月別アーカイブ: 2017年11月

もう悪さはできませんね?

騒々しい羽田空港の出発ゲートを過ぎ、

立ち食いの中華そばが出来上がるのを待つ私の後ろから、

三枝先生ですか?

と声をかけられ、

振り向けば、

真面目そうな1人の青年が立っていました。

???

先ほどの講演会に居りましたと、

私の目を真っ直ぐに観て自己紹介する青年は、

爽やかな歯科医師でした。

なんでも私の日々のブログも観て下さっておられるとの事。

気恥ずかしい想いになりました。

最近、

このようなシチュエーションが多いのです。

学生時代に私の講義を受けたとか、

実習の際に叱られたとか。

歳をとったんですね。

私は若い歯科医師を心から応援しています。

歯科医学の門を叩いて、

この道を一生の仕事と選んだ若者に

心からエールを送っています。

少しでも若い歯科医師のお役にたつことが、

師匠への恩返しでもあるからです。

いつでもいらっしゃいと。

搭乗のアナウンスの中、

ゲートへ駆け走る若者の姿に

美しいと感じたのです。

 

 

恵まれた者

待ち合わせの際には、

其処が初めての場所であれば、

1時間は前に、

勝手知った処であれば、

15分前には、

と云うのが、

青年期に大人の男たちから

躾られて、

身についた習慣となりました。

師匠とご一緒させて頂く際には、

勝手知ったる場所であろうが無かろうが、

1時間前には、

それが弟子の所作だと思っています。

土曜の朝、

講演会場に到着した師匠の笑顔に

私は心が温まります。

おう!

左手をポケットに、

右手を挙げての何時ものスタイルでの挨拶に、

私はお辞儀をしてお迎えさせて頂きます。

これも、

25年の何時もの光景です。

内藤先生と言えばクラッシック.ジャガーやモーガンが有名ですが、

普段の足としてお使いの、

メルセデスのワゴンから大きな荷物を取り出して、

三枝君!

これでどうだい!

気に入ったか?

大工のヨゼフだ。

来年の春、

復活祭の日に洗礼を受ける私は、

クリスチャンネームを先生にお願いしたのです。

描かれた絵は、

イエスキリストのこの世での父、

聖母マリア様の夫である、

大工のヨゼフでした。

先生のご母堂様のご母堂様の描かれた絵です。

画家の血筋を

先生の歯学の中に感じます。

先生の歯学が芸術の域に達している大きな要因だと

日頃から秘かに、

師匠のお祖母様に興味を持っていたのです。

うん。

そうか。

その顔は気に入った顔だな。

これやるよ!

綺麗に手当てして送ります。

で、

名前はヨゼフ。

こっちは歯の大工だからな。

30過ぎた頃から、

何につけ、

暖かい眼差しで、

接して下さった師匠の気持ちに、

ますます佳い歯科医師であろうと、

決意新たに、

もっと、もっと、

励みましょうと、

感極まり、

言葉になりませんでした。

 

心配り

土曜の夜。

食事会のあと、

師匠がレストランから出るのを

後ろ姿が見えなくなるまで、

直立不動の姿勢で見送り、

さぁ、ホテルで寝るかぁ!

と、

帰宅準備に勤しむ私のコートの袖を引っ張るのは。

師匠の診療所で長年、

歯科衛生士として師匠のキャディを務める田中女史でした。

先生、ズルいぞ!

次、行くぞ!

普段は淑女の見本のような女史は、

虎,

もしくは、

大阪のオバチャンと化していたのです。

このような際に、

私は頼りないのです。

すがるような目で、

吉祥寺開業の小出医師に助けを求める私。

なんせ、

都内のど真ん中。

私は今自分が居る所在さへも知らないのですから。

受付嬢である高井女史は落ち着いた方で、

ご一緒して下さるとの事にて、

私と小出医師は、

師匠のヤンチャを真っ直ぐに引き継いだ

じゃじゃ馬女史にリードされ、

夜の巷へと出でたのです。

青山の上品なビルの細い階段を地下へと下り坂、

上品な戸を開き、

田中女史の店選びの眼力に

騒ぐ本人を他所に、

視る眼があるなと、

見直したのです。

酒も付きだし、肴も、

佳い仕事でした。

こういう佳い店は、

呑む側の気持ちをも変化させてくれます。

内藤先生のスタッフを日頃から

尊敬しつつ、

困った時には皆で助けて下さり、

私が一目置く、

数少ない【歯の仕事人】たちとの時間を

わざわざ作って下さった田中女史には、

その心配りに感謝したのです。

夜が更けるころ、

田中女史の肩を叩いて、

オバチャン、オバチャンと呼んで、

笑っている私が、

其処に居たのです。

 

名付けの親

早朝、

師匠である内藤正裕先生からの

携帯電話の着信音がけたたましく鳴り響きました。

明日朝一番にお会いするんだが?

