どら息子の見本のような息子に
幾ら電話をかけても一向に出る気配は無し。
それでいて、
此方が用件を忘れた頃に、
都合の良い事に、
息子の困ったこと、
其れは大概の場所、
父ちゃん、懐がピンチなんや!
と云う、
決まり文句の台詞。
まぁ、私自身がそうであったので、
文句の一つも言えないのが、
これまた私の本音です。
どら息子の見本のような息子に
幾ら電話をかけても一向に出る気配は無し。
それでいて、
此方が用件を忘れた頃に、
都合の良い事に、
息子の困ったこと、
其れは大概の場所、
父ちゃん、懐がピンチなんや!
と云う、
決まり文句の台詞。
まぁ、私自身がそうであったので、
文句の一つも言えないのが、
これまた私の本音です。
他の歯医者では、
こんなに時間をかけて丁寧に診てくれません、
と云う言葉を、
患者さんから頂くからこそ、
報われるのですが、
実際に治療を受けられて居られない方からすれば、
私の診療所なんぞ、
得体の知れないモノだと思います。
これは素人の方に限らず、
歯科医師にしても同じこと。
健康保険診療主体の歯科医師からすれば、
要領の良い奴だと、
私は思われていることでしょう。
が、
私からすれば、
これも真逆で、
健康保険主体の歯科医師ほど、
気楽な稼業はないもんだと。
手順も、
考え方も、
診断の根拠も、
すべて同じで在るにも拘わらず、
材料が違うと云うだけで、
高い治療費用を頂こう等とは、
そんな甘い考えはないもんだ。
インプラント治療などは、
健康保険治療との境目がハッキリしているから、
このご時世、不景気な歯科業界の救世主になっているのが
本音の処でしょう。
しかし、
その様な甘い話しは夢物語。
素人の方も、
そろそろ其の辺りに気がつかなければ、
治す積もりが、
破壊者に壊されたと云う事態に陥りかねないのが、
ほぼ現状だろうと。
かく云う私も、
神業の持ち主ではない事を自覚しているからこそ、
時間をかけて丁寧に丁寧にと云う、
恐がりの典型的見本のような私の、
結果結末的治療方法となった次第です。
歯科医師は決してホワイトカラーではありません。
どちらかと言えば、
ブルーカラーで在る事は明白で、
能力の無さを、
手間隙と時間と誠意で補いながら、
辻褄を合わせるので精一杯なのです。
それでも、
私は歯が好きで堪らないので、
余計に始末に負えません。
あと今日はお一人。
スタッフの宮田君のご主人です。
セラミッククラウンの歯型採りです。
形成の最後の手当てを、
マイクロスコープを覗いて仕上げて、
で、
歯型採りに取り掛かります。
さぁ、一踏ん張り気合いを入れますか!
人は日常の暮らしのなかで、
自覚がなくても、
ストレスに曝されているのです。
例えば、
親が幼い我が子と楽しい時間を共にしようと、
遊園地へと出かけたり、
ショッピングモールへと足を運んだり。
其れは快感、不快感と云う分類で振り分ければ、
快感の範疇に入ります。
その様な正の作用であっても、
良い意味での正常ではない訳で、
ある意味、
其れは良いストレスと申せましょう。
ですから、
悪い意味でのストレス状態では、
心と身体に大きな負荷がかかるのです。
人は高度な感情を持つ生物です。
ストレスを自分自身で軽減する手当てが、
歯ぎしりなのです。
お金を遣わなくても、
何処かで発散するのでもなく、
自分自身で手軽にストレスを発散する手立てが、
歯ぎしりなのです。
クドイようですが、
ストレスとは、
悪い意味での負荷だけではなく、
快感を覚えることも良い負荷だと、
認識して下さい。
ストレス発散の手立てである歯ぎしりを防止するなど
自然の営みを阻害する愚かな行為です。
歯ぎしりを防止する手立てを行ったならば、
他の何処かに、
障害を惹き起こすでしょう。
しかし、
歯ぎしりは、
歯にとっては、
大変な迷惑な負荷でもあります。
歯科医学の最後の仕事は、
歯ぎしりとの関わりになるでしょう。
マウスピースは、
あくまでも砂上の楼閣でしかありませんが、
場合によっては、
診断の大きな助けにもなりますし、
治療の一助にもなります。
しかし、
万能ではありません。
私自身も、
歯ぎしりと上手く付き合う歯科治療を行っているのが
今の能力の限界です。
私の現役の間には解決できないかもしれません。
それが歯ぎしりです。
心底、歯で困って居られない方には
理解できないかもしれません。
が、
私の日常は、
本当に歯で困って居られる患者さんに、
支えられて、
過ごしてきました。
私が生きる意味を、
歯に見いだせたのも、
本当に歯で困って居られる患者さんが
居られるからです。
若い時分には、
功名心に流されることも、
正直に申し上げて在りました。
が、
その様な気持ちがすっ飛んでしまったと云うよりも、
そんな余裕が無くなったと云うのが、
本音だと思います。
本当に歯で困って居られる患者さんが、
次から次へと、
お越しになられるのに、
その苦しさを
少しでも解決する一助となろうと、
無我夢中であったと云うのが本音です。
患者さんとは、
苦しいモノですよ。
苦しい時は、
苦しいと言って良いのだと、
私は思います。
受けとめるのが、私の仕事。
光を見つけるのが、私の仕事。
そう素直に感じています。
其れは私も、
ひとかどの苦しさを味わった人間であるからです。
苦しい時は人間だもの。
歯科医師は、
単に歯の大工ではありません。
歯科医師は、
歯を通じて、
患者さんの健康を取り戻す手当てをする専門職だと、
私の今の歯科医師の定義を、
そう思っています。
旧帝国海軍最後の連合艦隊司令長官であった小沢治三郎大将は、
たしか、
泣きたい時もあるだろう、
苦しい時もあるだろう、
淋しい時もあるだろう、
其れを耐えるのが、
男の修行である、
と云うような言葉を残されていたと、
正確ではありませんが、
そう記憶しています。
男の修行は、それで良いのですが、
患者さんは、
医者に救いを求めて
何の不思議さも、
違和感もありません。
人間だもの。