先の家人から言われたらことが在りました。
あなたは目標をたてて、それに向かってゆく人だと。
すっかり褒め言葉かと思っていましたら、
喧嘩の最中の台詞でしたので、
相手の意図が全く判りませんでした。
今、幸せを実感するのがご所望なのだとか。
今、幸せでなければ、先は判らないと云う理屈なのだそうです。
そもそも、
このような議論が噛み合う筈もなく、
延々と私は罵声を浴び続ける事になります。
決まった日常を過ごす私と居ることが、
肩凝りと疲れの諸悪の原因であるとか、
私が歯科医師免状を持っていなければ誰も私なんぞ相手にしない、
誰それさんんも皆がそう言っていると云う序奏から、
クライマックスは、
以前、ブチキレた私が手を出したことを、
危険極まりない凶悪犯、
子どもたちも、皆が恐れている。
で、
終盤は出てゆくからと。
私ですか?
そりゃカッとしますね。
昔はキレてました。
何でも私が家に居ると窮屈だそうで、
外に女を作れと推奨されもしました。
親が馬鹿なら息子のお前も馬鹿。
だからお前の前の女房も馬鹿で、
その間に出来た子どももみんな人間の屑。
出て行って、どうやって娘たちを養うんだ?
と問うと。
身体を売ってでも食べさせてゆく覚悟が
女の覚悟なのだとか。
私が手を出したのは、この台詞が出た時です。
何をするのか判らないと云う怖さと、
家人に対する愛情も在りましたから、
鉾を納めるようにと、
下げる理由はないのに、
頭も下げました。
以降、
何か気に入らないことが在る度に、
あなたはDV人間だ!
と、騒ぎ、
娘たちを自分の後ろに隠し、
居ることだけで恐怖を感じると云う理由で、
別宅へ娘たちを連れて出て行ってしまうのです。
で、
子ども送り迎えは私の車。
私の診療所の1階で店を営業。
たまの電話と言えば、
子どもが○○した。
何処の病院へ連れて行こう?
これは未だ良い方で、
生活費くらい入れると云う親の心が無いの!
自分から私の世話になるのは嫌だと言ったじゃあないか。
返せば、
気配り、心配りのない人間だ!
家庭を壊してはならないと一心に思っていました。
友人から言われたら台詞が印象的でした。
贅沢はいかんよ。
お前には仕事運が在るやないか。
少々は眼を瞑れ。
俺は出来んけどな。
私は努力して自分を変えて来ました。
欠点も自覚しています。
少しずつですが、
欠点を抑えています。
ただ、
世間みんなが私をと云う何時もの台詞には、
毎回、毎回、
心が傷ついてなかなか癒されません。
家族と思う人から、
お前なんぞ頼っていない。
居ないほうが良いと云う台詞も、
心が氷ます。
それでも、
ひもじい想いをしてはいないか?
なぜ内だけが?
そう考えると、
心が沈みます。
何を言っても、
バシッと、
上から反論され、
家人の荒れた心を癒す手立てを私は持ちません。
歯は素直です。
私は歯科医師で良かったと思います。