月別アーカイブ: 2016年6月

矛盾

私の仕事の性格柄、常に【平常心】でいることが求められます。

反面、パッションも心の内に秘めておかねばなりません。

この様に矛盾した二つの性格を上手く両立させることに

長い間苦労して来ました。

特に【平常心】でいる自分です。

診療の最中は私は【無心】です。

澄んだ水面の心で、

手先をコントロールしています。

が、

一度、患者さんから離れると、

日常の様々な事象からくる煩わしさなどが頭を過り、

心に波風がと云う処が現実です。

そのために、

読書や犬と戯れて、

余計なことを考えないようにと

気を逸らす手当てをするのですが、

やはり私が無心になれるのは【診療】だけのようです。

ワーカホリックと言われることでしょう。

ただ私にとっての【歯の仕事】は、

そう言った意味合いの対象ではありません。

と言いながら、

【歯の仕事】は大きなエネルギーを消耗します。

若い時分には体力が在りました。

この力の根源が枯渇してゆく【老い】を

嫌でも自覚しています。

焦りもします。

で、

再び心が乱れるのです。

先人たちは、どのように対処されたのでしょう?と。

恐らく、平和で穏やかな家庭環境へ逃げ込む位にしか、

男は不器用ですから、

その程度の事しかなかったのかもしれませんね。

先日、何処かの歯科医のホームページの印刷物が

眼に入って来ました。

以前は其処で治療を受けていた、

今では私の処の患者さんが見せてくれたのです。

非常に気の強い、我の強い奥方なのでしょう。

大いに語ると言った処でしょうか。

苦笑いを通り越し、

私なら、

この様な方の待つ家には帰りません。

この奥方のことよりも、

私はこの歯科医の頭と心の内を

どうしても知りたいと、

それと同時に、

あぁ!辛んどいなぁと、

朝からため息ついて着替えの準備に入っています。

 

私のような仕事に就いてい、長年過ごしてきた人間って

常人には理解できない位、

辛抱強く、投げ出さない質になるんです。

普通だったらとっくの昔に逃げ出してるのに、

まだ頑張ってるの?!

煮え切らない!

てな事が案外と在るんですよ。

治療で後悔したくないからでしょう。

あの時、もっと頑張っておけば良かったとか、

あの時、あぁすれば良かったのか?とか、

そんな心情を何度も何度も味わって過ごして来ましたから。

自然と粘る質になったのでしょう。

が、

進行のしきった質の悪い病気は、

どうにもならないのが悲しいですね。

そんなこんなを繰り返しながら年をとっていくのでしょう。

若い時分に無茶した罰でしょうか?

真面目になりすぎました。

ギャンブル

ギャンブル狂の方の心境を私には理解できません。

トイレを催した際に、

眼前にパチンコ屋さんが在っても、

店内に入ることを躊躇し、

小走りで立ち去りアタフタする機会がたびたびありました。

麻雀も肌に合いません。

冒険心は大いに在るんですよ。

ただギャンブルに紳士の匂いを感じられないのです。

私にはどうも変なコダワリってのが在るんですよ。

若い時分のことです。

コンパで知り合ったOLと日を変えて待ち合わせし、

下心満々で、

鮨屋のカウンターに並んで、

ビールのツマミが届き、

この女性、

割り箸を割き、

で、

両の手で箸をとって、

木の毛羽を取る所作を始めたのです。

一気に冷めたのは云うまでもありません。

鮨を少々摘まんで、

所用ができたと嘘をついて

帰ったことを覚えています。

ハシタナイなと。

これに似たり寄ったりの感覚をギャンブルに対して

私は抱いています。

偏見です。

すみません。

何事にも、

この様な評価の物指しと云うモノを

私は持っています。

窮屈なんですが、これはどうにもなりません。

ただ、ギャンブルを好む方は瞬時の勝負処ってのが

快感なのかもしれません。

私の仕事においても、

瞬時の勝負処と云う瞬間が在ると、

正直に申し上げておきたいと思います。

真の値を点と仮定したら、

点の向こう先、点の手前と云う誤差が在りますでしょう?

点の寸差手前から、

心持ち手先を進めるべきか、

此処で留まるべきか、

そんな判断を迫られる機会がたびたび在るんですよ。

考える前に勝手に手が先に動く時も在りますし、

考えて、決めて、息を止めてエィ!と。

そんな毎日の繰り返しですから、

わざわざギャンブルなどでスリルを味わおう等とは思いません。

今日の手術は、

瞬間の判断で、

抜歯か残せるかの結果が決まると云う

責任重いモノでした。

残せて良かったです。

私の仕事を、

私は他人には勧めません。

 

 

私の診察の日常

コレは何をしている処だとお想いになられますか?