はて?

で、

三枝君、

西暦で君の誕生日を正確に教えて下さい。

誕生日は先生の1日後です。

1963年です。

なんて云う会話から、

ピン!と、

気づいたのです。

翌年の4月1日はカトリックでは復活祭の日に当たります。

この日、

私は洗礼を受けます。

この際の、

カトリックネームの名付け親を

師匠にお願いしていたのです。

で、

どこの流派?

先生、それは決まっています。

私は正統派、伝統派ですから。

歯科は内藤、

キリスト教はローマ.バチカンですから。

師匠ですか?

笑っておられました。

歯の神様は聖アポロニアなんだが、

これは女神様だからねぇ。

いっそ、トランプでいくか!

ガッハッハ!

でも、

私の師匠は誠実な人です。

それでいて、

教養深い人です。

恩情のと情熱の塊です。

歯学博士号を頂き、

その後、

実戦の場に立った頃の青年期の私を

師匠はずっと観ては、

助け続けて下さいました。

そんな師匠ですから、

私の現世で使うよりも長く使う名前ですから、

師匠は私にマッチした良い名前を付けてくださると

安心しています。

心が沈んだ時には

長い一生ですから、

思うようにはままならぬ時が

何度も何度も襲ってきます。

この際に、

私は次のように考えられるようにしています。

悩みの原因が、

自分自身で解決できることなのか、

それとも、

私以外の事柄に起因しているものなのか、

例えば、

他人の性格なり考え方を容易に変えることはできませんね。

仕事上の問題が悩みの種であるならば、

私は悩みの種に挑み続けます。

実力が伴うまで、

コツコツと修練を続け、

その時を待ちます。

経済の悩みであれば、

情報の収集に努め、

知恵を搾り、

自分本意の分析にならないようにと

強く意識して、

情報の分析を行い、

問題解決のための戦い方は、

複数準備します。

3本の矢を次々に放つと云う戦術は採用しません。

解決に役立つ方法と考えられるモノが

3つでも7つでも、

私は一気にドカン!と、

同時に

網をかけるように、

大きく広げて、

問題点に投げかけるのです。

で、

間を置かず、

自分を全身火の玉のようになって、

ひたすら、

光の見える見える方へと突進し続けます。

で、

死にモノ狂いで、

働いて、働いて。

脳髄が血走るほど考えます。

眼球が真っ赤になるまで視ます。

汗だくになるまで、

働きます。

その際のプライドなど無意味です。

経済の悩みなら、

一生懸命頑張れば、

絶対に解決できます。

経済と仕事は、

ほぼ一致していますから、

仕事が順調であれば、

経済ので悩むことは特殊な場合でしょう。

人間関係の問題については、

あくまでも、

ソッとすべきだと考えています。

何事も天のお導きと。

 

 

 

 

 

魔法の手

昨日の最後の患者さんは、

上が総入れ歯、

下は全てインプラントにて治療を進めている患者さんでした。

インプラントにて修復するからといっても、

仮の総入れ歯は経験して頂かねばなりません。

多くの歯を

お気の毒にも失われてしまっておられます。

ですから、

噛み合わせを

1から造らねばなりません。

歯を列べる位置決めを必要とするからです。

お顔も、

歯があって、

シッカリと噛み合っていた頃とは、

随分と変化していることが、

お借りした若かりし時代のお写真から

容易に想像できます。

正常で健やかな老化とは思えない、

人的ミスが加わって、

今日の表情筋の形が形成された模様です。

顔。

シワ、

表情、

それぞれに【人の生きざま】が刻まれます。

その痕跡は大切にしたいと思います。

が、

ソッと、

私の手当てにて、

蓋を閉じるように、

軌跡を、

隠して差し上げることも度々です。

歯を列べる作業には、

歯科医師の持つ【魔法の手】が効を奏することも

若い歯科医師の先生方には、

気がついて頂きたいと思います。

最近、

顔について熟考するのです。

美容整形医のできない歯科医師だからこそ出来る

従来からのオーソドックスな治療のなかに

大きな宝物があることに気づいたからです。

昨日の患者さんには、

2回目の仮の総入れ歯をお入れしました。

瞬間、

お顔に若さが舞い戻ったのです。

真剣勝負でしたので、

私の側は、

患者さんがお帰りになられると共に

疲れが一気に吹き出しました。

院長室のソファーにチョと横になろうと。

で、

目覚めたら朝。

 

男の50代

週末は上京。

で、

来週末は広島市へと。

その合間に岡山や神戸などにも、

診療のあと、

出向く機会が多いので、

そういう場合は深夜の帰宅になります。

自宅でゆっくり9時に就寝と云うのも、

現実には少ないのです。

男の50代ですから、

死ぬくらい働かなきゃ!

