月別アーカイブ: 2017年3月

歯科と人生の幸せの両立

辛い辛い辛いことが続く長い時代が在りました。

そんな時、

前世での酬いを受けているのだろうか?

そんな気持ちになった事も在りました。

本当の意味での無謀な投げ遣りは出来ませんでした。

恐かったからです。

責任を全う出来ないことが情けなかったからです。

ただ不思議と、神様からの褒美も頂きました。

歯の声が聴こえる様になったのです。

診断力の足腰が鍛えられました。

得たものと、

失ったものとのバランスがとれたかどうかは判りません。

ただ歯科医師としての能力は伸びたと思います。

辛いことが、

歯へ気を向けたためかもしれません。

今、

本当に困った患者さんが確実にお越しになられます。

私は、その御期待にそえる歯科医師であることが、

私の生きる使命です。

が、

歯科に勝って、

人生に負けたでは、

どうしようもありません。

歯科と人生の幸せの両立を考える歳になりました。

残りの何十年間で、

私は本当の意味での幸せな歯科人生を掴みたいと思って、

日々を過ごす積もりです。

 

男の絶唱

タイトルの【男の絶唱】。

何の話しだとお思いになりますか?

歌手の氷川きよしさんの新曲なのだそうです。

先の患者さんから、

いつ診察を始めたら良いのだろうか?

と、出だしを見失ってしまいました。

先日、氷川きよしさんのコンサートに行かれて、

大いに満足なさったのだと。

一通りの氷川きよしさんへの熱き想いを

ニコニコしながら拝聴させて頂きました。

何でも前から3列目の席であったと。

ペンライトを降りまくり、

両手を振って、振って、

何度も氷川きよしさんと目があったそうです。

私のお造りさせて頂いた上の総入れ歯が無事だったようです。

あまりにもの絶唱にて、

総入れ歯が飛び出さないかと。

この患者さんは上の総入れ歯にご満足頂き、

下の部分入れ歯は余所の歯科医院にてお造りになったそうですが、

私に新調をお願いしてくれました。

完成前の、

今日が仮縫いの日です。

パチンと口に納まった入れ歯は、

これからも患者さんと人生の一助となってくれるでしょう。

だから入れ歯は、面白い!

  1. j

あぁ、この女性は御年76歳の、

チャーミングな方なのです。

今日の夜にはテレビで氷川きよしさんが新曲を披露されるとのこと。

先生も観てね!

無論、拝聴させて頂きます。

が、

画面の氷川きよしよりも

私の瞼には、

この患者さんの【女の絶唱】しか観えないでしょう。

次回が入れ歯の完成です。

前歯の隙間を小さくして、

後いろいろ。

来週を楽しみに待っています。

仕事

忙しいから、なかなか手が回りません、

と云う台詞が嫌いです。

なかなか手が回らないことが、

私にも在ります。

それは確実に、

気が重いことだから回らないのです。

私の場合ですが。

気が進むことは、

どんなに忙しくても即座に着手していますモノ。

忙しいことは良いことだと思うのです。

過重労働だとは思ったことはありません。

過重だと感じるのは、

その仕事に不向きだからだと思うのです。

といって、

不向きな仕事って何でしょう?

それじゃ向いてる仕事って何でしょう?