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私の診療所では、

初診では勿論のこと、

治療のステップ毎に、

或いは治療終了時に、

メンテナンス時に、

口腔内の写真の記録を残しています。

で、

このショットは、

上の前歯をアップで撮影する処です。

歯の裏側の黒い板が丁度歯のバックスクリーンとなり、

修復した歯の微細な色使いが鮮明となります。

カメラは専用ストロボの装備されたものを使います。

この上の歯は全てセラミッククラウンで修復しています。

術後13年経過したものです。

DSC_0340

歯茎も健康ですし、

セラミッククラウンの鮮度も当時のままです。

治療しながら、

写真撮影することに、

私の患者さんは既に慣れっこになられておられます。

生まれ育ち

変に誤解しないで下さい。

言葉と云うモノは難しいですから。

最近とくに、

どんな水を飲んで育ったのかと云う事は、とても大切だと感じています。

生まれ、育った環境ってことでしょうか。

淡水魚を海に放すことは死を意味します。

逆も同様です。

人は高度な感情や情緒と云う意識を持つ生物です。

ですから文化と云う条件も加味しなければなりません。

それらの違いから来る【匂い】は、目には見えませんが、

必ず察知できる能力を人は持ち合わせています。

それを【相性】とか【うま】と云う表現で著すのでしょうか。

この違いから来る【差】は、

初期にはボタンの掛け違いとして表れ、

進んで、

苦手として顕在化し、

最後のトドメとして、

致命的な言葉を吐く立場になるか、

致命傷を受けるほどに傷つけられるかの何れかとなり、

争うことになるのか、

離反することになるのかと云う結末に。

この様な現象は珍しいことではありません。

国と国との間においても、

仕事の上においても、

交遊関係においても、

家族においても。

【折り合いをつける】と云う歴史が育んだ知恵も在りますが。

それは砂上の楼閣でしかありません。

例えば、

家族を例にとると、

家族それぞれに希望もあるでしょう。

その希望の上に乗っかる石、或いは蓋が、

父であり夫である私だと。

男は、社会の中で常に折り合いをつけて過ごす定めにあります。

挫折や頓挫の実際も味わいながら男は大人になります。

父は、わが子が進む道での様々な経験を既に予想出来ています。

その上で、

経験した方が良い苦労と、

決して肥やしにはならない苦労を

無意識に判別しています。

当然、未経験の者には理解できないでしょうが。

ここから先は、

本当に【飲んだ水】の種類によって、

受け取り方が大きく変わって来るのです。

そう言う意味ではないと説明すること自体が、

そう言うコトなんです。

診療所の院長室で泊まる時が在ります。

こういう時は、

心身共に臨界点を越えた時です。

私は好きで【歯の仕事】をしています。

ただ治療だけ出来れば、何の不足もありません。

が、

仕事場を構えると云うことには多くの事情が発生します。

診療所を保有し、其れを維持するための経費。

雇用の問題。

加えて一家の主としての義務と責任も

当然、私の肩に架かっています。

私の仕事の特殊性ゆえに、

私は仕事上の悩みを同業者に相談できません。

私が先行者だからです。

職人としての悩みに対する対応策は、

既に身につけていると思っています。

人生は重い石を背負って歩くようなものと云う台詞がありました。

この10年近く、しみじみと味わっています。

背負う石も色々ありましょうが、

私が青春期に選んだ【歯科と云う石】は、

どんなに重くても背負う意味も大きい石だと思います。

 

無趣味ゆえに

私が読書を好むのは、

決して知識の吸収を欲するからでもなく、

教養を身に付けるためでもありません。

何処かへと出向く手間のなく、

特別な高額な費用が必要なわけでもなく、

体力を消耗する訳でもなく、

自分のペースで時を過ごせるからです。

テレビや映画等のような眼から入って来る映像は

想像力を満たしてはくれませんし。

日常の生活から逃避する最も手軽なモノが

読書位にしか思い付かないからです。

【歯】以外のことは皆目判りません。

【歯】の神秘に魅了され、

其れだけに自分の全てを傾けてきました。

そんな私が、他の気晴らしの方法など判る筈もなく。

脇で寝そべる犬とは足の甲で接して、

静かに読書で過ごす。

で、

疲れたら眠る。

仕事以外での、コレが私の毎日です。

お務め

私は毎朝のお務めを致します。

先祖の御仏壇の花の水を代えて、

熱い煎茶とほうじ茶をお供えし、

蝋燭に火を灯し香を焚き、

長い経本を頁を捲ります。

御先祖様の名前を心うちで諳じながら、

お経を唱えています。

御先祖様と繋がっていると、

私は実感できるのです。

今日も1日、無事に過ごさせてくれるrと、

私は信じて疑っていません。

何故なら、

私がこの世での仕事が終わりし後は、

子供たちみんな、

孫が居れば勿論、

その先々まで、

私はすぐ側で護ってやる積もりですから。

見えないモノは信じない。

証明できないモノは科学ではない。

と、言われるのかもしれません。

が、

ソレは今の科学の能力が足りないだけかもしれません。

毎日のお務めから私が確信致しましたのは、

やはり眼には見えないけれども存在するモノがあることです。

 

お中元商戦もたけなわなのでしょう。

私の診療所へも多くのデパートからカタログが届いています。

休憩時に封を開け、

頁を捲っていくのですが、

年々、想う処が大きく膨らんできます。

欲しい!商品が無い。

贈りたい商品が無い!

感謝の気持ちの表れがお中元をお贈りすることです。

感謝の気持ちは、送り主のセンスの表れでもあります。

観れば観るほどに、贈りたくなくなるのです。

デパートの包み紙が違うだけで、

大型のショッピングセンターでも買えるものばかり。

旬のお品にしても、

【一流】デパートの心意気など微塵も感じられません。

兎に角、商戦時期だ!乗じて薄利多売で乗りきろう!

てな、安直な気持ちがカタログから伝わってきます。

こんな体では私は使いたくありません。

専門店で、気の利いた心の想いをお品に添えようと思います。

医療に於いても全く同じですね。

【心】を、

【熱い想い】を、

【優しさと労り】を、

技術にソレラが伴いませんと、

今のデパートの体たらくのようになるでしょう!

 

仕事の【流儀】

何か物事を達成しようと目的を持ったとき、

誰しも計画をたてるのが普通だと思います。

で、目標なり、段取りなどを決めて進めてゆくのでしょう。

経験上、そんな机上のモノは空想でしかありません。

で、

私は曲がりくねった道があることも、

大きな壁が在ることも、

予め予想して、

物事を進め始めます。

方向転換やバイパス形成は想定住みです。

兎に角、前へ前へと勧めることを

何よりも重要視しています。

其れが私の仕事の【流儀】です。