日別アーカイブ: 2017年5月3日

1日を大切に

嫌なことが在っても淡々と受け流せるようになりました。

これは慣れによる成果だと確信しています。

次から次へと嫌なことが沢山在りました。

心が穏やかになる日は滅多にありませんでした。

私の普通が異常であると云う台詞から始まる地獄は、

無視をバイパスとして準備され、

相手の気の向くままに、

次々と襲いかかってくるのです。

人生において、

これ程の罵声と嘲笑い、軽蔑に富んだ言葉と態度を

私は経験したことがありませんでした。

私に原因が在って、

不快感や迷惑をかけているのならば、

それは大変だと、

鬱状態になったこともあります。

今、私が正常に過ごせるのは、

書物と歯科医師としての自覚からです。

歯科医師として、

誠実に歯科医学と患者さんに向き合って来ました。

それには自負が在ります。

また、

自身の【いたらなさ】の去勢を書物に求めて、

また、

【折れそう】な心のつっかえ棒を

書物に求めていたのが事実です。

【柳に風】のように人目からは観えるのだそうです。

飄々と、飄々と。

が、

そんな筈ある訳ないでしょう?

私は情熱の歯科医師です。

大きな喜怒哀楽の感性を持つ者です。

自身を抑えて、抑えて、

封じ込めて、

初老の紳士たれと、

やせ我慢の無理をしているのです。

思い返せば、

腸がひっくり返るでは済まないこと度々。

元来、喧嘩っ早く短気な質ですので、

先の家人をぶん殴ったことも在ります。

今で云うDVって奴でしょうね。

馬鹿らしいから止めました。

爆発するほどのエネルギーは身体を傷めます。

また、手は神聖なる私の仕事道具です。

で、

歯科医師は紳士たれと、

そう自覚してから怒りの爆発は起きなくなりました。

ただ、

自然とですね。

心が自然と準備に入っていたんでしょう。

相手への愛情は、

私は馬鹿ですから知り合ってからと変わらず在りました。

でも、

心が限界に来ていたんだと思います。

子どもにも距離を置く自分を感じていました。

後で親として最大級の苦しさがくることを

一度の離婚から経験していましたから。

一度目の離婚の原因は全て私に在ります。

申し開き出来ません。

若気の至りだと、

息子に語ったことが在りました。

夫婦の問題は半と半と言いますが、

私は息子には、父が若かったのだと。

それだけ語りました。

縁が在って再婚しました。

娘が生まれ私生児扱いだったからです。

私が世間が恐かったのです。

この時は最初の家人とは別居中でしたから。

しかし、

娘と家人の顔を観る度に胸が潰れる想いに、

耐えられなかったのです。

最初の家人と離婚し、

再婚した経緯は世間では色々と言われました。

その後で、

泣く人を作ってまで手に入れた家庭は、

家庭と呼べる代物ではなかったのです。

激動の15年近くだったでしょうか?

先生、丸くなりましたねぇ!

