血のリレー


母方の先祖の墓地を改葬する事になりました。

叔父の代で跡絶えた事から、

私に御鉢が廻ってきたのです。

躊躇はありませんでした。

私の先祖だからです。

高松市に住まいし四半世紀ほど経ちました。

その間、

ほぼ毎月の墓参りが習慣化しています。

祖母以外に

私は先祖の顔を知りません。

祖父も幼い頃に亡くなっておりましたので、

顔も覚えていません。

それでも私は墓石を前に掌を合わせると

心が温まり、落ち着くのです。

いつも私を見えない力で護ってくれているのが

確信を持って実感できるからです。

驚いたのは、

役所にて改葬許可申請が必要である事でした。

コレは結構と大変な作業になりそうです。

4代前までは絶対に土葬であり、

3代前もどうやら、その可能性が高いとの事でした。

遺骨ですから、

役所的には死体扱いになるそうです。

言われてみれば、そうなんだと。

いつも先走ってとセッカチの謗りを受ける私ですが、

三枝家の墓地を高松市郊外に改葬した際に、

もう一画の墓地を用意していたのが役にたちました。

あの時は面倒では無かったのは何故だろう?

そんなこんなを考えながら、

田舎の本家を訪ねたのです。

過去帳と家系図の控えを頂き、

菩提寺に問い合わせ、

改葬の準備に取り掛かろうと。

お猿の時代にまで

さかのぼる事は出来ませんが、

犬山城主であった成瀬隼人正から始まった

血のリレーの軌跡が残っていました。

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成瀬隼人正から数えて14代の処で

枝分かれした分家の当主が成瀬菊次郎、

明治5年に鬼籍に入っていますので、

長生きされたのでしょう。

その息子が儀三郎、

次いで勇、私の祖父です。

で、

好英、私の叔父に当たります。

菊次郎が分家の際に

委されたコレマタさかのぼる事4基の墓石の名前を調べるのが

相当な難所となりそうです。

面白ろかったのは、

犬山城主であった成瀬隼人正から5代めに

【平蔵】の名前を見つけました。

何処かに【平蔵】とは縁が在ったのでしょう。

でも町役場に

そんな古い人間の戸籍など残っているのでしょうか?

三枝家ではなく、

私の母方の先祖の墓です。

私は今回の改葬を

常々の感謝の表れだと、

一生懸命に仕上げる積もりです。

私の死後は息子に託す事になりますので、

新潟から高松市へと3泊4日の行程で、

息子にとっての懐かしい故郷へ帰省させ、

今は父の責務であるが、

これだけは、

決して粗末などもっての外、

一生懸命長男の責務を果たせよと。