日別アーカイブ: 2017年11月30日

ジャンプ

日本歯科大学44回卒業と言えば、

私らからすれば、

直立不動の最敬礼もので、

とてもじゃないですが、

全く頭が上がりません。

とっくの昔に創立100周年の記念行事を終へ、

今の学生諸君などから、

76回卒業の私らの世代は、

既にお爺ちゃん扱いですから。

今朝、

この大先輩にお電話をいれさせて頂いたのです。

ぶった曲げたのです!

お歳暮を頂いたからです。

本来であれば、

私が先に送らねば不敬罪に当たります。

しかし、

先生のご子息は同級生でもあり、

また、

唯一心のゆるせる親友であることから、

夏と冬の贈答品は互いに止めようと云う話しをしていたのが、

悪かった!

それは私と友人との間の話しですから。

歯科医学の門を叩いて最初の師匠は、

間違いなく、

この浅見 裕先生であることに相違ありません。

伝統の浅見歯科医院は

看板は下ろしましたが、

ご子息がキチンと大学教授として、

父上の歯科医学への熱い想いを引き継がれいます。

受話器の向こう側に、

懐かしい先生の声に胸が熱くなりました。

三枝君、

いや三枝先生か。

毎日、思い出しているよ。

何か美味しいもの食べて欲しくてね。

私は泣いていました。

18歳の頃、

歯科開業医に、

特別な歯科医師が存在することを

先生を通じて知りました。

生涯の師匠となった内藤正裕先生も、

若い時分に、

霞ヶ関の納富学校にて、

当時ライターであった浅見 裕先生の指導を受けたと、

懐かしいお顔で、

仰っておられました。

私と多くの歯科界の巨星との縁を創って下さった方が、

浅見 裕先生ご夫妻でありました。

私のデスクの脇に、

先生から頂いた色紙を置いて、

毎日、

眺めています。

【柳に風】

18歳で、

歯科医学のいろはも判らない私に

頂点を見ろと、

心構えを伝えて下さった最初の師匠です。

それからと云うももの、

お月様へぴょんぴょんジャンプする兎が

私の30年でした。

どこまでジャンプして良いのやら。

テッペンは全く見えません。

私の好きな讃美歌の中の【栄光の讃歌】が在ります。

出だしの、

天のいと高きところに~。

生涯、テッペンが見えないことを

この頃判るようになりました。

愚か者でも構いません。

それでも私はジャンプし続ける積もりです。

 

 

もう一度立ち止まる

歯肉を切開開いて、

骨と痛々しい歯の状況を

直接に確認した上で、

昨日、

とある患者さんに、

歯の残せないことをお伝えしました。

多数の歯です。

悲しくて、

悲しくてなりませんでした。

昼前の出来事です。

それから一時も頭から離れません。

53歳の女性です。

いくらなんでも、

総入れ歯は早すぎる!

なんとか出来ないモノかと。

事の大小を問わず、

私の仕事は、

悩みと、

考えること、

背中合わせの毎日です。

患者さんの症状が頭から離れることはありません。

フラリと、

暗い夜道に教会の尖塔が

車の窓越しに見えました。

ハンドルをターンし、

初めて訪れる教会のドアを

おそるおそる開きました。

マリアさまが居られたので、

カトリックの教会であることが判りました。

薄暗く、

冷たい礼拝堂の最後尾の椅子に腰掛けました。

どのくらいの間、

座っていたのかは覚えていません。

今朝、

思いたったのです。

昨日の患者さんに電話しようと。

できれば、

今日の最後の患者さんの後にでも

お越し頂きたいと。

もう一度、

指先にて丁寧に歯肉の感触を確かめよう。

もう一度、

もっと精密なレントゲン撮影方法を考えて、

丁寧に骨のとっかかりを探してみよう。

この患者さんは、

恐らく、

昨夜は悲しい想いで、

床に就いたに違いありません。

萎縮する骨の原因は、

患者さん自身に責任はありません。

歯科医師たる私は、

そう確信しています。

と言って、

現在の医学では、

歯の根の周囲を

いっぱいの骨で満たすことはできません。

考古学者が、

広大な砂漠から、

あるヒントに閃きを得て、

砂を丁寧に筆で払って、

太古の遺跡を顕にするようなもの。

それが、

このような患者さんに対する手当てだと。

受話器の向こう側から、

患者さんは仰いました。

必ず参ります。

私の能力を振り絞るのは、

今からだと、

ある覚悟を決めたのです。

最後の手前で、

もう一度立ち止まる。

それが必要な医師の慎重さだと。