月別アーカイブ: 2017年1月

慌ただしい出来事から

墓の改葬で先祖の戸籍取得の必要に迫られました。

なにも此れは【私の必要】ではなく、

【役所の必要】で、

そう相成った訳です。

で、

忙しいなかを、

平日に時間を作って

田舎の役場へと出向く事になったのですが、

戸籍というモノは、

明治5年からのモノしかないと、

アッサリ伝えられ、

それ以前の役所言葉で云う【死体】扱いの、

先祖の遺骨の書類はどうなるんでしょう?

と、恐る恐る問い合わせた処、

判る範囲で良いという、

判ったような、

判らないような返事を返されました。

なんとなく胸のつかえたような、

スッキリしない心持ちを解消すべく、

菩提寺へと足を運んでみて、

私が常々心に留めておいた【在る事】を

再認識し、

納得したのです。

菩提寺には、

確かな証が丁寧に残されていました。

日本人が常々大切に尊ぶ先祖の魂の繋がりは

信仰の根拠としての寺が守っているのだと。

民間の力を思い知らされたのです。

こんな事がキッカケとなり、

父方と母方のルーツを辿るという

好奇心にかられた私の行動は、

性格の為せる技、

あるいは、

日本の寺の責任感の重さが大きいのだと思うのですが、

直ぐに解決されたのです。

昔は【屋号】を潮金と称していた父方の先祖は、

猿の時代は判りませんが、

江戸期には今の兵庫県播州赤穂の地に於いて

塩商いに従事していた事。

そこから枝分けれした分家が

商商いを様々な形で営んでいた事が、

自分の耳で聞かされていた事と、

事実関係の根拠がシッカリと理解出来ました。

私は商家の長男として生まれ、

現在は歯科医師の仕事に精を出しています。

私の血の中の職人気質的な部分は、

塩を手当てするなり、

料理を手当てするという仕事に精を出していた

血の為せる技だと感じるのです。

また私の医療人としてのホスピタリティに一言ある処は、

患者さんをナイチンゲールの心で接するというポリシーになっています。

此れは恐らく私の中に流れる【あきんど】の血の為せる技でしょう。

母方の先祖は、

以前のブログでも触れましたように、

関ヶ原期前後に戦に駆け走った

犬山城主 成瀬隼人正にまで遡り、

私の【やせ我慢】的なコダワリ性は、

正しく武士のやせ我慢からの血のリレーの証だと思います。

人の身体という物体は1つきりですのに、

その中には、

長い年月と、

多くの細胞遺伝子が、

複雑に絡み合って、

重なり合って、

織物のように形成されているのだと

重く重く感じさせられました。

大切に生きよ!

という先祖の声が聞こえてきた

この最近の慌ただしい出来事です。

 