なんて台詞を頻繁に耳にします。

そりゃそうです。

辛い辛い日々でしたから。

ただ随分と勉強にはなりましたね。

自分の性格は努力すれば変えることが出来るけど、

他人の性格は、

他人では変えることが出来ない。

これは私の生活から学んだ答えです。

私は思っています。

他人を悪く言ってはならないと。

ただ、

注意に過敏に反応する人は、

また、

聞く耳持たない人は、

関わらないべきだと。

本当に大変な経験をさせて頂きました。

このような時代が在ったことは、

将来と言っても、

沢山残ってはおりませんが、

必ず役にたつでしょう。

随分と遠回りもし、

時間とエネルギーを無駄遣いしました。

私は、あぁ云う人には成りたくない。

素直さが在れば。

感謝の気持ちが在れば。

我の強さを少しだけ弱めれば。

何度そのように思いながら、

相手の顔を観ていたか判りません。

【1日を大切に】と云う言葉の本当の意味を

感じて欲しいと、

毎日、毎日、

お仏壇の前に座り読経していました。

が、

私らしくない。

ある日を境に、

私は読経を止めました。

お茶とお花の水を変えて、

燈を灯し、お線香を炊く。

お輪をならして合掌で。

お経をあげるのが辛いからです。

砂上の楼閣のような家族の家長でしかない私が

自分が情けなかったからです。

歯科治療においては私は一言語れる修行は積みました。

芸の道に限りはありません。

死ぬまで歯科治療の真髄を追い求めて歩くでしょう。

群馬県の浅見博士から、

三枝、お前は剣客として勝ったと言われました。

私はこう返したのです。

人生においては俺は全般、お前に負けたよ。

【1日を大切に】の言葉が脳裏から離れません。

柳に風で良いでしょう?

飄々とで良いでしょう?

それでも1本筋の通った人生を

確実に歩もうと思います。

 

 

 

手術

以前、大阪市にて大学関係の大切な会議がリーガロイヤルで在りました。

丁度良い機会だと、

当時新潟市に暮らす息子に私の乗り古しの自動車をやろうと、

大阪市まで息子を呼んだのです。

大学の先生方も息子をよく知って可愛がって下さるからです。

ただこの時の会議は特に大切な会議でしたので、

会場のホテルは目立ちすぎて色々と不都合な話しも幾つか在りましたので、

私個人の裁量にて、

近くにゆっくり話しの出来るホテルを予め準備していたのです。

こういう処を、

流石、三枝先生は仕事人とお誉め頂きます。

偉い先生方との話しも進み、

で、

息子も紹介でき、

私は大満足で家路に就いたのです。

不幸は忘れた頃にやってくる。

先に家人の様相が怒り爆発寸前の火山の如く。

どうやら私が寝ている最中に、

鞄の中を探索して、

タブレットを覗き見したようです。

とは、本人は絶対に言いませんが。

で、

宿泊はリーガロイヤルだった筈。

なんでお洒落なホテルをツインでとってるんだ!

男同士でツインはおかしい!

女だ!

何処の女だ!

汚らわしい!

性キチガイ!

寄るな!

近寄るな!

嘘つき!

私ですか?

ビックリしますよ。

脳ミソのなかの神経繊維が思考を次々に伝導するのですが、

脱線しているシナプスの修復作業を私は知りませんし、

暴風雨のなかは命懸けでしょう?

このようなクダラナイ妄想で大切な命を落とせません。

組織においては私よりも年少者でも、

上位の人が居ることは良く在ることです。

私が非常勤講師ですから、

言いやすいこと、

聞いて欲しいことも在るのでしょう。

また人生経験からかキャラクターからか、

この先生は私になついてくれています。

ゆっくり酒でも飲んでじっくり聞きましょうって、

そんな感じでした。

ましてや私らは自身の立場を認識しています。

皆さんが頭を下げて下さるからこそ、

私らシャン!として観せねばなりません。

そういう立場ですし、

そういう歳ですよ。

大いなる冤罪はマスコミが晴らして下さいますが、

私の浮気の冤罪を助けて下さるマスコミは皆無です。

で、

その先生の父上に泣き付きましたよ。

先生、助けて下さいと。

天下の三枝先生でも恐いものが在るんですねぇ?

何を呑気な事をと内心で思いつつ、

家人の携帯電話の番号をお知らせしたのです。

結果ですか?

ダメです。

なんで?

