぞ、

その方がお幸せになられますようにって。

私の恩師である山口先生って人は、

昔から還暦過ぎた現在に至るまで、

女性にモテにモテまくるんです。

それが幸か不幸か?

今を以て独身で居られます。

そのモテる山口先生が気にいらないって人が居るんですよ。

大人気ないでしょう?

散々、アチコチで悪口言い回ってますよ。

勿論、

山口先生も耳に入ってます。

で、

聞いてみたんです。

先生、腹が立ちませんか?って。

先生はこう仰られていました。

全く。

全然。

アイツは可哀想な奴だもの。

で、

山口先生からも聞かれました。

三枝も悪口言われるだろ?

腹が立つかい?

そりゃそうだ。

やっぱり可哀想な奴だと思いましたから。