目標設定

今日認めたブログはコレを含めて8本。

今日の患者さんが7人でしたので、

患者さんの診察の合間の8分程度で、

1編づつ完成できた、

自分の理想の数に初めて至りました。

ブログを始める時の目標設定です。

1)   診察日には必ず認める。

2)   患者さんと、次の患者さんの合間に認める。

3)  できれば患者さん毎に完結させる。

私は文士ではありません。

ですから拙い文章である事は御容赦ください。

ですが、

短い時間で完結させる。

毎日のネタ探しに苦労するという時も経験し、

校正していませんので、

誤字脱字も御容赦ください。

ただ何を見ても、

見えたモノをネタに文章が下手でも書けるようになりました。

モノ書きの先生が居られたら指導を受けたいと

思う事しばしばですが。

歯科治療は、早い段階で私は良い師匠からの

手解きを受ける機会に恵まれましたから、

幸運だったと感謝しています。

何にせよ、

下手は下手なりに、

目標を設定して、

ただ継続する事に意義が在ると思います。

10年かかった事になります。

次の目標は、

もっともっと、

歯を皆さんにお大切に感じて頂けるような

仕掛けをしたブログにしたいですね。

それが今後の目標設定です。

睡眠の質

私は極度な【不眠症】です。

訳は判っています。

歯科の診療でテンションが高まってるからです。

お一人の診療時間は、ゆっくりと採っていますが、

診療する側の私の頭の中では、

分刻みの治療手順が出来上がっており、

ゆっくり患者さんとお話ししている様にしながらも、

眼は患者さんの表情なり口元の変化を

ハンターのように探っています。

患者さんが治療椅子に横たわって、

ライトを灯し、

いざ口腔内を診る瞬間から

私の心は一点の波模様もない

張りつめた水面のようになり、

全魂を手先に集中させ、

気を、

手当て一点に注ぎます。

これが私の歯科治療です。

患者さんと患者さんの合間に、

細切れで、

徒然なるままに、

治療の疲れを癒すために

このブログを綴っています。

治療が終われば、

資料などに眼を通し、

真っ直ぐに帰宅しています。

私が早寝早起きであるのは、

小児のように夜に弱く眠くなるからではありません。

放っておけば、

身体の疲労を他所に、

私は何日も眠らないでしょう。

それほどまでに、

私の歯科治療は、

私の全エネルギーを高揚させて行っています。

この高揚は簡単には鎮ずませられません。

帰宅後は、

犬と戯れて、

犬に癒されています。

早寝して、

疲れを取ってから朝方の静かなうちに、

書籍に眼を通したり、

手先のトレーニングしたり、

文献を認めたり、

脳ミソが、

リラックスした状態で、

歯科治療の下ごしらえである手当てをしています。

酒は普段は頂きません。

ですから無理やりに眠るために、

床に就いて前に睡眠剤の力を借りています。

自分のライフサイクルに合った睡眠剤を選ぶのには、

随分と苦労しました。

手術の際に、

患者さんに睡眠剤を使って頂く機会も多いです。

眠りの質を私は重要視しています。

それは噛み合わせにも、

とても影響するのです。

医師よりも、

もしかしたら睡眠剤については、

眠りの質と関連させて、

私の方が詳しいかもしれません。

深酒して眠るよりも、

睡眠剤の方が良いと考えています。

シッカリと深い睡眠は、

筋肉の緊張もほぐします。

ベッドのマットの堅さと沈み具合も大切です。

低反発マットは私には適応していないようです。

モッタイナイと考えがちなベッドのマットですが、

良い品を使う方が、

やはり身体には楽なようです。

私はホテルに宿泊した際に、

これは良い!と感じたメーカーのモノを使っています。

一生懸命に働いているのですから、

眠る質をより良いモノへとする事が、

身体長持ちの秘訣だと思います。

 

 

