もう一度立ち止まる


歯肉を切開開いて、

骨と痛々しい歯の状況を

直接に確認した上で、

昨日、

とある患者さんに、

歯の残せないことをお伝えしました。

多数の歯です。

悲しくて、

悲しくてなりませんでした。

昼前の出来事です。

それから一時も頭から離れません。

53歳の女性です。

いくらなんでも、

総入れ歯は早すぎる!

なんとか出来ないモノかと。

事の大小を問わず、

私の仕事は、

悩みと、

考えること、

背中合わせの毎日です。

患者さんの症状が頭から離れることはありません。

フラリと、

暗い夜道に教会の尖塔が

車の窓越しに見えました。

ハンドルをターンし、

初めて訪れる教会のドアを

おそるおそる開きました。

マリアさまが居られたので、

カトリックの教会であることが判りました。

薄暗く、

冷たい礼拝堂の最後尾の椅子に腰掛けました。

どのくらいの間、

座っていたのかは覚えていません。

今朝、

思いたったのです。

昨日の患者さんに電話しようと。

できれば、

今日の最後の患者さんの後にでも

お越し頂きたいと。

もう一度、

指先にて丁寧に歯肉の感触を確かめよう。

もう一度、

もっと精密なレントゲン撮影方法を考えて、

丁寧に骨のとっかかりを探してみよう。

この患者さんは、

恐らく、

昨夜は悲しい想いで、

床に就いたに違いありません。

萎縮する骨の原因は、

患者さん自身に責任はありません。

歯科医師たる私は、

そう確信しています。

と言って、

現在の医学では、

歯の根の周囲を

いっぱいの骨で満たすことはできません。

考古学者が、

広大な砂漠から、

あるヒントに閃きを得て、

砂を丁寧に筆で払って、

太古の遺跡を顕にするようなもの。

それが、

このような患者さんに対する手当てだと。

受話器の向こう側から、

患者さんは仰いました。

必ず参ります。

私の能力を振り絞るのは、

今からだと、

ある覚悟を決めたのです。

最後の手前で、

もう一度立ち止まる。

それが必要な医師の慎重さだと。