慌ただしい出来事から


墓の改葬で先祖の戸籍取得の必要に迫られました。

なにも此れは【私の必要】ではなく、

【役所の必要】で、

そう相成った訳です。

で、

忙しいなかを、

平日に時間を作って

田舎の役場へと出向く事になったのですが、

戸籍というモノは、

明治5年からのモノしかないと、

アッサリ伝えられ、

それ以前の役所言葉で云う【死体】扱いの、

先祖の遺骨の書類はどうなるんでしょう?

と、恐る恐る問い合わせた処、

判る範囲で良いという、

判ったような、

判らないような返事を返されました。

なんとなく胸のつかえたような、

スッキリしない心持ちを解消すべく、

菩提寺へと足を運んでみて、

私が常々心に留めておいた【在る事】を

再認識し、

納得したのです。

菩提寺には、

確かな証が丁寧に残されていました。

日本人が常々大切に尊ぶ先祖の魂の繋がりは

信仰の根拠としての寺が守っているのだと。

民間の力を思い知らされたのです。

こんな事がキッカケとなり、

父方と母方のルーツを辿るという

好奇心にかられた私の行動は、

性格の為せる技、

あるいは、

日本の寺の責任感の重さが大きいのだと思うのですが、

直ぐに解決されたのです。

昔は【屋号】を潮金と称していた父方の先祖は、

猿の時代は判りませんが、

江戸期には今の兵庫県播州赤穂の地に於いて

塩商いに従事していた事。

そこから枝分けれした分家が

商商いを様々な形で営んでいた事が、

自分の耳で聞かされていた事と、

事実関係の根拠がシッカリと理解出来ました。

私は商家の長男として生まれ、

現在は歯科医師の仕事に精を出しています。

私の血の中の職人気質的な部分は、

塩を手当てするなり、

料理を手当てするという仕事に精を出していた

血の為せる技だと感じるのです。

また私の医療人としてのホスピタリティに一言ある処は、

患者さんをナイチンゲールの心で接するというポリシーになっています。

此れは恐らく私の中に流れる【あきんど】の血の為せる技でしょう。

母方の先祖は、

以前のブログでも触れましたように、

関ヶ原期前後に戦に駆け走った

犬山城主 成瀬隼人正にまで遡り、

私の【やせ我慢】的なコダワリ性は、

正しく武士のやせ我慢からの血のリレーの証だと思います。

人の身体という物体は1つきりですのに、

その中には、

長い年月と、

多くの細胞遺伝子が、

複雑に絡み合って、

重なり合って、

織物のように形成されているのだと

重く重く感じさせられました。

大切に生きよ!

という先祖の声が聞こえてきた

この最近の慌ただしい出来事です。