日別アーカイブ: 2017年11月28日

人がやらないことをする

人がやらないことをする。

振り返って観れば、

私の生き方は、

そのようなモノだったと思います。

他人から観れば、

とても効率の悪い生き方かもしれません。

しかし、

それは自惚れやプライドの高さとは

別の意味合いでの、

自信を得たように思います。

謙虚さは失ってはなりません。

しかし併せて、

自信を持つことも大切であると思います。

謙虚さと自信を

併せ持つこと。

そうでなければ、

私の仕事などのような

人の身体を触ることはできませんもの。

規則正しい生活と、

素直な物事の見方、

感謝の気持ちの

積み重ねが、

少しずつ

そのような自分を造るのだと思います。

選択枝が2つ在る時には、

困難で、

苦しい道を選ぶこと。

ある時から、

それが私の決定基準になりました。

物事の結論など、

誰にも判りません。

自分の人生です。

他人の手に委ねるのではなく、

自己責任を持つために、

自信を得ることは

とても大切な要素だと思うのです。

シンドイ作業

昨日のことです。

診療所の電話が鳴り響いていました。

宮田君が患者さんとのお話しの最中でしたので、

珍しく、

私が電話の受話器を採りました。

女性の方でした。

歯の根が折れて抜歯したのが2、3年前であるとのこと。

その後、

ブリッジにて治療なさったこと。

直ぐに外れるブリッジであること。

その方のお話しから、

状況を推察すると、

以上の様でした。

女性の申し出は、

インプラント治療を希望されて居られること。

で、

安いので1本幾ら?

が、

その方の関心の中心であることが

直ぐに判りました。

私は安易なインプラント治療を否定しています。

歯の根が折れて抜歯に至り

数年経過した上の前歯の骨の

悲惨な姿は、

CT撮影するまでもなく

骨を扱ってきた歯科医師なら

判らない筈はありません。

骨の幅を増大しなければ

インプラントを受け入れる余地はないでしょう。

また、

上の前歯の修復治療の長期の成功は、

奥歯のシッカリとした支持が必須です。

簡単に外れるブリッジしかできない歯科医師の

手に委ねられた患者さんの口腔の状況も

容易に想像できるのです。

木を観て森を観ず

と云う言葉が在ります。

治療においても同じこと。

この女性への返答ほど、

私を困らせるモノはありません。

丁寧に、

紳士の対応でと、

そう、

思っています。

できるだけ、

明確でないように、

インプラントではなく、

ブリッジも考えにいれて、

他の歯科医院へと、

誘うように、

注意しながら、

お話しさせて頂きつつ、

相手が受話器を置くように

進める。

コレは結構、

シンドイ作業なのです。

無心に綴る

歯科技工士さんや、

歯科衛生士さんからの声を聞き、

私の診療所へお越しになられる

患者さんが、

少なからず居られます。

私は、

患者さんをご紹介して頂いた

歯科技工士さんや、

歯科衛生士さんを知りません。

ですから、

余計に、

新しい出会いの際においては、

今でも、

緊張するのです。

その方たちの

お顔を潰せませんから。

新しい患者さんの大半の

お口を開けて頂いての

私の心内。

コレは困った!

呼吸を整えるのが常となりました。

自分の持つ

全知全能を傾けて、

丁寧に、

丁寧に、

壊れた咀嚼器官の修繕を

綴る。

ただ、

無心で、

修繕に、

自分を封入する。

それが私の毎日です。

 

内藤正裕先生のこと

若い歯科医師の先生方からの

相談が増えたからでしょうか?

最近、

師匠のことを

何時も

頭のど真ん中に置いて

過ごすようになりました。

私の歯科医師人生を決定的に変えて下さった師匠が、

内藤正裕先生です。

私の若い時分から

先生は

知る人ぞ知る、

歯科の名工と言われていました。

看板のない歯医者さん。

電話帳に電話番号を載せていない歯医者さん。

日本一高い歯医者さん。

当時の私には、

その程度の認識しかありませんでした。

大学院で指導を受ける新米歯科医師だった私は、

大学教授の治療が最高であると信じていました。

ですから、

私が生涯の師匠と仰ぐことになる

内藤先生の仕事に触れた瞬間の

驚愕の凄まじさは、

皆さんには想像できないほどに、

天地がひっくり返す位だったのです。

ど心臓を持つ私です。

一面識もないのにも関わらず、

私は先生の診療所のドアを叩いたのです。

東京の麻布の閑静な住宅街の

小さな超高級マンションに先生の診療所が在ります。

田舎者の私は、

銀座などの大きなビルのテナントに診療所があることが、

成功者の証であると信じていました。

ですから、

住宅街のマンションの一室にある歯科医院?

