月別アーカイブ: 2017年4月

宮田君へのアドバイス

余程の大切な用件がない限り、

私がスタッフルームへと足を踏み入れることはありませんでした。

嫁入り前のお嬢様方への配慮が紳士の嗜みであると云う

考えからです。

が、

宮田君も既に立派な主婦となり、

いや、

私の分類にて【おばさん】の範疇へと入られたことから、

親しみを覚へ、

時たまに、

スタッフルームにて宮田君と雑談するようになりました。

先生、主人への1ヶ月のお小遣いはいかほどに?

何だか他人事とも思えず、

ご亭主を哀れとも想い、

といって、

若い男に余計な金を持たせるとろくなことはないし、

コメントに戸惑うのです。

一月の食費ってどのくらいでしょう?

将来の教育費のためにどのくらい貯蓄しましょう?

仕事ぶりから宮田君の性格は良く判っています。

真面目な良妻賢母になるでしょう。

宮田君のご亭主はとても好人物です。

大変に好感が持てます。

が、

私は宮田君の父親気分。

娘を案じ、

娘に味方するのは自然の道理とも言えます。

エエか!宮田君。

ご亭主の悪口はどっちのご両親にも言ってはいけませんよ!

悪口言いたい時には私が聞きます。

それとな!

コソッと、いいか!コソッとと云うのが肝心なのじゃ!

コソッと時々に財布の中を視ておくのじゃ。

でな、

足らない時には多少の武士の情け程度の小遣いをな。

金入れられて文句言う奴は居るまいでな。

その次いでに、

そっと中身をチェックしておくんじゃ。

携帯電話?

それは私の口からは言えないわな。

まぁ、君のしたいようになっ。

ただし、バレないのが大切だな。

浮気の一度や二度なら堪えてあげなせぃ。

それはよ~く言っておきます。

君のご亭主は男前で仕事ができるからな。

それならモテるわな。

君もそれで選んだんじゃろ?

いつも綺麗にしておくんじゃな。

てな、

勝手気儘な私の言い放題を

どう聴いて居られるのやら。

 

医療のホスピタリティ

【面倒だ】と思った瞬間、

【だから、しない】のではなく、

【だから、する】と云う自分造りに

随分と苦労しました。

開業医を【真面目】に生業とすると、

キチガイじみた程に多忙です。

うっかりすると、

書類の山に埋もれてしまいます。

溜まった仕事を処理する苦しさより、

自分の生活を見直す方が楽だと、

気づいたことがキッカケです。

使った器具は直ぐに拭く。

後から消毒作業するスタッフが楽になりますから。

作業台の上も、作業のステップごとにサッと拭く。

そうする事で絶えず綺麗さを保つことが出来ます。

些細なことかもしれません。

でも、

【マメさ】がとっても大切であることが、

人間関係からも判るように、

そういう処に、

【コツ】が在るのかもしれません。

私の手術室です。

空気レベルは一般医科の手術室以上に、

浮遊飛沫や埃はありません。

それは、そういう設備を整えているからです。

でも、

それは患者さんには無関係なこと。

私の自己満足の問題ですから。

材料棚など設けてはいません。

背の高い棚の上の埃が嫌だからです。

材料は別室に整頓しています。

手術台を覆い被さるような大きな丸い無映灯は、

私の好みではありません。

いかにも手術と云う感じは恐いですよ。

それに埃が溜まった無映灯を、

多くの他所の手術室で観てきました。

私の無映灯は天井に埋め込んでいます。

フォーカスは手元のスイッチで調整出来ます。

これはオリジナルです。

こういう事も患者さんには言いません。

こういう処が紳士の嗜みだと思っています。

手術は綺麗な環境で行うモノです。

綺麗な環境とは、

モノを置かないことです。

で、

【こまめ】に掃除。

治療環境への配慮に欠ける医師に、

細かい配慮ができる筈はありません。

患者さんに対して、

ハウスメーカーの展示のように、

医院の設備を披露する行いも否定はしませんが、

本当に大切なモノは何ですか?