スタッフ募集のお願い

宮田君が春に嫁ぐ事になりました。

娘のように想える宮田君の晴れの門出を

心温まる気持ちで、

一緒に喜んでいます。

これからも勤務は続けてくれるそうですが、

出産や子育てを考えると、

現場から采配の方へと

重点を代えさせてあげようと

私なりの心配りをしています。

私の診療所での歯科衛生士さんの仕事は、

他所の歯科医院でのモノとは全く違います。

北米における歯科衛生士の業務が、

その具体例だとお考え下さい。

1日の患者さんの診察は、

多くて7~8人まで。

患者さんのお一人お一人の口腔の状況に応じて

治療計画に乗っ取り、

規則正しく進んでいきます。

充填、補綴物の調整、精密印象などは、

これは歯科医師である私の仕事ですから、

歯科衛生士さんに託す事はありません。

プラークをなくす手当てに従事する事に

歯科衛生士さんは重点を置いて欲しいのです。

オペのアシスタントは、

宮田君がプロですから、

ゆっくりと会得して頂ければと思います。

そうそう、私からのお願いです。

歯科衛生士さんに一番大切な事です。

いつも患者さんへは

【ナイチンゲールの気持ち】で接して下さい。

診察時間は午前10時から。

終わりは17時半には私は先に帰らせて頂きます。

休みは日曜日と祭日、年末年始やお盆とゴールデンウィーク。

平日は通常木曜日を休診にしていますが、

出張の多い私です。

ショッチュウまとめて何日か休診しますので、

その間は歯科衛生士さんもお休みですから、

ごめんなさい、

休んでばかりでは患者さんにご迷惑がかかります。

その様な月は、木曜日は診察させて頂いています。

社会保険、厚生年金、労災、退職金制度あり。

ボーナスは年2回。

詳細はご本人にお知らせします。

ご興味のある歯科衛生士さん、

ご連絡下さい。

 

人生一度きり

時効だから、もう良いでしょう。

昭和の56年の事だと鮮明に覚えています。

新潟大学医学部脇【学校町通り】という名の

小路地が在りました。

大きなカーブを二、三度繰り返す

細い一車線の一方通行の道を2キロほど進んだ処で、

国道211号線と合流し、

ズーと西へと進めば信濃川の分水に架けられた有明大橋へと、

で、

そこからは西新潟という、

今では考えられないほどの田舎だったのです。

悪い友人、彼も今では立派な落ち着いた紳士になりました。

その友人と赤のアウディに乗車して、

公道レースに挑んだのです。

無論、我々が先導車です。

助手席の友人は、

シートに後ろ向きの姿勢でしがみつき、

後続車との車間を叫びながら報せる役目。

後続車の車種ですか?

セダンですが、

塗装は白と黒のツートンカラー。

車上には転回する赤い輝く光。

巻きキリました。

が、

翌日、

教務課、学生課からの呼び出し状と、

そこで渋い顔の当時生化学の教授であった真田学生部長が

腕を組んで瞳を閉じて鎮座され、

私らの顔を観るなり、

【またお前らか!】

と一言。

襟首を引っ張られ、

先生の車に押し込まれ、

連れて行かれる先は何時もと同じ。

新潟中央警察の事務所で、

平謝りの先生の後ろから、

恩師の姿を申し訳なく眺め、

拳骨イレラレテ、

【まぁ学生だから大目に看ますがにぃ】

【先生の方が無理しねぇでくだせぃ】

警察を後に、

鮨屋へと連れてって下さり、

【若い内だけだぞ!】

【身内に庇って貰えるうちは何でもヤっとけ】

おおらかな時代だったとお感じになられませんか?

こんな大学教授って、今は居られんでしょう?

社会も警察も、大目に観るなんてないと思います。

また、

こんな馬鹿学生も皆無でしょうね。

若者のもて余すエネルギーを、

発散させてくれる時代だったんでしょう?

今なら直ぐに退学である事は間違いありません。

その事件は今でも、

三枝先生の【モナコグランプリ事件】と、

学生諸君に語り継がれているそうです。

その2年後に、

私は眼を覚ました。

歯科にドップリと浸かる機会に恵まれたのです。

私の昔を知る、今では教授になられた方々は、

【あの三枝先生が今はあぁでしょう?】

【人間は変われば変われるんです】

と、

私を駄目が突然変異したかのように、

学生諸君に語っているそうです。

人生一度きり。

 

 

 

あぁ情けない!

徒然なるままに綴っていたら

先のブログでの

世良公則の話し後半から反れてしまいました。

春に世良公則のリサイクルに行こうとチケットを

家族に依頼したのです。

返ってきた台詞が、

【相手 も老けていたら、もっとショックじゃない?】

考えさせられる重い台詞です。

昨日、裏の蕎麦屋へ行きました。

盛りを1つとお願いし、

新聞棚に埋った週間サンデーの表紙に目が行ったのです。

【世良公則インタビュー】

ほぅほぅ、どれどれと、

手に取り、

マジで老眼鏡をかけて

頁を目的の処へと。

確かに老けたなと。

世良公則には大変申し訳ありません。

で、

インタビューの内容へと視線を落とす私。

文献を熟査する時のように、

真剣に文字を追う私。

10年位前でしょうか?

