朝、トイレに座っていると、
マリリンが直ぐ脇に駆け寄ってきます。
用を足す間ズットこういう状態で座っています。
ダイニングテーブルにて、
眠気覚ましの珈琲を飲む間も、
マリリンが離れることはありません。
眠る時も同じです。
犬にだけモテるようになった私は、
若い時分のバチが当たったものと
考えるのです。
朝、トイレに座っていると、
マリリンが直ぐ脇に駆け寄ってきます。
用を足す間ズットこういう状態で座っています。
ダイニングテーブルにて、
眠気覚ましの珈琲を飲む間も、
マリリンが離れることはありません。
眠る時も同じです。
犬にだけモテるようになった私は、
若い時分のバチが当たったものと
考えるのです。
週末の土曜日は仕事がはねてから、
今春中学へと上がる娘を連れて神戸へと出向こうと思っています。
パパ、まさかアノ車で行くんじゃないでしょうね?
と、最近つとに偉そうな口を利くようになった娘から釘を刺されたのです。
いや、アレで行くのじゃ。
気持ち良いぞ!と。
神戸に就くまでにバラバラになるんじゃない?
と、また偉そうに云う娘。
阪神方面にての所要の序でに、
元町にある美容院へ連れて行こうと思っているのです。
娘は、しばらくすると寮生活を始めます。
娘離れできていない私は、
私がソソノカシ寮生活を始めさせた事はスッキリと忘れて、
娘不憫さと、
娘と離れたくない気持ちで、
週末を一緒に過ごそうと考えたのです。
仕事帰りにスポーツ店へと寄り道し、
娘が合宿へ持って行く鞄を買い求めたり、
この頃、寄り道する機会も増へ、
買い求めたる品を娘に手渡して、
自己満足に大いに浸る私です。
土曜日の夜は、
回らない鮨屋へでもと。
当分の間、
娘への貢ぐ君は治りそうにありません。
母方の血が叔父が亡くなったことで途絶へ、
序でに、
一族の墓地の移転を余儀なくされたことから、
昨冬から墓地移転準備に追われていました。
で、
ヤット5月のゴールデンウィーク明けに、
私が自身の墓として準備していた場所に、
移転できる運びとなりました。
三枝家の墓と隣接していることから、
私の死後も、
息子らが参ってくれるだろうと安堵していたら、
少しばかり気が抜けたような想いに。
別段、私が墓石を運ぶ訳でもなく、
墓石の加工する訳でもなく、
すべては石屋さんが執り行って下さると云うのに、
何故か大仕事を終えたような気持ちになりました。
今夜は枕を高くして眠れそうです。
娘が私立中学を受験する際に、
私のなかでの取り決め事が在りました。
1つめが、寮生活ができるところ。
これは自分のことで在れば絶対に無理な条件なのですが、
思春期の娘ほど憎たらしいモノがないことを、
今は社会人となった長女にて経験済みであることから、
私にとっての必須条件となったのです。
二つめは、親子面接のない処。
息子の小学校、中学時代にしばしば学校から呼び出しを受けました。
で、
教師から同じような内容のことを問われたのです。
お子さんが喧嘩に巻き込まれた際には、どの様に指導されてますか?と。
売られた喧嘩は男なら受けて立て、
殴って負けたら、
脚を出せ、
脚で負けたら頭付きで反撃せよ、
今負けたら、次に勝て!
と、指導しておりますと答えたら、
それを知ったる先の家人から
こっぴどく罵倒された事がありました。
今時の学校とは、
私は絶対に合いません。
それを自覚している故に、
私は表には出てはならないと自覚したのです。
先般、
大学生の息子から、
父ちゃん、バイト何処が良いだろう?
と、幾つかのチラシを見せて貰いました。
で、
どれもこれもお前の肥やしにはならんわな、
いっそホストでもしたらどうや?
修復治療において歯と同じ色調での再現は、
とても重要な要素となりました。
自然美って云うのでしょう。
無論、
これには異論ありません。
現実に私の毎日の修復治療においても
自然美の追求に工夫を凝らしています。
しかし場合によっては、
【金属】を使った修復でなければならない症例が在ることも否定出来ません。
鋳造修復と言います。
金属を溶解して鋳こむ治療です。
コンピューター制御の炉も私の診療所には完備しています。
しかし、
私は自身の勘に依るタイミングを計っての鋳造が好きです。
火の力を観て、
溶ける金属の顔を観て、
型に溶けた金属を流しこむ。
この古典的手当てが私は好きです。
金属による鋳造修復は最も長持ちする治療だと思います。
大きな力の架かる大臼歯の噛み合わせ面には、
金属が一番だと思います。
観えないように工夫して、
自然美を損なわないようにと配慮しつつ、
私は肝心要な部分には、
相も変わらず、
金属による鋳造修復を推奨しています。
人の五感ほど優れたモノはありません。
朝一番の患者さんは、
数年前に胃癌の手術を受け、
序で腸の手術を受け、
精神的に相当参っているのが津々と伝わり、
お子さんも居られないことから、
独りで抱え込んで居られる姿に
他人事とは到底に思えませんでした。
それで、
一月に一度は、
お顔を観て、
私の処に通うことが月に一度の仕事だと云う状況を作ったのです。
淋しげな表情を、
何かの拍子に感じるのです。
この頃、
大勢の芸能人の方がお亡くなりになられる報道や、
夜の時間帯のテレビでは病気番組が多く、
観ているコチラが、
身体が痛いような気になります。
アレハ良くないですね。
最近、相当に忙しく、
無理を重ねています。
休養をとりたくても、
私ら医者が休む訳にもいかず。
健康である証を得るために検査にでも行こうかと、
それでも私は病院へ行くのが恐いのです。
で、
○○さん、私と一緒に検査に行こうよと、
先生、お誘いなら楽しい処が良いわ!
と返され、
もうお医者さんなんだから独りで行って下さいませ。
恐がりはいけませんよと。
ヤレヤレ、私の甘えん坊は相も変わりありません。
日本歯科大学の学生諸君への特別講義のスライド準備が
ヤット終わり安堵しています。
毎年、少しずつ内容を変えて話しを進めています。
今年の冒頭は、
根管の先の根尖孔と云う神経が歯の中へと入り込んで行く孔を
私が直接に視た写真を準備しました。
根管治療はご承知のように、
手探りの治療です。
ですから、歯科医師の経験と技がモノを云う難しい治療です。
2年前から私は、
この手探りの治療を辞めようと、
根の先の根尖孔を直接に視ながら手当てする工夫に苦心していました。
初めて自分の眼で根尖孔を視た際に、
幼い頃に冬空に輝く星を天体望遠鏡で眺めた時の感動と
同じ沸き立つ想いを覚えたのです。
今では根管治療は眼で診て触れる治療となりました。
18歳の1年生諸君は、夢を描いて歯科の門を叩いたばかり。
私にも同じ時期がありましたから。
50半ばになる私ですが、
今でも夢を追いかけています。
良い治療ができますようにと。
講義をする私の居る建物の向かい側には附属病院があり、
大勢の歯科医師たちが治療に勤しんでいます。
が、
根管の先を直接に視て、直接に触れて治療できる者は居らんでしょう。
ヨッシャ!と。
まだまだ負けないぞ!
私の夢は限りないのです。
次の山に挑みましょう!