最近の医療機関のホームページを観て下さい。

どこもかしこも【患者さま】。

一昔前の医者のように、

ふんぞり返っているのは、

人格教育を受けない医者が多かったからです。

でも、

私らは商人ではありません。

患者さんの求めに反する言葉を

あえて言わなければならない局面も在ります。

それは患者さんに健康で居て欲しいからです。

私は患者さんとは対等な関係で居たいと思います。

ですから、

【患者さん】とあえて言わせて頂いています。

サービス業と医療は、

紙一重の差ですが、

多少、色合いが違うと思います。

【患者さんのために】

それが医療のホスピタリティだと思います。

 

 

気持ちの持ちよう1つで

好きな人の意見なら素直に聞くけれど、

嫌いな人の意見には耳を貸さない。

そんな時代が在りました。

そんな私に、

意見と云うものは相手を離れて、

客観的に受け止めるものだと

気づかせてくれたのが【歯科治療】でした。

【誰が言おうと、正しい意見には従うべきだ】

この言葉が正しいことは、

治療の結果から認めざるを得ない経験を重ねることで

否応なしに身にしみるものです。

【間違った意見に従う必要はない】

ただし、この言葉には大きな仕掛けが在ることも、

後に気づくことになりました。

相手の意見を検討するためには、

まずは自分が自分なりの意見、判断を持っていなければなりません。

さらに、

自分の考えのみが正しいとは限らないと云う【謙虚さ】と、

他人には他人の考えがある、

と云う相手の人格への尊敬も必要だからです。

いくら人の意見を聞いたとしても、最終的に決断を下すのは、

他ならぬ自分であり、

その決断の結果に対する責任は、

あくまでも自分に在ります。

慎重に慎重にとなればなるほどに、

自分が【聞きたくない意見】を言ってくれる人を

大切にしようと、

考え方が変化したように思います。

私は椅子が好きなんです。

診療所の至るところにチョッと座れるように、

椅子を置いています。

その椅子の直ぐ脇に、

これもチョッとしたアクセサリーを置いています。

椅子に腰かけて、

チョッと考え事をと云う瞬時を

大切にしています。

ミニチュアの歯科治療椅子は、

この診療所の新築祝いとして、

東大阪開業の本多正明先生から頂いた大切な品です。

素敵なモノに囲まれて、

心に余裕を持ちながら、

私は患者さんとの時間をご一緒しています。

 

 

禁を破る

私は泣いています。

医師には秘密保持と云う大原則が在ります。

ですから、

私がホームページなどで患者さんと並んでポーズなどと云う

ハシタナイ行いは軽蔑しています。

患者さんを営業活動に利用しているのが

アリアリと伝わるからです。

当の医師には、その意識はないのだと思います。

ハシタナさと、美しさの判断基準の差は育ちだからです。

しかし今日、

私は禁を破ります。

20代後半からの患者さんであった武田宏子先生がお亡くなりになりました。

初診から15年ほどは、

東京に本拠を構えられ、

名古屋市、大阪市、高松市のレッスン会場を

駆けまわる多忙な日々を送られていらっしゃいました。

原稿の執筆、

メーカーの方とのヤリトリ、

治療の合間の雑談から、

そのコツを随分と伝授して頂きました。

ある時、

東京の先生のオフィスに所用があり、

立ち寄った機会が在ります。

気儘な先生でしたから、

この私を2時間以上待たせたんですよ。

先生のご性格は当の承知の介でしたから、

壁越しに聴こえる先生の演奏に聴きいっていました。

浪曲、都々逸、三味線が贔屓の私ですから、

普段、ピアノの演奏などには縁がありません。

それはそれで新鮮な想いで聴いていました。

で、

ドアが開いて、

隙間から小さなお顔を出した先生は、

いかにも申し訳なさそうに、

ごめんなさいねと。

私の方は、

何か特別なことがあっての長時間の演奏でしたか?と。

この愚かなる私の問いに、

かの有名な武田宏子節の炸裂が始まったのです。

私らはプロなのよ!

1年のうちの何回かの舞台のために

毎日、毎日、鍵盤と格闘しているの!

ガツン!と効きました、この台詞は。

以降、

今では人から笑われても、

毎日、毎日、歯の彫刻を続けているのは

武田宏子先生に影響されての事です。

随分と可愛いがって頂きました。

私の新築した今の診療所を観て、

物凄く喜んで下さった顔が懐かしい。

で、

私はモーツァルトや他人の書いた曲ばかり弾いてきた。

よし!

やってみよう!

若い時分から観てきた先生だ。

新築祝いに曲を創るから。

で、

私が弾いて録音しよう!

数ヶ月の後に、

先生から、いついつ、何処其処のスタジオへお出でと。

私はスタジオなんて初めてですから雰囲気に圧倒されました。

色々な関係者が居られましたが、

先生は女殿様のような気品が在りましたね。

先生、普段は何回もリハーサルするのよ。

でも、

私は、ず~と先生を観てきたから、

先生の性格を考えて、

ぶっつけ本番!

