月別アーカイブ: 2017年5月

インターネットの歯科医院紹介サイトって

時代遅れと言われてはならないと、

つい思ったのが大間違いでした。

インプラントなどの歯科医院紹介サイトって

全部、有料なんですよ。

マーケティングの勉強とも考えて、

2、3社ほど、

しばらくお付き合いしました。

マーケティングの勉強とは?

例えば、

私のホームページに入るキッカケとなったワードは何か?

PCとスマホの割合。

どの頁から入ってきたのか?

等々。

分析すべきデータベースを観てみようと、

考えてのお付き合いでした。

で、

全く意味なし!

分析の根拠となるべきデータベースの未熟なこと

この上なし!

商売相手が素人の歯科医師だから、

やっていけてるんでしょうね。

普通の会社だったら、

提出された分析書など、

叩きつけられてしまうでしょう。

あと、

あれほどヤってはならない【ヤラセ】。

ある会社など、

来てもない患者さんが、

私の診療所をどうだった、こうだったって、

誉めてるんですよ。

私ですか?

其処の会社に直ぐに電話して、

直ぐに、

そのサイトから消して頂きました。

恥ずかしくないのでしょうか?

ブログの更新を頻繁にしていないのに拘わらず、

ホームページの上位に掲載されている歯科医院は、

毎月SEO対策に、

物凄い費用を支払っているんです。

従業員の1人や2人、

雇える位の費用です。

コレが全部、

治療費用に反映することを

もう患者さんも気がつかねばなりません。

ホームページを綺麗に創るのは、

センスの問題で、

費用とは関係ありません。

安易に、

○○治療サイトの情報を信じるのは如何かなと。

アホらしいので、

私は自身のホームページ以外は

全部止めようと思います。

レストランでも、

マトモな処は、

自力でやっていけますから。

 

 

 

舞台の幕

診療室のドアの前のエントランスに、

小さな机を置いています。

私が幼い頃から好きだった画家の絵と、

グラスの数々です。

少しずつ増えてゆきました。

診療室のドアを開ける直前に、

両の掌で自らの頬を叩いて、

活を入れるのが習慣になりました。

で、

厳し過ぎる表情を解すつもりで、

視線を絵とグラスに向けるのです。

役者の舞台の幕が開く瞬間です。

教え教えられて

私の大学病院での医局員時代の恩師である

当時準教授であった山口先生からは大変お世話になりました。

直接にどうのこうのとの手解きを受けた機会はありません。

私の机の上に読みかけの文献を通りすぎる際に

突然に手に取られ、

タイトルを眺め、

で、

ポンと机の上へと返され、

立ち去って行かれたことが在りました。

数日のあと、

深夜の医局に戻った私の机の上に、

関連する文献が置かれていたのです。

またある時は、

山口先生のお使いになった診療台の後を

片付けする歯科衛生士学校の実習生に頼んで、

先生のお使いになった器具と、

器具の消耗程度と癖を観察していたのです。

ある時から、

先生の治療のあとは、

多くのヒントの痕跡が残されるようになりました。

コックの修業は、

食べ残しの皿を舐める、

鍋にこびりついたスープを指ですくって舐める、

そうやって身体で覚えるもんだと

幼い頃から教えられていました。

ただ意地悪い輩も多いのが現実で、

鍋には直ぐに水を満たしてしまう。

皿にも直ぐに水で流す。

それでも、

その様な環境から、

職人は鍛えられるのではなく、

自分を鍛えてゆくものだと、

私は学んだのです。

ですから、

山口先生には本当に感謝していたのです。

数年前、

犬の散歩する山口先生と偶然に再会しました。

新潟市の柾谷小路です。

20年近く振りの再会でした。

三枝!お前何してる?

私は息子を新潟で鍛えようと思いまして、

明訓高校へと通わせております。

今は私も大学の仕事も終わり、

息子の夕食作りの買い物の途中で在ります!

こういう際の私らの関係は、

旧帝国海軍の如く、上司に対しては、

直立不動で両の手はズボンにピシッと、

と云う次第です。

翌年、医局の温泉旅行が在りました。

其処で、先生が言った台詞が忘れられません。

俺が本当に三枝を信用したのは、息子を明訓に入れたから。

コイツが越後贔屓と云うのは本当だ。

その時の縁で、

私と山口先生は二人で仕事をご一緒する機会が増えました。

奇想天外な私らです。

アイツら、また何かを仕出かすのでは?