私は凡人です。

特技はありません。

在れば幼年期に、

他人から、その分野で天童と呼ばれていた筈ですから。

私なんぞ、

叱られて押入れの中に入れられた際に、

逆ギレして、

押入れの中でオチンチン出して、

押入れの中じゅうにオシッコを撒き散らしていましたモノ。

縁が在って就いた仕事が歯科。

歯科と云う仕事に自分の方を遭わせて来たと思っています。

向いてる仕事なんかじゃないですよ。

歯科医師の息子ではありませんから、

歯科の仕事を熟知していませんでしたモノ。

一生懸命に自分を変えてきた自負は在ります。

ずっと、

ひとかどの歯科医師になりたいと云うのが、

私の青春期からずっと持ち続けてきた夢ですから。

仕事って、

どんな仕事でも重いモノだと思います。

死ぬくらいシンドイのが仕事だと思います。

押し潰されそうな位の負荷がかかります。

それが仕事です。

それで自ら負けてどうするんだよと。

仕事って、

他人との競争のようで、

実際は自分との我慢比べだと思うのです。

だったら、

トコトンまで楽しもうと、

そんな気持ちに、

いつ頃かからなったのです。

今は歯科と云う仕事と私は一体だと、

そう感じますね。

男に必須なもの

池波正太郎作品の中でも【剣客商売】が1番好きです。

主人公の秋山小兵衞に男が憧れる訳が在ります。

普段は江戸郊外に隠居する身であり、

女房は孫の年ほどにも離れた女性で、

飯もとびきり旨い。

で、

徒然なるままに女房の膝枕で耳の掃除をさせながらのうたた寝過ごし。

たまに、

船を女房に漕がせて川を下り江戸の街へと出かけ、

街では皆から「先生、先生」と崇められ、

時に、

剣をとっては相手をバッサリ斬り倒す腕前。

そんな上手い噺など在る筈もないじゃないか!

と。

そりゃそうだ、小説だもの。

だから時代を経ても愛され続けられる作品だと思うのです。

【鬼平犯仮帳】の平蔵にしても、

あんな男の中の男の代表みたいな人を

この年になるまで観たことがありません。

そりゃそうだ小説だもの。

と言いつつ、

池波正太郎氏に会った機会はありませんが、

書物によれば、

相当に男の中の男であったそうな。

こだわりを持つと云う意味合いに於いては、

私も違いの解る男であると自意識過剰のきらい在りですが、

この類いは、

今には生き難い時代となったようです。

何事にも、

美意識と克己心?やせ我慢と云った方が良いかもしれません。

しかし、

男の生きざまには必須だと思うのです。

そういえば、

大和撫子と云う言葉が在りますが、

【なでしこ】の方は、

玉蹴りの世界では定着しているようです。

が、

そこに【大和】と云う冠が付いてしまうと、

もうコレは完全に死語であろうと。

耐久性もなにもかも、

強くなってきたことが進歩、進化だと

持て囃されています。

ただ女性については、

果たしてそうだろうか?

と、

著しく強く進化を遂げた日本の女性に、

私は、

ただただ圧倒されて吹き飛ばされそうになる

河原の柳の葉のようだと。

頑張れ!日本のお父さん!

私の選んだ仕事

昨日の新患の女性患者さんに接してから、

私は途方にくれています。

なんとか快適な環境と健康を取り戻して頂きたいと。

お口のなかの残り少なくなった歯は、

暴れていました。

当然、歯科医師の手が介入した痕跡、

否、

考えなしに造られた大掛かりな治療痕と云うべきでしょう。

噛む位置も定まってはいません。

帰りたくても居場所のない家庭と、

不条理な社会に揉まれる哀れなサラリーマンの姿のような

追い込まれた状況下の口腔でした。

治療の方法は星の数ほど在ります。

初対面の私が、

患者さんの先々まで予知しなければなりません。

私は患者さんの口腔の状況を、

瞬時に瞳孔のシャッターボタンを押して、

記憶できる特技が在ります。

その画像とレントゲン所見を前に、

途方にくれています。

どの治療手順を選択すべきか?