驚きおののくスタッフたちを顎で指しづし、

ピアノ前に腰をおいた瞬間、

小さな小さな先生の身体は、

大きな大きな西洋の鳥のように

羽ばたいたのです。

音にも命が在ることを

この時に初めて知りました。

また、

時代を創ったカリスマのプロの仕事に、

知らず知らずのうちに、

頬に涙が流れていました。

私にプロフェッショナルの生きようを

ご自身の生き方にて指導して下さった先生であり、

患者さんでした。

今日、告別式。

脳裏に先生から頂いた曲の音が消えません。

私は歯科医師ですが、

職域こそ違え、

私も武田宏子の弟子の一人です。

武田イズムは確かに私の歯科医学のなかに

生きています。

 

奇跡の根管治療

私は歯科医師免許取得後すぐに、

母校の大学院へと入学しました。

専攻は【歯科保存学】です。

歯はもとより、

神経、骨、歯茎、

口腔にまつわる、ありとあらゆる組織を保存する事を

研究する歯科のなかの1専門分野です。

私の総入れ歯は、

歯槽骨の保存を主目的に造っています。

ですから長持ちし、

よく噛めるのだと思います。

私の部分入れ歯は、

残った歯がもっと長持ちするようにと云う配慮で造っています。

ですから、患者さんは快適なのだと思います。

私のインプラント治療は、

骨の保存に徹底します。

ですから、長持ちするのだと思います。

私の虫歯治療も、同じです。

できるだけ歯質の保存を第1として行っています。

殺さず、神経をとらない治療に徹底しています。

根管治療は残念な治療です。

他の誰かの手にかかった傷んだ歯の再治療は、

それこそふんどしの緒を締め直して、

気合いをいれて行っています。

よく観る根管治療の説明を表した図です。

リーマー、ファイルといった細い針金を捻った器具を

根管の中に挿入します。

この際に、

器具の先端と根管の尖端が完全に一致しなければなりません。

非常に難しいテクニックを要します。

レントゲン、電気的抵抗値、手先の感覚を駆使して行う

繊細な治療です。

マイクロスコープでの治療も普及しつつあります。

しかし、

マイクロスコープで確認できるのは根管の入り口迄です。

丹念にマイクロスコープで観察することで、

神経の入り口を見逃さない、

これが根管治療におけるマイクロスコープの現状です。

この写真をよーく観て下さい。

暗黒空のなかの一点の星ではありません。

小さな小さな白く光った一点は、

【根尖孔】です。

根の尖端の小さな小さな孔です。

この孔の完全なる封鎖が、

根管治療の最終目的です。

手探りであった根管治療でしたが、

今では自分の眼で視て、

自分の手で手当てできるようになりました。

マイクロスコープを使って20年近くになります。

やっと、

お星さまにジャンプして、

手がとどくようになりました。

 

やさしい心

スタッフの宮田君の耳には【タコ】ができている事でしょう。

私の診療所で勤務してからと云うものの、

【ナイチンゲールの心でなっ!】

と云う台詞を幾度も幾度も聞かされているからです。

私ごとで恐縮ですが、

決して順風満帆な人生ではありませんでした。

挫折の繰り返しだったと思います。

その時は情けない想いに苛まれました。

でも、

挫折を経験することで、

自分を生かす唯一の道を見つけたような気がします。

【謙虚さは辱しめを受けずには得られない】

と云う言葉を思い出すのです。

挫折とは、

もしかしたらチャンスかもしれません。

ニューヨークのセントラルパーク.イーストに在るホテルです。

当地での常宿は、このホテル近くのエセックスハウスが好みで、

ダイナーへ通う際には、

いつもこのホテルの前を通ります。

私の身分では、このホテルに宿泊するのは

身分不相応だと思っていますから、

あくまでも、

外から眺めるだけでしかありません。

ピエールと云う名のホテルです。

白髪の初老の紳士となれた際には、

是非とも常連になりたいものです。

この写真1枚からでも、

【ホスピタリティ】の真髄が顕れています。

心暖まる光景でしょう?

サービスはマニュアル化されたモノに心はありません。

愛しい云う気持ち、

ありがとうと云う感謝、

お役にたちたいと云う想い、

そこに医療人の職責が伴って、

【ナイチンゲールの心】が生まれてくるのだよと、

宮田君には口酸っぱく繰り返しています。

私の診療室へのドアの前の空間です。

この大きなドアの向こう側に三枝ワールドが在ります。

飾った絵画は、

ニースの海岸から地中海を臨んだ光景です。

穏やかな波の音が聴こえるなか、

静かに私の仕事は進んでゆくのです。

 

美しさのこつ

高校生のお嬢様を連れてお母様がお越しになりました。

事故に遇われたお嬢様は、

現在、他所の歯科医院にて治療中であるとのこと。

しかし、

どうしても治療に関して心配で堪らず、

それがお母様のお訴えでした。

事故の状況、

その後の歯科治療の具体性について

アレコレ問診させて頂いたのですが、

私には、全く理解できません。

歯科医師の私が理解できないものを

患者さんと親御さんが理解できないのは当たり前でしょう。

治療中と云う現状は、

正に悲惨なモノでした。

訳の解らない得体の知れないモノを

とりあえず除去しました。

何と云うことでしょう!

