人生一度きり


時効だから、もう良いでしょう。

昭和の56年の事だと鮮明に覚えています。

新潟大学医学部脇【学校町通り】という名の

小路地が在りました。

大きなカーブを二、三度繰り返す

細い一車線の一方通行の道を2キロほど進んだ処で、

国道211号線と合流し、

ズーと西へと進めば信濃川の分水に架けられた有明大橋へと、

で、

そこからは西新潟という、

今では考えられないほどの田舎だったのです。

悪い友人、彼も今では立派な落ち着いた紳士になりました。

その友人と赤のアウディに乗車して、

公道レースに挑んだのです。

無論、我々が先導車です。

助手席の友人は、

シートに後ろ向きの姿勢でしがみつき、

後続車との車間を叫びながら報せる役目。

後続車の車種ですか?

セダンですが、

塗装は白と黒のツートンカラー。

車上には転回する赤い輝く光。

巻きキリました。

が、

翌日、

教務課、学生課からの呼び出し状と、

そこで渋い顔の当時生化学の教授であった真田学生部長が

腕を組んで瞳を閉じて鎮座され、

私らの顔を観るなり、

【またお前らか!】

と一言。

襟首を引っ張られ、

先生の車に押し込まれ、

連れて行かれる先は何時もと同じ。

新潟中央警察の事務所で、

平謝りの先生の後ろから、

恩師の姿を申し訳なく眺め、

拳骨イレラレテ、

【まぁ学生だから大目に看ますがにぃ】

【先生の方が無理しねぇでくだせぃ】

警察を後に、

鮨屋へと連れてって下さり、

【若い内だけだぞ!】

【身内に庇って貰えるうちは何でもヤっとけ】

おおらかな時代だったとお感じになられませんか?

こんな大学教授って、今は居られんでしょう?

社会も警察も、大目に観るなんてないと思います。

また、

こんな馬鹿学生も皆無でしょうね。

若者のもて余すエネルギーを、

発散させてくれる時代だったんでしょう?

今なら直ぐに退学である事は間違いありません。

その事件は今でも、

三枝先生の【モナコグランプリ事件】と、

学生諸君に語り継がれているそうです。

その2年後に、

私は眼を覚ました。

歯科にドップリと浸かる機会に恵まれたのです。

私の昔を知る、今では教授になられた方々は、

【あの三枝先生が今はあぁでしょう?】

【人間は変われば変われるんです】

と、

私を駄目が突然変異したかのように、

学生諸君に語っているそうです。

人生一度きり。