保守的な人は、相当警戒していると思います。

しかし、私らにはもう欲はありません。

歯科への恩返しだと感謝の気持ちで動いています。

で、

つくづく私は山口先生に感心するのです。

学者としては私は到底、先生の及ぶ処ではありません。

しかし、

仕事においては学者の先生にも未知の世界や未経験のものも

多いのも事実です。

で、

私の脳味噌の中身を直ぐに納得する人を

嘗て私はお一人しか存じ上げません。

仕事の流れを先生にご説明します。

頭脳明晰である方ですから、

その辺りは楽です。

難しいのは、

見えない行間と、

恐らくこういう事が生じるであろうと仕掛けをして、

そこでチャンスとすると云う戦略と戦術論です。

こういう事は経験が物を言います。

恐らく先生には不明で、納得していない私の指示も多いでしょう。

しかし、先生は黙っています。

で、実直に行動なさいます。

あんまり不思議であるので、

コッチが不安になって聞いたのです。

先生は何故、黙ってるんですか?

判ってないこと、

納得していないこと多いと思うのですが?

先生の台詞は、こういうものでした。

私は三枝、お前を信用している。

段々と、お前の段取りは判ってきた。

網を張ったり、

仕掛けを仕込んだり。

本線だけで勝負するより、

バイパスで保険もかけている。

上手く進む時はソチラに専念、

何処かに遅れが出たら他の仕事を行いながら、

滞りの原因を探っている。

そうだろ?

俺はお前の今の診療を診た。

厳しい道のりであったことは、

同業であるから良く判る。

良い人たちと巡り会う幸運、

それをモノにしたお前の努力が判る。

俺にも新人時代が在った。

不条理さも経験した。

が、

経験の浅いうちは、

何事にも疑う心を捨てて、素直に観察させて貰う。

コレが上達の根本だと思う。

だから俺はお前には何も言わない。

私は本当に良い人たちに恵まれました。

先生は還暦を過ぎて居られます。

私はこのような人で居たいと思うのです。

歯科医師として、

まだまだお役にたちたいですから。

 

人と人

私の二度目の家人は14歳下の沖縄の人です。

南方系の善人と言えましょう。

好奇心旺盛な明るい質で、

直情型、

猪突猛進型の人で在ったことが

私を惹き付けたのだと思います。

私も情熱型の人間です。

しかし、

私は歯科医学と歩んで来た人間です。

また商家の生まれです。

学問にも、

人間と云う対象にも、

物事には、

表と裏が在ると云う事実を

生きる術として覚って来ました。

加えて、

人には生きて来た過去が在ります。

この過去は自分自身で背負うものであり、

他人が詮索すべきものではないと考えています。

隠し事や嘘を言うなら言わない方が良いと云う理屈が在ります。

本当でしょうか?

隠し事や嘘が不信感の諸原でしょうか?

お釈迦様も仰られています。

嘘も方便であると。

人には言いたくないこと、

触れられたくないこと、

沢山抱えて、

それでも先へと歩まねばなりません。

相手が誰で在れ、

私は丸裸にされるのを拒みます。

私は考えます。

不信感の諸原は、

強い嫉妬と、

小さな小さな勘違いの積み重ね、

そして、

矛盾を無理やりに分解分析すること。

それは生きて来た歴史の差に違いありません。

振り返って観ますと、

私の家庭運営は性急だったと思います。

池波正太郎氏の小説ではありませんが、

【人は善い事をしながら、悪い事をする】

【悪い事をしながら、善い事をする】

身を以て、

この苦い味を味わって来ました。

年端も往かぬ若い二度目の家人には、

せちがなく、早急に進む世間の事情など

いちいち説明するよりも、

舵取りは俺がする、

お前は黙って後から着いて来い!

