日常の治療の過程を
写真撮影して記録することが、
当たり前になったのは、
大学院生時代の
指導教官からのキツイ指導の賜物であることは
間違いありません。
治療の際には、
見えている積もりであったにも関わらず、
あとから、
見落としていることに、
気づくキッカケになったのが、
治療の写真記録です。
見えるものと、
診えるモノの違いに気づいたのです。
数年前からデジタルカメラの時代になりました。
シャッターを押した瞬間に、
画像が確認できることほど便利なモノはありません。
私の写真も、
デジタルカメラによるモノになりました。
レンズのトラブルにて、
ある日、
その日の治療の記録が出来ないことに
成りかねない状況に陥りました。
で、
棚の中に仕舞いこんで、
眠っていたメディカルニッコールを思い出したのです。
このカメラとレンズは、
当時の医学、歯学の世界においては、
記録する手段の道具としては
絶対的に安心して使えると
評価されていた名機です。
非常に高価なレンズでした。
20代後半の頃、
大学院生の私は安定した収入がありませんでした。
夜間診療と休日診療のアルバイトにて、
暮らし向きをたてていたのです。
この名機を購入するに際して、
大学の歯科材料屋さんから、
月賦払いにして貰ったのです。
アルバイトの翌日に、
手当ての一部を持って材料屋さんへと支払いに行く。
これが私の週ごとの
決まりごとになりました。
懐かしい思い出です。
それ後、
私の診療生活とメディカルニッコールは
切っても切れない間柄になりました。
その関係の終わりは、
デジタルカメラの出現によって訪れたのです。
数年降りに、
思いたったかのように、
眠りから起こされたメディカルニッコール。
彼にとっては
迷惑、勝手な奴と云うことでしょう。
デジタルカメラとメディカルニッコールの相性を考えず、
私は両者をドッキングしたのです。
で、
驚愕し、
デジタルカメラの便利さに感心すると共に、
当時の自分のシャッターボタンを押すと云う
単純な行為ですが、
そのことに懸けるエネルギーを思い出したのです。
両者は見事に適合しました。
デジタルカメラでは決して得られない、
大拡大の画像が、
眼前に拡がったのです。
が、
その画像を得るためには、
シャッターボタンは決して気軽に押せないと云う
絶対的なタイミングが必要であったのです。
私の毎日の診療は、
マイクロスコープによる大拡大でのスタイルが
普通になりました。
マイクロスコープ付属のデジタルカメラでの撮影も
慣れっこになっていたのでしょう。
しかし、
時代の名機の画像は、
時代の最先端のモノを
遥かに凌駕していたのです。
私の診療代の横には、
歯科用デジタルカメラと、
大きなバッテリーボックスと長いコードの附いた
メディカルニッコールが置かれるようになったのです。
歯科治療の際しても同じこと。
新しい治療が、
より優れているとは思いません。
そんなことを
再認識させてくれた
時代の名機がメディカルニッコールです。