上の前歯がバッサリと折れています。

その折れた隣の前歯には、

下手くそ!なコンポジットレジン修復が為されています。

レントゲンでは骨に異常はありませんでした。

折れた歯は、神経が既に死んでいました。

残念です。

事故直後であれば、

三枝メソッドにて歯は死ななくても良かったのに、

内心で歯軋りしたものの、

今時、このような処置を平気で行う歯科医師に

驚きました。

とりあえずは、

折れた前歯にはその場で仮の歯を装着して、

汚いコンポジットレジン修復を外して、

やり直し、

次から精密検査へと。

私たちの日常は、

【めんどくさい】ことの連続です。

【めんどう】だから

【しない】のではなく、

【だからする】

その繰り返しが、

いつしか【さま】になり、

【美しさ】へと変わってゆくのだと思います。

そのこつは、

【こまめ】に行うことだと、

そんな風に気づかせきれたのも、

日々の歯科治療でした。

私にとっては、

歯科治療は仕事ではありますが、

自分研きの大切な所作でもあるのです。

街を歩きながら、

喫茶店の中でも、

お行儀の悪い方を見かける機会が在ります。

残念なことですが、

時たまに、

私の診療所へお越しになられる方にも、

無理の言い放題と云う方を見かける機会も在ります。

その様な方にとやかく云う積もりはありませんが、

私は内心で、

ああには成りたくないと思っています。

美しくないことを自覚できない方は

本当に不幸な方です。

身だしなみも大切ですが、

所作や心様の美しさを保つことに

気をつけて暮らすことに努めたいと思います。

歯のキチガイ

歯科医師ならば、

故レイモンド.キム先生の名前を知らない人は居ないでしょう。

大学院生の時に、先生を訪ねました。

当時は未だ先生の名は

本邦においては広く知られてはいない時期でした。

誰かに先生を紹介して頂いた訳ではありません。

専門誌に掲載されていた先生の症例にぶっ飛んだ私は、

行けば何とかなる!と云う、

持ち前の無鉄砲が炸裂し、

ロサンゼルスに飛び、

ホテルのイエローページにて先生の診療所を探し、

出かけて行ったのです。

夢遊病者のようにまで、

先生の診療所へと私を誘った先生の症例は、

凄まじい気迫が在りました。

私の師匠である内藤政裕先生とは、

キム先生と知り合った後から出会いましたが、

内藤先生もまたキム先生から影響を受けた歯科医師です。

内藤先生の診療所へも、

私は無鉄砲さで訪問したのです。

振り返れば、

出会いは自らで造るモノだと。

東京都吉祥寺開業の小出医師も、

昔の私のように、

突然に私の診療所へお越しになりました。

小出君の姿に、嘗ての私を重ねて観ていました。

キム先生、内藤先生共に、

共通した台詞を

自然に諭すように語りかけて下さいました。

君に隠すモノは何もない。

見たいモノは全部観ていきなさい。

将来、若い先生が君を訪ねてきた時に、

その時は隠さず見せてあげて欲しい。

私は良き師に恵まれました。

20年近く前の私とキム先生です。

西海岸のホテルの部屋での一時です。

一晩中、歯の話しをする先生でした。

今朝、小出君から電話を頂きました。

先週の土曜日の夜、

内藤先生のご自宅にお招きを受けたことの報告です。

小出君曰く。

内藤先生が仰っておられました。

三枝君も僕もキチガイなんだよ!

君もキチガイにならないとダメだよ!

先生、どうすればキチガイに成れるんでしょう?

爆笑しました。

大人の男の会話ってこのようなモノです。

小出君は恐らく、

近いうちにキチガイになれると思います。

寝ても覚めても【歯】。

私ら歯科医師は、それで良いのだと思います。

患者さんは藁にもすがる思いにて、

歯科医師を探しています。

その思いに、

応えられるように、

私らの人生を費やしてはどうでしょう?

 

 

最初の一歩

中学に入学した娘の寮生活が始まりました。

寮は個室ではありません。

他の生徒さんとはカーテンで仕切られた空間に、

ベッドと棚が在るだけです。

学習室に各自の机が用意されており、

毎日の勉強は其処でするようです。

携帯電話は夜の9時に寮母さんに預けると云う規則です。

私は心配で心配でなりません。

テーブルの娘の座っていた場所が空いています。

何気なしに、

其処を見てしまいます。

時計を観れば、

娘は何をしているものぞ?

と、云う塩梅。

後悔半分以上、

諦め少々。

そんな私です。