深夜のNHKの番組で、

若い頃の世良公則さんとは違う

大人になった世良公則さんのアコースティックギターだけの

ソロリサイクルを観た事が在ったのです。

大人の男の静かな語り調の、

アレハなんて云うんでしょうか?

バラードでもなく、

ブルースのようでブルースもなく、

静かな大人のロックなのかもしれません。

週間サンデーのインタビューも

良い内容だったと思います。

確かに老けたは仕方がない事です。

が、

人生が出てました。

いろんな事在ったんだなと。

でもギターと自分の声が

自分の出来る唯一の武器だと

本心から気づいた男の顔を持って居られました。

春は確実にヤってくる。

そんな気持ちにさせられた世良公則さんの顔でした。

 

本当の私

若い時分には苦労などからは程遠い

阿呆からすの好き放題、

ストレスなど無関係な私でしたから、

顔に顕れ出るんでしょうね。

ノビノビとした表情。

商家の放蕩息子のボンボンの象徴のような

今時の若者に無い良い顔だったと、

その頃の私の写真を観て、

他人事のように思うのです。

以前にも触れましたが、

大昔、

さるうどん屋にて、

店のおばちゃんから世良公則と間違えられ、

違う違うと云う前に

色紙とマジックペンを

差し出されたモノですから、

チョッとイタズラ心がムクムクと顔をもたげ、

【燃えろいい女  世良公則】

と、サラリと認め、

あぁ神様!

贋の色紙を仰ぐように受けとるおばちゃん。

後から申し訳ないと思い、

後日、外の暖簾の陰からソッと

店内を覗いてみたら、

壁の真ん中の輝く私の作品に、

驚き飛んで帰ってきた事が在りました。

イタズラ坊主で、

今なら到底、

歯科医師にはなれなかったと確信しています。

でも言い訳ですが、

いっぱい勉強はしてました。

私は歯科医学に既に魅了されてましたので。

朝、

鏡で自分の顔を観て、

悲しい気持ちになります。

年をとったモノだと。

先刻、お昼を摂ろうと、

診療所まえの通りを

コートのポケットに手を入れて歩いていたら、

診療が終わったばかりの母上を

お迎えに来られたご令嬢に気づき、

軽く会釈でという事が在りました。

そんな事はスッカリ忘れていたら、

再び治療にお越しになられた

その母上から、

「 先生、この間、娘と会ったでしょう?」

「 娘が、先生は良い年の経り方して渋いって」

私ですか?

表面上では、

無言でニコッととだけ。

心内では、

それはそれで嬉しいに決まってるじゃないですか。

渋いって、

二谷英明の路線の事だろうか?

俺が高倉健の路線って事は無いだろうし。

などとクダラナイ事を思案しながら、

母上患者さんがお帰りになる際に、

ご令嬢の土産として【歯ブラシ】を

スタッフの宮田君に指示したのです。

大人気ない私の行動パターンを

宮田君は既に承知の介のようです。

指示する前に、

準備してました。

歯科業界では強面の私だそうです。

が、

本当の私は、

患者さんに接しているままなのです。

 

私の入れ歯治療

今しがた、

仮の入れ歯を患者さんにお使い頂くために

手渡した処です。

手鏡を覗きこんで、

【綺麗!判らない!】

で、

私も安心致しました。

入れ歯治療のほとんどの症例に、

私は仮の入れ歯を治療の助けとして利用します。

でも、

仮といっても、

丁寧に丁寧に楽しんでお造りさせて頂いています。

だからいつも、

患者さんは喜んで下さいます。

よそで造った完成品より、

ズッと綺麗で自然で、痛くないし、

よく噛めると喜んで頂きます。

本当に良かったと、

自分の事のように嬉しく感じます。

最終の完成品との違いは、

これも患者さんならではの、

私の治療をお受けになった方しか判らない

使い心地とでも思って下さい。

恐らく歯科医師免許を持つ事だけの

職業歯科医師の方には、

違いなど生涯判らないでしょう。

好きで歯を触っている人間故の

違い為せる差異は、

五感でしか感じる事が出来ませんのえ。

少年の心のまま

私のブログを楽しみに

待ってくださる方が多いとの事。

こんな事を暴露して大丈夫?