男通しは庇い合うものだと。

以降の私は家ではゴキブリ以下の扱いを受けています。

辛抱しました。

同じ土俵へはと。

が、

自分のなかで音がしたんです。

私は男として、

夫として、

親として、

グッと辛抱しながら真面目に仕事して、

真っ直ぐに家に帰っていました。

何か気に入らないことが在れば、

古い引き出しを開いて、

責める、責める、責める。

いつの間に娘たちも私に近づきません。

何か欲しい物を買って欲しい時だけです。

完全に、

私の中身が変化したのだと思います。

と言っても、

盛り場へゆき、

其処の女性と会話するのは私は好みません。

私なりの紳士のたしなみと云うものが在るのです。

犬と遊ぶ、

車の修繕くらいしか、

思い浮かぶ身の処せどころが判りません。

しかし、

家に入れば手荷物席以下の扱いに、

私が家族のためにと頑張っていたのは、

私自身の自己満足でしかないと悟ったのです。

私は私のためだけに頑張ろうと。

頑張ることしかできない私の世代ですから。

出て行け。

自然と言葉になったのも、

白髪が増えた代償と、

砕け散るくらいに苦しんだ日々の積み重ねからのことです。

いつか良い出会いの報告が出来ることを祈っててください。

今、私は人生で最大の怒りを2つ抱えています。

手術が必要だったと云うことです。

 

 

 

砂の山

仕事や芸の苦労は買ってでもやれと、

そんな風に叔父から言われ大きくなりました。

仕事や芸の苦労と一口に言いますが、

その克服には大変な辛苦を経験しなければなりません。

それでも、

長い経験の積み重ねでしょうね。

仕事や芸の悩みは、

自分自身の流した汗と涙と血が、

どんなに苦しくても成果へと繋がるんだと云うことが判りました。

しかし、

私が古い人間だからと一言で片付けて欲しくありません。

長い間、家庭運営に苦しみました。

諸悪の根源は私そのものだそうです。

考え方、

態度、

言い方、

全てがダメなのだそうです。

歯科医学の習得のための辛抱って大変なエネルギーを要します。

歯科医学の門を叩いたのが18の歳でした。

以来54に至るまで、

歯科の真髄を夜空の一点星のように焦がれて、焦がれて、

情熱失せることなく、

時には自身に鞭をいれて、

探し求めて来ましたし、

未だその最中です。

しかし、

家庭運営は諦めました。

波打ち際の砂浜に幼い頃、

よくサラサラの砂で山を造ったのを思いだします。

歳とって私が造ろうとした山は、

砂がもっと、もっとサラサラで山の形になってはくれませんでした。

よーく観ると、

山そのものが、

押し寄せては退く波の間際に在ったようです。

歯科医師で良かった

先の家人から言われたらことが在りました。

あなたは目標をたてて、それに向かってゆく人だと。

すっかり褒め言葉かと思っていましたら、

喧嘩の最中の台詞でしたので、

相手の意図が全く判りませんでした。

今、幸せを実感するのがご所望なのだとか。

今、幸せでなければ、先は判らないと云う理屈なのだそうです。

そもそも、

このような議論が噛み合う筈もなく、

延々と私は罵声を浴び続ける事になります。

決まった日常を過ごす私と居ることが、

肩凝りと疲れの諸悪の原因であるとか、

私が歯科医師免状を持っていなければ誰も私なんぞ相手にしない、

誰それさんんも皆がそう言っていると云う序奏から、

クライマックスは、

以前、ブチキレた私が手を出したことを、

危険極まりない凶悪犯、

子どもたちも、皆が恐れている。

で、

終盤は出てゆくからと。

私ですか?

そりゃカッとしますね。

昔はキレてました。

何でも私が家に居ると窮屈だそうで、

外に女を作れと推奨されもしました。

親が馬鹿なら息子のお前も馬鹿。

だからお前の前の女房も馬鹿で、

その間に出来た子どももみんな人間の屑。

出て行って、どうやって娘たちを養うんだ?

と問うと。

身体を売ってでも食べさせてゆく覚悟が

女の覚悟なのだとか。

私が手を出したのは、この台詞が出た時です。

何をするのか判らないと云う怖さと、

家人に対する愛情も在りましたから、

鉾を納めるようにと、

下げる理由はないのに、

頭も下げました。

以降、

何か気に入らないことが在る度に、

あなたはDV人間だ!

と、騒ぎ、

娘たちを自分の後ろに隠し、

居ることだけで恐怖を感じると云う理由で、

別宅へ娘たちを連れて出て行ってしまうのです。

で、

子ども送り迎えは私の車。

私の診療所の1階で店を営業。

たまの電話と言えば、

子どもが○○した。

何処の病院へ連れて行こう?