意外に感じたのは、

間違いなく、

私が田舎者の証です。

で、

私は診療所のあるマンションの周りを

何度も何度も

廻ります。

私でも緊張したからです。

マンションの入り口をくぐるにも

勇気を必要とするほどに、

超高級さを圧倒する【気】が放たれていました。

内階段を登り、

金属製の古いドアの横に

小さく、

内藤デンタルオフィスと、

英語表記されているだけに、

これまた、

私は驚愕したのです。

このドアを開いた後から、

私は生涯が変わるなどとは

考えもしませんでした。

今でも鮮明に覚えています。

ドアの向こうには、

歯科医院はありません。

小さな狭い空間は、

丁度、

ニューヨークのセントラルパーク周辺の

古い石の建物にある超高級アパートメントの

玄関空間を思い出したのです。

鼻髭を生やした、

糊の効いた半袖のワイシャツにネクタイ姿で、

ニコニコ顔で、

出て来られた先生との

最初の出会いから30年近く経ったのです。

私が目に見えない力を信じる訳の一つに

先生との縁を頂いたことが在ります。

レオナルド・ダ・ビンチを

万能の天才と呼ぶように、

私は先生をダ・ビンチと

重ねて観ています。

先生の能力と知識、

そして探究心の旺盛なる人を

私は今でも知りません。

先生と同じ時代に生きたことを

私は誇りに思っています。

私の技量、知識のほどは、

今でも、

先生の足元にも及びません。

そういう意味合いにおいては、

ダ・ビンチの言葉通り、

師を凌駕できない弟子は不幸である

と云う代表格が私だと思います。

ただ、

面識ある無しし関わらず、

歯科医学を愛する者への

温かい迎えの精神だけは、

先生と同一レベルできる

唯一の手段であると思いたち、

若い歯科医師の先生方と接しています。

 

 

 

時代の名機

日常の治療の過程を

写真撮影して記録することが、

当たり前になったのは、

大学院生時代の

指導教官からのキツイ指導の賜物であることは

間違いありません。

治療の際には、

見えている積もりであったにも関わらず、

あとから、

見落としていることに、

気づくキッカケになったのが、

治療の写真記録です。

見えるものと、

診えるモノの違いに気づいたのです。

数年前からデジタルカメラの時代になりました。

シャッターを押した瞬間に、

画像が確認できることほど便利なモノはありません。

私の写真も、

デジタルカメラによるモノになりました。

レンズのトラブルにて、

ある日、

その日の治療の記録が出来ないことに

成りかねない状況に陥りました。

で、

棚の中に仕舞いこんで、

眠っていたメディカルニッコールを思い出したのです。

このカメラとレンズは、

当時の医学、歯学の世界においては、

記録する手段の道具としては

絶対的に安心して使えると

評価されていた名機です。

非常に高価なレンズでした。

20代後半の頃、

大学院生の私は安定した収入がありませんでした。

夜間診療と休日診療のアルバイトにて、

暮らし向きをたてていたのです。

この名機を購入するに際して、

大学の歯科材料屋さんから、

月賦払いにして貰ったのです。

アルバイトの翌日に、

手当ての一部を持って材料屋さんへと支払いに行く。

これが私の週ごとの

決まりごとになりました。

懐かしい思い出です。

それ後、

私の診療生活とメディカルニッコールは

切っても切れない間柄になりました。

その関係の終わりは、

デジタルカメラの出現によって訪れたのです。

数年降りに、

思いたったかのように、

眠りから起こされたメディカルニッコール。

彼にとっては

迷惑、勝手な奴と云うことでしょう。

デジタルカメラとメディカルニッコールの相性を考えず、

私は両者をドッキングしたのです。

で、

驚愕し、

デジタルカメラの便利さに感心すると共に、

当時の自分のシャッターボタンを押すと云う

単純な行為ですが、

そのことに懸けるエネルギーを思い出したのです。

両者は見事に適合しました。

デジタルカメラでは決して得られない、

大拡大の画像が、

眼前に拡がったのです。

が、

その画像を得るためには、

シャッターボタンは決して気軽に押せないと云う

絶対的なタイミングが必要であったのです。

私の毎日の診療は、

マイクロスコープによる大拡大でのスタイルが

普通になりました。

マイクロスコープ付属のデジタルカメラでの撮影も

慣れっこになっていたのでしょう。

しかし、

時代の名機の画像は、

時代の最先端のモノを

遥かに凌駕していたのです。

私の診療代の横には、

歯科用デジタルカメラと、

大きなバッテリーボックスと長いコードの附いた

メディカルニッコールが置かれるようになったのです。

歯科治療の際しても同じこと。

新しい治療が、

より優れているとは思いません。

そんなことを

再認識させてくれた

時代の名機がメディカルニッコールです。