日別アーカイブ: 2017年1月11日

願いをこめて

お正月早々に、

このような話しは如何なものかとも思うのですが、

昨夕、

私が死ぬ瞬間の夢を見ました。

心の宿った人間から魂が抜けて物体になる瞬間です。

恐ろしさで飛び起きてしまいました。

痛みなどない状況下でしたのに、

私は何が恐かったのでしょう?

私は愛犬の臨終に何度も立ち会いました。

生きている時には、

私も犬を可愛いがり慈しみ、

犬も私を信用以上、信頼以上の気持ちを

持ってくれて居たろうに思います。

可愛いい大切な犬が、

一瞬で、

亡骸という物体に変わって、

命の重さに改めて気がつき、

生きているという普通のことに感謝する気持ち、

あとは、

死んだ犬を前に、

ただただ悲しく大泣きする。

もう会えないから泣くのか、

死という概念が悲しいと認識しているから

大泣きするのか判りません。

命の灯火が消えたらどうなるのでしょう?

宇宙は限りなく膨張していると言われます。

どう頭を捻っても理解出来ません。

生命は宇宙のように

私には理解不能です。

入れ歯なりクラウンを患者さんの口に入れる時に、

私は自分の魂を技工物に注入します。

患者さんと共に長い間働いてくれと願いをこめて。

 

自然界の摂理

先祖の墓参りに息子と連れだって行ってたんですが。

墓石に刻まれた戒名と生前の名前を

一つづつ二人で追っていたんです。

祖母祖父の顔を息子は知りません。

その前の代になると私も知りません。

もっともっと遡ると、

当然、私も息子も知りません。

でも、

お爺ちゃん、お婆ちゃんであることに

全く違和感は感じない訳です。

これが血の繋がりだと思います。

墓石を綺麗に拭いて、

草を抜いて、

水を墓石にかけて、

香を焚いて、

両の掌を合わせることに

違和感などありません。

私は毎朝、お仏壇の前に座り、

これまた長~い浄土真宗のお経を唱えるのが習慣です。

過去帳を開いて、

顔は知らぬが間違いなく御先祖の

顔を知らないから名前と戒名を、

心で唱和しながらお経を唱えています。

私は、これが長男の責務だと考えています。

若い息子には実感は無いでしょう。

が、

私の後にお仏壇を息子が引き継いだ時に、

きっと私の習慣が息子の習慣になっていることでしょう。

息子の記憶の片隅にでも良いのです。

正しい川の流れを親が見せておくことが、

親の仕事だと思います。

昔の普通が、

今の時代の異常になりました。

先の電通の女性社員が自らの命を絶たれたことを

心からお悔やみ申し上げます。

親御さんのご心痛の程、

察すれば察するほど、

言葉で言い表すことが出来ません。

もっと、もっと周囲の環境、同僚、上司などの

配慮が在れば、

尊い命が自ら断つ等という悲劇は

回避できたに違いありません。

その状況のなかで、

【電通鬼十則】を完全に時代錯誤の異常なパワハラだという

激しい批判の声が上がりました。

私は、そうは思いません。

私は若い時分から【電通鬼十則】は座右の書です。

仕事で挫けそうになった時に、

何度も何度も目を通した記憶があります。

死にもの狂いになる程に没頭しないで、

結果を得る事など出来ません。

チャンスは絶対に放さない。

【電通鬼十則】は仕事をする上での本音の心得帳だと思います。

昨今の人間関係の濃さが変わったことが、

今回の痛ましい事故の防御弁にならなかった最大の原因だと思います。

こういう私を、

だから旧い、パワハラ人間とのご批判もお在りになるかもしれませんが、

それはそれで甘んじて受ける積もりです。

仕事をするということは、

何かしらの摩擦は起こるモノです。

仕事をするということで、

なにがしらの批判を受けるでしょう。

それでも、

私は出来る仕事人で在りたいと思います。

人生には必ず終わりの時を迎えます。

しかし人の生きた証は、

必ず子どもが、

良い面、悪い面引っ括めて次の代へと引き継いで、

で、

それを代々に繰り返す。

信州を貫き、越後の国を蛇行しながら

日本海へと流れる大信濃川。

正しい川の流れをボンヤリと眺めながら、

私は人の生きようを考えるのです。

で、

決して川の流れに逆らっても、

結果不幸になるということを学んできた実体験から、

自然界の摂理に、

あぁ人間も自然界の一員であることを、

思い知らされるのです。

ありがとう

総入れ歯を造っている処です。

総入れ歯造くりほど、

手順を大切にしなければならない治療は他には無いでしょう。

かほどに総入れ歯造くりは大変な作業です。

手順を省略、割愛すれば、

出来上がったモノは、

総入れ歯の形はしていても、

決して使える代物ではありません。

私の総入れ歯治療をお受けになる患者さんが

一様に仰っておられます。

今まで噛めない訳が判りましたと。

ですから、

患者さん皆さんが、

私の造った総入れ歯を大切に使って下さいます。

そんな時に、

ありがとうって。