という驚き半分、期待半分の為せる技か、

それとも、

私の本音に共感して下さる?

嫌、

阿呆振りを観て安心感に浸るため。

理由は何でも構いませんが、

期待されているのは承知の介ですから、

今回も私の感じたままに本音を漏らしましょう。

今朝は珍しくワイドショーにチャンネルを変えました。

【特ダネ】だったと思います。

生前の松方弘樹さんが

インタビューに答えれ居られるシーンでした。

松方弘樹さんは男前ですから、

その辺りは私とは違いますが、

良い役者だと今更ながら、

そう思いました。

華麗なる女性遍歴がバレる度のインタビューでも、

サッパリと清々しい?

また質問する記者の側にも、

無言の武士の情けを感じとったのです。

これは日頃の記者との関わり方なり気配りの

為せる技だと。

それとあのキャラクターがそうさせるのでしょう。

役者は、アレデ良いんだと私は思います。

世の中の常識の範囲に生きて、

良い演技など出来る訳がないと、

私は世間の側にも、

ああ言った方々に対しては違う物指しで、

推し測って頂きたいと思いますね。

今時は、

なんでもかんでも人の挙げ足を採る風潮に

嫌気がさすのです。

松方弘樹さん、

モテてよいではありませんか?

近づく女性も納得済の筈。

相手は時代の千両役者ですもの。

藤山寛美も男前ではありませんが、

良い役者の顔をしていました。

彼らの物指しを、

知ろうとする行為さえも、

野暮だと思うのです。

釣りに興じる際の、あの笑顔。

天真爛漫な少年の心で生き続けていくのには、

相当な努力の汗と涙の結晶が必要である事を

知る人しか判らないかもしれません。

楽な稼業などあり得ませんから。

私などは気力、体力、経済力、

全般において、

懲りたのも本音、

疲れたのも正直な処、

女遊びは卒業しました。

歯医者稼業というのも

その訳の1つかもしれません。

歯の仕事に一番大切な事が、

日々を静かに規則正しく過ごすに尽きるという事に

気づいたからです。

私は役者ではなく、

歯医者ですから。

全ての事項において、

歯の仕事に役にたつ事を優先して

残りの人生を、

歯と過ごそうと、

そればかり。

この辺りは、

少年の心のままと思います。

 

俳優の松方弘樹さんを偲ぶ

俳優の松方弘樹さんがお亡くなりになったそうです。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

という処までが、常識の範囲内なのでしょうが、

私はもっともっと残念至極!

やるせねぇな!

時代劇が創れなくなる危機意識に駆られるのです。

下手なチャンバラなんか観てられません。

なんせコッチは観る時代劇のプロですからね。

遠山の金さんも良かったですが、

ヤッパリ【大江戸捜査網】でしょう。

【隠密同心心得の状】のナレーションで

クライマックスを迎えるシーン。

【死して屍、拾う者無し】で、

チャンチャンバラバラが始まる訳です。

結末は判っているのに、

あー!後ろから!気をつけて!

と、叫ぶ私。

で、

松方弘樹さんがチョッと顎を斜めにもたげ、

あの瞳を大小させながら、

最後に口元をムッと結ぶんです。

あ~良かった!

と、安堵する私。

あの時代の時代劇は、

小道具も良かったですよ。

今の時代劇なんか、アレハ何なんですか?

目の肥えてないスタッフが増えたのか、

予算を制限されているからなのかは判りません。

本当に良い俳優さんでした。