高名な僧の方とお話ししながら、
ふと、
先にお亡くなりになられたピアニストの武田宏子先生と
何故か重なったのです。
武田宏子先生は激情型のお人柄。
四十九日の法要の後の宴席にて、
先生のお写真を前に、
東京音楽大学教授をお務めになられるご令嬢の真理先生、
その夫君、
私、
三人が輪を組んで、
特に夫君が、
インや!インや!あの婆さん!恐いの何のって!
ひぇ~!ってモンでしたな!
其処へゆくと三枝さん!
あんたなんかのこと誉めてましたよ!
婆さん!
いやいや、
ご生前であれば、
恐ろしくて、絶対に婆さんなどと言えません。
お写真では笑って居られる先生ですが、
アレハ絶対に聞こえていたと思います。
絶対に怒っていたでしょう。
私ら三人に笑いのネタにサレッパナシでしたもの。
が、
武田先生に【筋】が1本通っていた人であったと云うのは
言わずもがなの共通認識で、
善人であることもまた同じ。
私は先生を尊敬していました。
無論、私は音楽の方は全然判りません。
人として、
これだけ筋目正しい患者さんを診た経験はありません。
25年、
先生の受診態度は一貫していました。
医師と患者の関係を越えて、
本当に良い付き合いをさせて頂き、
人生の良い教訓とさせて頂きました。
その武田先生と、
私の前の高名な僧は、
穏やかさと云う点においては、
武田先生すみません!
天と地ほどの大きな差を感じます。
しかし、
人はある域に達したならば境地に至るって言うのでしょうか?
同じ匂いがします。
私もこの歳です。
職業坊主は星の数ほど観て来ました。
エセ占い師も同様です。
しかし、
本当に仏さまなり神さまにお仕えする人生を
積み重ねて過ごされた方々と、
芸一筋で戦い続けた人に
同じ匂いがすることに、
不思議な心持ちと安堵の気持ちを覚えたのです。
歯科と云う仕事も、
ある種の芸ごとです。
自分の未熟さとの戦いです。
想像力と手先の一致にひたすら励み、
表現力に悩んで苦しむ、
それが歯科の一面でもあります。
私は信心な質ですが、宗教家ではありません。
剣術仕合のように、
ジッと、
相手との間合いを取り、
相手を推し量る。
この嫌な私の性格が、
私の対人評価の全てです。
で、
この方は尊敬に値する生き方をされたのだなと。
そう感じたならば、
私ほど素直な人間は居ませんよ。
水が染み込むように、
私の中に、
その方の声なり考えを吸収しますから。
昨夜は多くのお話しを聞かせて下さいました。
私が家庭運営にモガイテいるのを察したからだと思います。
私の方も、どうしたら良いでしょうか?
とも、全く聞きません。
今、自分の頭の中で正しい選択だと確信していることに、
後から大きな誤りであったと云う酷な答えを知った苦い経験が、
安易に答えを出さないと云う姿勢の種となった私を、
相手の高僧はお見通しの様でしたから。
越後贔屓の私は謙信公に憧れますが、
実際の私は信玄公の考え方、動き方を
常に模範として、
落ち着き処を見出だすように努めて来ました。
人と人の関わり合いほど厄介で難しい問題はありません。
意見を求める人を誤れば、
人生を棒に振ってしまいます。
偶然からか、
神仏のお引き合わせか、
それは私には判りません。
が、
昨夜は良い縁に恵まれ、
考える人であることの意味を再認識したのです。