日別アーカイブ: 2017年1月22日

血のリレー

母方の先祖の墓地を改葬する事になりました。

叔父の代で跡絶えた事から、

私に御鉢が廻ってきたのです。

躊躇はありませんでした。

私の先祖だからです。

高松市に住まいし四半世紀ほど経ちました。

その間、

ほぼ毎月の墓参りが習慣化しています。

祖母以外に

私は先祖の顔を知りません。

祖父も幼い頃に亡くなっておりましたので、

顔も覚えていません。

それでも私は墓石を前に掌を合わせると

心が温まり、落ち着くのです。

いつも私を見えない力で護ってくれているのが

確信を持って実感できるからです。

驚いたのは、

役所にて改葬許可申請が必要である事でした。

コレは結構と大変な作業になりそうです。

4代前までは絶対に土葬であり、

3代前もどうやら、その可能性が高いとの事でした。

遺骨ですから、

役所的には死体扱いになるそうです。

言われてみれば、そうなんだと。

いつも先走ってとセッカチの謗りを受ける私ですが、

三枝家の墓地を高松市郊外に改葬した際に、

もう一画の墓地を用意していたのが役にたちました。

あの時は面倒では無かったのは何故だろう?

そんなこんなを考えながら、

田舎の本家を訪ねたのです。

過去帳と家系図の控えを頂き、

菩提寺に問い合わせ、

改葬の準備に取り掛かろうと。

お猿の時代にまで

さかのぼる事は出来ませんが、

犬山城主であった成瀬隼人正から始まった

血のリレーの軌跡が残っていました。

DSC_0364

成瀬隼人正から数えて14代の処で

枝分かれした分家の当主が成瀬菊次郎、

明治5年に鬼籍に入っていますので、

長生きされたのでしょう。

その息子が儀三郎、

次いで勇、私の祖父です。

で、

好英、私の叔父に当たります。

菊次郎が分家の際に

委されたコレマタさかのぼる事4基の墓石の名前を調べるのが

相当な難所となりそうです。

面白ろかったのは、

犬山城主であった成瀬隼人正から5代めに

【平蔵】の名前を見つけました。

何処かに【平蔵】とは縁が在ったのでしょう。

でも町役場に

そんな古い人間の戸籍など残っているのでしょうか?

三枝家ではなく、

私の母方の先祖の墓です。

私は今回の改葬を

常々の感謝の表れだと、

一生懸命に仕上げる積もりです。

私の死後は息子に託す事になりますので、

新潟から高松市へと3泊4日の行程で、

息子にとっての懐かしい故郷へ帰省させ、

今は父の責務であるが、

これだけは、

決して粗末などもっての外、

一生懸命長男の責務を果たせよと。

マリリンの名前の由来

今は真夜中の3時半を少しまわった処です。

この静けさが好きです。

ストーブの上のヤカンの水が沸騰する音しか聞こえません。

ダイニングのテーブルで

書物に眼を通しているのですが、

マリリンが足元で眠っています。

マリリンもグッと大人になりました。

ゴールデンリトリバー特有の大人しさが

身についた様です。

患者さんからマリリンの名前の由来を

しばしば聞かれます。

若い時分、ニューヨークに滞在中の私が、

毎朝モーニングを摂りに通っていた庶民的な食堂で

ウェイトレスをしていたブロンズ嬢の名前が

マリリンだったのです。

薄切りのシッカリと火の通ったカリカリのトーストに

マッシュポテトと、

これまたカリカリのベーコンが2きれ程。

カフェインレスの薄いコーヒーに、

多めに牛乳を注ぐのが定番でした。

今思えば、

よくも飽きずに毎朝通ったモノだと思います。

雑談に興じ、

1日の始まりを清々しい気持ちにさせてくれた

マリリンが名前の由来です。

 

 

大志を抱け

【少年よ、大志を抱け】

札幌農学校のクラーク博士の、

このあまりにも有名な台詞を

時たまに思い出すのです。

良い台詞だと思いませんか?

男はいくつになっても、

少年期の心を棄てられません。

ジッポのライターや文具などの

コレクターが大勢に居られることが、

その証と言えましょう。

私が歯科治療に使う素材や機材に

一言在ることも、

その一端だと思います。

この様な男独特の癖を

【こだわり】と解釈出来るかもしれません。

この男独特の所作を、

女性には理解出来ないかもしれませんね。

私の診療所の物置の中には、

今後もキッと使われる機会が無い

拡大鏡や治療器具を入れた段ボール箱が

山のように積まれています。

器具などのカタログを眺めるのが好きです。

これ使ってみたいと、

で、

届いた器具を実際に使ってみて、

ルーチンワークに使えるものは、

1000に1つ在ったら良い方だと思います。

それは決して無駄遣いではありません。

この様な過程を経て、

治療精度はグッと高まりますもの。

私は開業歯科医ですから、

治療行為によって生計を営んでいますが、

決して食べる手段としての治療を行った事はありません。

歯科全般が好きで好きで堪らない質ですので、

自分の趣味と職業が一致した、

類い稀なる幸運者だと思います。

歯科医師を志してから、

ズッと夢を抱いて過ごして来ました。

【良い歯医者になりたい】

という夢です。

年代と共に、

この【良い】と言う定義が

変化していった様に思います。

今も夢を抱き続けています。

若い時分の様なスピードはありません。

が、

確実に前へ前へと進める知恵は

身についた様です。

大宇宙の様に果てしない歯科空間を

楽しみながら過ごしている私は、

阿呆だから出来るのだと自覚出来ているのも

他人目からしてみれば、

不思議で理解出来ないのかもしれません。