内藤正裕先生のこと


若い歯科医師の先生方からの

相談が増えたからでしょうか?

最近、

師匠のことを

何時も

頭のど真ん中に置いて

過ごすようになりました。

私の歯科医師人生を決定的に変えて下さった師匠が、

内藤正裕先生です。

私の若い時分から

先生は

知る人ぞ知る、

歯科の名工と言われていました。

看板のない歯医者さん。

電話帳に電話番号を載せていない歯医者さん。

日本一高い歯医者さん。

当時の私には、

その程度の認識しかありませんでした。

大学院で指導を受ける新米歯科医師だった私は、

大学教授の治療が最高であると信じていました。

ですから、

私が生涯の師匠と仰ぐことになる

内藤先生の仕事に触れた瞬間の

驚愕の凄まじさは、

皆さんには想像できないほどに、

天地がひっくり返す位だったのです。

ど心臓を持つ私です。

一面識もないのにも関わらず、

私は先生の診療所のドアを叩いたのです。

東京の麻布の閑静な住宅街の

小さな超高級マンションに先生の診療所が在ります。

田舎者の私は、

銀座などの大きなビルのテナントに診療所があることが、

成功者の証であると信じていました。

ですから、

住宅街のマンションの一室にある歯科医院?

意外に感じたのは、

間違いなく、

私が田舎者の証です。

で、

私は診療所のあるマンションの周りを

何度も何度も

廻ります。

私でも緊張したからです。

マンションの入り口をくぐるにも

勇気を必要とするほどに、

超高級さを圧倒する【気】が放たれていました。

内階段を登り、

金属製の古いドアの横に

小さく、

内藤デンタルオフィスと、

英語表記されているだけに、

これまた、

私は驚愕したのです。

このドアを開いた後から、

私は生涯が変わるなどとは

考えもしませんでした。

今でも鮮明に覚えています。

ドアの向こうには、

歯科医院はありません。

小さな狭い空間は、

丁度、

ニューヨークのセントラルパーク周辺の

古い石の建物にある超高級アパートメントの

玄関空間を思い出したのです。

鼻髭を生やした、

糊の効いた半袖のワイシャツにネクタイ姿で、

ニコニコ顔で、

出て来られた先生との

最初の出会いから30年近く経ったのです。

私が目に見えない力を信じる訳の一つに

先生との縁を頂いたことが在ります。

レオナルド・ダ・ビンチを

万能の天才と呼ぶように、

私は先生をダ・ビンチと

重ねて観ています。

先生の能力と知識、

そして探究心の旺盛なる人を

私は今でも知りません。

先生と同じ時代に生きたことを

私は誇りに思っています。

私の技量、知識のほどは、

今でも、

先生の足元にも及びません。

そういう意味合いにおいては、

ダ・ビンチの言葉通り、

師を凌駕できない弟子は不幸である

と云う代表格が私だと思います。

ただ、

面識ある無しし関わらず、

歯科医学を愛する者への

温かい迎えの精神だけは、

先生と同一レベルできる

唯一の手段であると思いたち、

若い歯科医師の先生方と接しています。