これは未だ良い方で、

生活費くらい入れると云う親の心が無いの!

自分から私の世話になるのは嫌だと言ったじゃあないか。

返せば、

気配り、心配りのない人間だ!

家庭を壊してはならないと一心に思っていました。

友人から言われたら台詞が印象的でした。

贅沢はいかんよ。

お前には仕事運が在るやないか。

少々は眼を瞑れ。

俺は出来んけどな。

私は努力して自分を変えて来ました。

欠点も自覚しています。

少しずつですが、

欠点を抑えています。

ただ、

世間みんなが私をと云う何時もの台詞には、

毎回、毎回、

心が傷ついてなかなか癒されません。

家族と思う人から、

お前なんぞ頼っていない。

居ないほうが良いと云う台詞も、

心が氷ます。

それでも、

ひもじい想いをしてはいないか?

なぜ内だけが?

そう考えると、

心が沈みます。

何を言っても、

バシッと、

上から反論され、

家人の荒れた心を癒す手立てを私は持ちません。

歯は素直です。

私は歯科医師で良かったと思います。

登り階段

50も半ばにもなりますと、

人生を階段に例えるならば、

途中の踊り場を過ぎて、

既に上段への脚をかけているのが判りますから、

階段の先の方角を仰いでみたり、

振り返ってみたり。

反省も多く、

後悔する機会も多いですよ。

でも、

必死で登ってきたと云う自負だけは在ります。

ですから、

他人からどのように観られているのか?

そんな事には全くの無関心です。

性格がどうだ?

考え方がどうだ?

ご批判は重々に在るでしょう。

だからどうした。

嫌なら近寄るな。

俺も嫌なら近づかん。

ただし、

好きな事だけと云う考えも私は受け入れません。

世の中は不条理の連続です。

耐える強さ。

交わす知恵。

折り合いをつける度量。

それらは好きな事だけでは身につきません。

塩梅と云う言葉が在りますが、

この塩梅と云う便利な知恵を如何に用いるのかが

男の知恵だと思います。

と言っても、

非武装などと云う絵空事など議論にもならず、

戦う際には、

それこそ命懸けで戦いますよ。

まだ登り階段が残っていますから。

 

 

 

早い決断を

家族で出かけようと、

出発時刻は1時にと、

確かに家人の口から聞いた筈だったのですが、

時計を見ると、

どうしても1時には出かけられる準備は進んでいません。

君、出るのは2時になるんじゃ?

帰ってきた台詞は、

2時と約束したら3時になるわよ!

平然と言うんです。

待ち合わせ時刻に出かける準備をすると云う性格?習慣に、

几帳面なる私は何度、額の血管が切れそうになったことか。

文句でも言おうものなら、

プロのピアニストの奏でる鍵盤の如く、

ベラベラと理屈、屁理屈の大合奏。

男は口では女には勝てません。

自分のいい加減さもを指摘された時も定台詞は、

沖縄の生まれ育ちだからしゃあないやん!

其れがいい加減さの理由の事実なら、

早々に沖縄へ帰れ!

と、

内心にて思って来ました。

そのような環境を過ごしましたから、

私は沖縄と云う処に良い印象を持てません。

喧嘩にでもなろうものなら、

南国の女は凄まじいですよ。

私が静かさを求めるのは、

もう煩さに辟易しているからです。

あんたの世話には一切ならん!

と怒鳴られたことたびたび。

で、

私の車を平然と乗って出かけて行く。

その辺を指摘すれば、

子どもへの虐待!

子どもが可哀想だと思わない父親の自覚失格人間。

店についても同様です。

この建物は私のものなんだが?

と問うと、

外で働いて稼いでやるわよ!

女は何でもするのよ!

こういう始末ですから下手に話しなど出来ません。

毎朝は自己診断の低血圧とかで、

機嫌悪いこと、この上なし。

多いんだそうです。

こういう人。

私は限界点に至り処置しましたから、

良かったですが、

私自身を振り替えってみて、

決断が遅かったように、

今になって、そう思います。