そう普通に考えるのは、

今では古いのだそうな。

 

奥歯のセラミックブリッジの造り方

歯型を採って、

歯科技工士の手に委ねて、

で、

完成、

装着っていう単純な手順にて、

ブリッジを造ること自体に

大きな誤りがあるんです。

メタルボンドの場合においては、

金属を使います。

金属を溶かせて鋳込むと云う行程を踏みます。

高温下で溶かした金属は膨張し、

室温に戻る過程で固体になりますが、

この際に、

収縮するんです。

ブリッジくらい大きな金属の塊ですと、

縮む量も大きいのです。

この辺りを考慮に入れて、

寸法補正手段を講じることが、

歯の根に対して優しい治療なのです。

私は予め、

ブリッジを分割して鋳込んでいます。

で、

口腔内の歯台歯に金属のフレームをソッと装着し、

様々な観点からチェックし、

合格!

そこで、

分割したフレームを口腔内で、

固定し、

位置決めします。

それを再び歯科技工士の元へ。

技工サイドにて、

分割した部分をレーザー溶接します。

この行程を省くと、

患者さん自身にご自覚が無くとも、

歯の根には、

シッカリと締め付け応力が加わっているんです。

ブリッジの土台に負担が掛かるんです。

まだまだ、

工夫は沢山在りますよ。

最新だか最先端だか知りませんが、

どの素材であっても、

素材と身体の性質を

トコトン読み込むことが大切だと思いますね。

 

息子との会話から

一見、無駄とも観える

親からすればハラハラさせられる遠回りな時間を

経験したからでしょうか?

それとも、

父の老いを感じて、

同情しての所作でしょうか?

最近、

息子からしばしば電話が在ります。

決まって、

父ちゃん!

と云う言葉から、

その時の会話が始まるのです。

で、

昨夜と言っても、

午後の7時前の頃。

9時には床に就く父の習慣を知っているからです。

何してるの?

丁度、

車の内装作業の最中であったので、

そんな話を返したら、

考え込むような、

フゥム~?

と云う唸りのような反応が帰ってきたのです。

どうした?

と、問う私。

大人の男も色々なんやね?

盛り場でトコトン騒いで楽しむ人。

ギャンブルにハマる人。

家でテレビを前にビールで乾杯の人。

地下室でヨットを造るギブス捜査官のような人。

この違いは、

どういう転機点で変わるん?

ギャンブル以外のほぼ全ての悪さを通過して

今日に至っています。

振り返れば、

大いに後悔と反省ある足跡です。

やむを得なかったのだと、

そう自分で自分に言い聞かせて納得させるしかありません。

が、

それと反し、

無我夢中で精一杯に、

駆け走り続けている最中であるのも事実です。

だからでしょうか?

1日に1時間くらいは、

私の場合には、

定規で寸法を計り、

下地を造り、

素材を加工し、

モノ造りに

頭と心の中を空っぽにする瞬間が

安定剤になっているのです。

他人目からすれば、

無意味に観えるかもしれない実験も、

未だに継続の最中ですが、

確実に1歩1歩、

前へ進んでいます。

講習会や講義の準備にも追われています。

これらは、

診察の合間を縫うように、

コツコツと。

毎日の診療は、

私の命の切り売りのようなモノ。

真剣勝負そのものです。

お越しになられる患者さんにたいしては、

誠実に、

丁寧に、

気を配って、

大きく包んで差し上げねばならない

年齢になったことを自覚し、

患者さんへの自分の観せ方も大きく変えました。

常に進化、進歩することを停止することを

私は許せません。

歯科へと取り組みについて、

私は自分に対して1番厳しいでしょう。

だから、

ギブス捜査官に魅せられるのかもしれません。

 

 

 

患者さんの歯科への意識の高まり

この女性患者さんも、

ダイレクトボンディング修復。

凄い歯科治療の痕跡ですね。

詰めモノと歯の間に大きな隙間が。

虫歯が再発装置?なんでしょうね。

また、

患者さんの側も、

よくこのギラギラ治療に何にも感じなかったのが

不思議でなりません。

ピッタリと適合していない修復ですから、

さぞ、

口臭も凄かった筈なのに。

初診でお越しになられて、

少しずつ、

少しずつ、

歯への関心度合いが高まってこられた様子。

こうなると、

当然ですが、

このような状況に我慢ならなくなるのは当たり前。

で、とりあえずは、

1本、

ダイレクトボンディング修復。

いかがでしょうか?

ですから、

私の診療所は流行るんです。