その様な姿勢だったと自覚しています。

言い訳ではありませんが、

私が好いて一緒になった家人を

悪くする筈はありませんから。

しかし、

人には、

丁寧な説明ってものが必要だったのだなと、

今になって気づいたのです。

ただ、

複雑怪奇な私の頭の中身を

どうやって説明出来たものか。

また、

説明されても理解できるだけの人生経験と

受け止める心の準備が在ったのかは疑問ですが。

人と人との関わりとは、

誠に難しいものだと思います。

昨今の状況では驚かれるかもしれません。

時々、

私は患者さんを叱ります。

叱られた事で気分を害して、

もう診察に来れれないのなら、

それはそれで構いません。

認識して頂きたいと思います。

病気の治療は決して快適な行為ではありません。

坂の峠を乗り越えて、

初めて先が観えるのですよ。

その時々の患者さんの

自己診断と自己治療方法の決定に従えない時もあります。

私には医師としての大きな責任が在りますから。

無論、

丁寧に丁寧にご説明には尽くしますよ。

それでも、

判らない方も時には居られます。

その時は、

治療出来ませんから。

ご自身にてご判断して頂くしかありません。

家人との時間を振り返り、

説明して判ってくれたものかどうかは判りません。

ただ、

仕事ではありませんから、

私は説明していなかったことは後悔しています。

と共に、

触れて欲しくない処を、

焼き鏝で、

ジュウジュウと皮膚を突き刺される言葉を浴び、

それでも男だから、

呑み込んで糞にでも出してしまうのが、

世の習いだと。

 

えにし

高名な僧の方とお話ししながら、

ふと、

先にお亡くなりになられたピアニストの武田宏子先生と

何故か重なったのです。

武田宏子先生は激情型のお人柄。

四十九日の法要の後の宴席にて、

先生のお写真を前に、

東京音楽大学教授をお務めになられるご令嬢の真理先生、

その夫君、

私、

三人が輪を組んで、

特に夫君が、

インや!インや!あの婆さん!恐いの何のって!

ひぇ~!ってモンでしたな!

其処へゆくと三枝さん!

あんたなんかのこと誉めてましたよ!

婆さん!

いやいや、

ご生前であれば、

恐ろしくて、絶対に婆さんなどと言えません。

お写真では笑って居られる先生ですが、

アレハ絶対に聞こえていたと思います。

絶対に怒っていたでしょう。

私ら三人に笑いのネタにサレッパナシでしたもの。

が、

武田先生に【筋】が1本通っていた人であったと云うのは

言わずもがなの共通認識で、

善人であることもまた同じ。

私は先生を尊敬していました。

無論、私は音楽の方は全然判りません。

人として、

これだけ筋目正しい患者さんを診た経験はありません。

25年、

先生の受診態度は一貫していました。

医師と患者の関係を越えて、

本当に良い付き合いをさせて頂き、

人生の良い教訓とさせて頂きました。

その武田先生と、

私の前の高名な僧は、

穏やかさと云う点においては、

武田先生すみません!

天と地ほどの大きな差を感じます。

しかし、

人はある域に達したならば境地に至るって言うのでしょうか?

同じ匂いがします。

私もこの歳です。

職業坊主は星の数ほど観て来ました。

エセ占い師も同様です。

しかし、

本当に仏さまなり神さまにお仕えする人生を

積み重ねて過ごされた方々と、

芸一筋で戦い続けた人に

同じ匂いがすることに、

不思議な心持ちと安堵の気持ちを覚えたのです。

歯科と云う仕事も、

ある種の芸ごとです。

自分の未熟さとの戦いです。

想像力と手先の一致にひたすら励み、

表現力に悩んで苦しむ、

それが歯科の一面でもあります。

私は信心な質ですが、宗教家ではありません。

剣術仕合のように、

ジッと、

相手との間合いを取り、

相手を推し量る。

この嫌な私の性格が、

私の対人評価の全てです。

で、

この方は尊敬に値する生き方をされたのだなと。

そう感じたならば、

私ほど素直な人間は居ませんよ。

水が染み込むように、

私の中に、

その方の声なり考えを吸収しますから。

昨夜は多くのお話しを聞かせて下さいました。

私が家庭運営にモガイテいるのを察したからだと思います。

私の方も、どうしたら良いでしょうか?

とも、全く聞きません。

今、自分の頭の中で正しい選択だと確信していることに、

後から大きな誤りであったと云う酷な答えを知った苦い経験が、

安易に答えを出さないと云う姿勢の種となった私を、

相手の高僧はお見通しの様でしたから。

越後贔屓の私は謙信公に憧れますが、

実際の私は信玄公の考え方、動き方を

常に模範として、

落ち着き処を見出だすように努めて来ました。

人と人の関わり合いほど厄介で難しい問題はありません。

意見を求める人を誤れば、

人生を棒に振ってしまいます。

偶然からか、

神仏のお引き合わせか、

それは私には判りません。

が、

昨夜は良い縁に恵まれ、

考える人であることの意味を再認識したのです。

 

私は歯科医師

本当に歯のお仕事がお好きなんですね!

