6年前の今頃、
自宅を出て高松道にのった処だったと思います。
呑気に車のハンドルを握っていました。
翌日の夕刻に新潟駅に到着する予定の息子が、
新潟での高校受験を控えての駅までの迎えにと、
ゆっくり北陸道の景色を楽しみながら、
で、
新潟での新居の掃除でもと、
そんな休暇気分にて、
高松市を出たのです。
その数時間あとの息子からの携帯電話での叫び声など、
まったく予想だにしていなかったのです。
息子は息子で、
松島からゆっくり仙石線にて仙台に出て、
髪のカットにでもと、
そんな予定で過ごしていたようです。
仙台駅構内のコンビニにて、
よもや天井が墜ちてくるなどと云う顛末に遭遇するなどとは、
これまた想像の範囲から大きく逸脱していたでしょう。
其からの2回の夜を、
周囲の雰囲気と、
錯綜する情報と、
途切れ途切れでの現状を把握出来ていない私からの連結、
それらに翻弄されながらも、
寒さをしのぎ、
乾いた喉を潤すための飲料を確保しに探し、
食料と暖気、
そして携帯電話の電源補給に走り廻ることなど。
13日の夕刻、
私は宮城県医師会会館前にて、
息子を見つけたのです。
その間の心の苦しさ、
周囲の光景を、
私は決して忘れることはありませんが、
思いだしたくもありません。
車を途中置いて、
割れたアスファルトの地面を走り、走り、
ジャンプし、
で、
また走り、
息子の姿が視界に入った時、
正直、腰が抜けそうになりました。
父とは馬鹿な生き物です。
心とは別に、
おう!
とだけ、
敬礼の真似をして、
さぁ、帰ろうとだけ。
今、朝一番の患者さんがお越しになりました。
そんななか、
ちょうど思いだして、
掌をあわせたのです。