責任の重さに、

身が潰れそうな想いです。

それが私の選んだ仕事です。

血と肉

6年前の今頃の私は、

エベレストの山頂からスキーで滑走する心持ちで、

日本海側から太平洋側を大きく遮る雪の連邦のなかの

雪と氷だけに包まれた小径を、

ひたすら仙台目指して、

車のハンドルに掴まっていたと云う表現が

適切だと思う状況下に在りました。

国道、県道、高速道路が当たり前という毎日の普遍が、

一挙に崩れ落ちた瞬間でした。

道なき処を、

ひたすら進むと云う状況の異常さも、

恐怖を通り越して、

無心で進むと云う経験を味わいました。

ただただ、息子の名前を繰り返して繰り返して、

それだけで当地へと向かった記憶は未だに鮮明です。

今日も、

時計の針を眺める度に、

胸が傷むのです。

このような想いを、

毎年この季節を迎える度に味わい続けるのでしょう。

あの日から、

私は完全に変わったと自覚しています。

歯の仕事に一生を捧げることを、

単に口からの台詞ではなく、

私自身の血と肉になったと感じたのです。

幸せな男

先週末は仕事終わりの直ぐに、

車のハンドルを握って阪神方面へと出向いていました。

瀬戸内海に面した幾つかの県庁所在地のなかで、

街と瀬戸内の光景が最もマッチし、

美しい情景在るのが高松市だと、

私は車窓からの眺める度に、

その様に感じるのです。

世間では休日を楽しんでいる様相を余所に、

相変わらず私は、

昨日も朝から夜まで、

せわしなく動き廻っていたのです。

どのような些細な事象にも、

すべて歯へと結び付けて考へ、

歯の治療に役にたつ様にと、

そんな身構えで、

過ごす様になって随分と経ちました。

自然科学の分野が幾ら進歩したと云えども、

未だに解っていないメカニズムの方が多いのが現実です。

歯についても、

不思議で不思議でタマラナイ事の方が多いのが

現在でも私の本音です。

歯の魅力に取り憑かれたのですよ。

私は歯医者になって良かったと感謝しています。

せわしなく動く私でさえも、

海岸通りから磯上通りへと歩いていた、

ふとした瞬間、

ハーバーからの春の風を頬に受け、

生きている事を実感したのです。

歯の仕事で生きて、

歯の仕事で生涯を楽しむ。

私ほどの幸せな男は、

そうざらには居らんでしょう。

今日の1日

朝10時からの患者さんの治療は、

先のブログにてご紹介した、

上の前歯2本のオールセラミッククラウンの装着でした。

装着だけで1時間30分も!

歯科医師の方は驚かれるかもしれません。

クラウンからはみ出した硬化セメントを、

マイクロスコープを使って除去するので。

また、

クラウンの微調整もマニアックに徹すると、

1時間30分なんかアッと云う間です。

次の患者さんは根管治療。

で、

その次の患者さんが、

仮歯を2本入れる治療です。

終わり時刻は17時を過ぎると思います。

ですから、

今日の診察は3人。

これが私のベストであり、限界です。

1日に沢山、患者さんを診察する歯科医師の先生って、

天才的に器用なのですね!

父息子

6年前の今頃、

自宅を出て高松道にのった処だったと思います。

呑気に車のハンドルを握っていました。

翌日の夕刻に新潟駅に到着する予定の息子が、

新潟での高校受験を控えての駅までの迎えにと、

ゆっくり北陸道の景色を楽しみながら、

で、

新潟での新居の掃除でもと、

そんな休暇気分にて、

高松市を出たのです。

その数時間あとの息子からの携帯電話での叫び声など、

まったく予想だにしていなかったのです。

息子は息子で、

松島からゆっくり仙石線にて仙台に出て、

髪のカットにでもと、

そんな予定で過ごしていたようです。

仙台駅構内のコンビニにて、

よもや天井が墜ちてくるなどと云う顛末に遭遇するなどとは、

これまた想像の範囲から大きく逸脱していたでしょう。

其からの2回の夜を、

周囲の雰囲気と、

錯綜する情報と、

途切れ途切れでの現状を把握出来ていない私からの連結、

それらに翻弄されながらも、

寒さをしのぎ、

乾いた喉を潤すための飲料を確保しに探し、

食料と暖気、

そして携帯電話の電源補給に走り廻ることなど。

13日の夕刻、

私は宮城県医師会会館前にて、

息子を見つけたのです。

その間の心の苦しさ、

周囲の光景を、

私は決して忘れることはありませんが、

思いだしたくもありません。

車を途中置いて、

割れたアスファルトの地面を走り、走り、

ジャンプし、

で、

また走り、

息子の姿が視界に入った時、

正直、腰が抜けそうになりました。

父とは馬鹿な生き物です。

心とは別に、

おう!

とだけ、

敬礼の真似をして、

さぁ、帰ろうとだけ。

今、朝一番の患者さんがお越しになりました。

そんななか、

ちょうど思いだして、

掌をあわせたのです。