嫌なことが在っても淡々と受け流せるようになりました。
これは慣れによる成果だと確信しています。
次から次へと嫌なことが沢山在りました。
心が穏やかになる日は滅多にありませんでした。
私の普通が異常であると云う台詞から始まる地獄は、
無視をバイパスとして準備され、
相手の気の向くままに、
次々と襲いかかってくるのです。
人生において、
これ程の罵声と嘲笑い、軽蔑に富んだ言葉と態度を
私は経験したことがありませんでした。
私に原因が在って、
不快感や迷惑をかけているのならば、
それは大変だと、
鬱状態になったこともあります。
今、私が正常に過ごせるのは、
書物と歯科医師としての自覚からです。
歯科医師として、
誠実に歯科医学と患者さんに向き合って来ました。
それには自負が在ります。
また、
自身の【いたらなさ】の去勢を書物に求めて、
また、
【折れそう】な心のつっかえ棒を
書物に求めていたのが事実です。
【柳に風】のように人目からは観えるのだそうです。
飄々と、飄々と。
が、
そんな筈ある訳ないでしょう?
私は情熱の歯科医師です。
大きな喜怒哀楽の感性を持つ者です。
自身を抑えて、抑えて、
封じ込めて、
初老の紳士たれと、
やせ我慢の無理をしているのです。
思い返せば、
腸がひっくり返るでは済まないこと度々。
元来、喧嘩っ早く短気な質ですので、
先の家人をぶん殴ったことも在ります。
今で云うDVって奴でしょうね。
馬鹿らしいから止めました。
爆発するほどのエネルギーは身体を傷めます。
また、手は神聖なる私の仕事道具です。
で、
歯科医師は紳士たれと、
そう自覚してから怒りの爆発は起きなくなりました。
ただ、
自然とですね。
心が自然と準備に入っていたんでしょう。
相手への愛情は、
私は馬鹿ですから知り合ってからと変わらず在りました。
でも、
心が限界に来ていたんだと思います。
子どもにも距離を置く自分を感じていました。
後で親として最大級の苦しさがくることを
一度の離婚から経験していましたから。
一度目の離婚の原因は全て私に在ります。
申し開き出来ません。
若気の至りだと、
息子に語ったことが在りました。
夫婦の問題は半と半と言いますが、
私は息子には、父が若かったのだと。
それだけ語りました。
縁が在って再婚しました。
娘が生まれ私生児扱いだったからです。
私が世間が恐かったのです。
この時は最初の家人とは別居中でしたから。
しかし、
娘と家人の顔を観る度に胸が潰れる想いに、
耐えられなかったのです。
最初の家人と離婚し、
再婚した経緯は世間では色々と言われました。
その後で、
泣く人を作ってまで手に入れた家庭は、
家庭と呼べる代物ではなかったのです。
激動の15年近くだったでしょうか?
先生、丸くなりましたねぇ!
なんて台詞を頻繁に耳にします。
そりゃそうです。
辛い辛い日々でしたから。
ただ随分と勉強にはなりましたね。
自分の性格は努力すれば変えることが出来るけど、
他人の性格は、
他人では変えることが出来ない。
これは私の生活から学んだ答えです。
私は思っています。
他人を悪く言ってはならないと。
ただ、
注意に過敏に反応する人は、
また、
聞く耳持たない人は、
関わらないべきだと。
本当に大変な経験をさせて頂きました。
このような時代が在ったことは、
将来と言っても、
沢山残ってはおりませんが、
必ず役にたつでしょう。
随分と遠回りもし、
時間とエネルギーを無駄遣いしました。
私は、あぁ云う人には成りたくない。
素直さが在れば。
感謝の気持ちが在れば。
我の強さを少しだけ弱めれば。
何度そのように思いながら、
相手の顔を観ていたか判りません。
【1日を大切に】と云う言葉の本当の意味を
感じて欲しいと、
毎日、毎日、
お仏壇の前に座り読経していました。
が、
私らしくない。
ある日を境に、
私は読経を止めました。
お茶とお花の水を変えて、
燈を灯し、お線香を炊く。
お輪をならして合掌で。
お経をあげるのが辛いからです。
砂上の楼閣のような家族の家長でしかない私が
自分が情けなかったからです。
歯科治療においては私は一言語れる修行は積みました。
芸の道に限りはありません。
死ぬまで歯科治療の真髄を追い求めて歩くでしょう。
群馬県の浅見博士から、
三枝、お前は剣客として勝ったと言われました。
私はこう返したのです。
人生においては俺は全般、お前に負けたよ。
【1日を大切に】の言葉が脳裏から離れません。
柳に風で良いでしょう?
飄々とで良いでしょう?
それでも1本筋の通った人生を
確実に歩もうと思います。