歯のお仕事が天職なのですね!

患者さんや若い歯科医師の先生方々から

しばしば耳にする言葉です。

しかし当の私は、

その様な事など考えたことはありません。

むしろ、

歯の仕事の厳しさに、

もがいて、

もがいて、

それでも何処かに緒が無いものか?と、

闇夜を手探りでさ迷っているのです。

確かに17の歳に私は歯科医師になる決意をしました。

商家の生まれです。

歯科医師に時たま通院する程度の知識しかありませんでした。

血の争いの絶えぬ家でした。

私にとっての落ち着く処が、

たまたま小さな寺のお堂だったのです。

余りにも頻繁に教本片手の下手な読経でしたのでしょう。

寺のお婆さんが手解きして下さるようになりました。

ある時、

大きな音で太鼓を叩き、

盤若心経をお唱えするお婆さんが、

ふと、

振り返り、

坊!歯医者になれ!

当時、私は文学部志望でした。

あり得ない文系から理系への転向です。

しかし、

私は妙にお婆さんの言葉が引っ掛かり、

歯科大受験へと秘かに転向したのです。

親にバレれば大変な騒動になりますから。

私は商家の一人息子。

跡取り息子だからです。

其処からは、

私は人間の中身が在るのならば、

入れ替わったと思います。

数ある歯科大から日本歯科大学を志望した訳は

以前のブログにて告白した通りです。

私が歯科に向いていようが、

いまいが、

私には関係ありません。

兎に角、

私には歯科しかありませんでしたから。

私の方を、

歯科へ合わせる努力を積んでいったと云うのが事実です。

そうやって何十年生きて来ました。

後悔や反省も余多在ります。

多くのご批判も耳にする機会も在ります。

でも、

私は断言します。

私の一生は真剣勝負でした。

竹刀、木刀での試合ではありません。

仏さまのご縁で頂いた仕事です。

捨てる命など惜しくはありません。

道半ばで、

祈願を放棄する事だけは出来ません。

それが歯科の仕事であれ、

他の事で在れ。

唄の文句ではありませんが、

何時かは、

私は、

風に、

空に、

大地に、

海の水に

帰ってゆくでしょう。

その際に、

私は自分の関わった人たちが幸せであって欲しいのです。

歯科医師として学んだものが、

私の今の考えです。

人生の終わりかた

時代劇などで、

山のお寺の雑用をして余生を過ごすご老体って

ご覧んになった機会もあるでしょう?

私は歯科医師ですから、

生涯、現役で患者さんのお役にたちたいと思います。

が、

身体の自由が利かなくなったら、

私は寺の雑用男として、

自然界と神さま、仏さまのお側で、

生涯を終えたいものだと。

 

マリリンと一緒

私の心が平静でない時に、

マリリンは自然と察知するようです。

自宅で留守番はしません。

玄関戸をすり抜けでも、

助手席に飛び込みます。

院長室の階段を、

私の方を振り返りつつ、

院長室のソファーへと。

でも、

私のデスク脇の小さな机に

寝そべって、

顔は、あくまでも私の方へと。

私もショッチュウ、

左手でマリリンの頭を撫でています。

落ち着いて、

仕事に精を出せるのも、

このマリリンのお蔭です。

花形役者

一番誰を尊敬していますか?

誰のような人物に憧れていますか?

そう問われら、

答えは明白です。

【藤山寛美】に決まってるじゃあないですか?

もうこの時代、

あれほどの役者のなかの役者は居りませんよ。

寛美の舞台、

それはそれは見事でした。

舞台から降りたプライベートでの寛美も、

それはそれはスターの風格が在りましたよ。

で、

楽屋の窓にもたれて煙草を燻らす際に、

淋しがり屋で気に小さい男の顔に戻るんです。

が、

楽屋のドアを誰かがノックして入った瞬間、

再び、

藤山寛美の顔に態度に変えるんです。

寛美七変化は舞台だけではなかったのです。

コレが花形役者なんだ!

と、青春期に鮮明に洗礼を受けましたよ。