日別アーカイブ: 2017年11月13日

取り柄

午前から2時過ぎまで、

ずっとセラミック修復。

お昼休みなしで、

続いて、

総入れ歯の治療。

今は午後の5時前ですが、

今からインプラントの上部構造としての

メタルボンドクラウンの試適です。

治療に従事できることを幸せだと感じています。

それしか私には

何の取り柄もありませんから。

もう悪さはできませんね?

騒々しい羽田空港の出発ゲートを過ぎ、

立ち食いの中華そばが出来上がるのを待つ私の後ろから、

三枝先生ですか?

と声をかけられ、

振り向けば、

真面目そうな1人の青年が立っていました。

???

先ほどの講演会に居りましたと、

私の目を真っ直ぐに観て自己紹介する青年は、

爽やかな歯科医師でした。

なんでも私の日々のブログも観て下さっておられるとの事。

気恥ずかしい想いになりました。

最近、

このようなシチュエーションが多いのです。

学生時代に私の講義を受けたとか、

実習の際に叱られたとか。

歳をとったんですね。

私は若い歯科医師を心から応援しています。

歯科医学の門を叩いて、

この道を一生の仕事と選んだ若者に

心からエールを送っています。

少しでも若い歯科医師のお役にたつことが、

師匠への恩返しでもあるからです。

いつでもいらっしゃいと。

搭乗のアナウンスの中、

ゲートへ駆け走る若者の姿に

美しいと感じたのです。

 

 

恵まれた者

待ち合わせの際には、

其処が初めての場所であれば、

1時間は前に、

勝手知った処であれば、

15分前には、

と云うのが、

青年期に大人の男たちから

躾られて、

身についた習慣となりました。

師匠とご一緒させて頂く際には、

勝手知ったる場所であろうが無かろうが、

1時間前には、

それが弟子の所作だと思っています。

土曜の朝、

講演会場に到着した師匠の笑顔に

私は心が温まります。

おう!

左手をポケットに、

右手を挙げての何時ものスタイルでの挨拶に、

私はお辞儀をしてお迎えさせて頂きます。

これも、

25年の何時もの光景です。

内藤先生と言えばクラッシック.ジャガーやモーガンが有名ですが、

普段の足としてお使いの、

メルセデスのワゴンから大きな荷物を取り出して、

三枝君!

これでどうだい!

気に入ったか?

大工のヨゼフだ。

来年の春、

復活祭の日に洗礼を受ける私は、

クリスチャンネームを先生にお願いしたのです。

描かれた絵は、

イエスキリストのこの世での父、

聖母マリア様の夫である、

大工のヨゼフでした。

先生のご母堂様のご母堂様の描かれた絵です。

画家の血筋を

先生の歯学の中に感じます。

先生の歯学が芸術の域に達している大きな要因だと

日頃から秘かに、

師匠のお祖母様に興味を持っていたのです。

うん。

そうか。

その顔は気に入った顔だな。

これやるよ!

綺麗に手当てして送ります。

で、

名前はヨゼフ。

こっちは歯の大工だからな。

30過ぎた頃から、

何につけ、

暖かい眼差しで、

接して下さった師匠の気持ちに、

ますます佳い歯科医師であろうと、

決意新たに、

もっと、もっと、

励みましょうと、

感極まり、

言葉になりませんでした。

 

心配り

土曜の夜。

食事会のあと、

師匠がレストランから出るのを

後ろ姿が見えなくなるまで、

直立不動の姿勢で見送り、

さぁ、ホテルで寝るかぁ!

と、

帰宅準備に勤しむ私のコートの袖を引っ張るのは。

師匠の診療所で長年、

歯科衛生士として師匠のキャディを務める田中女史でした。

先生、ズルいぞ!

次、行くぞ!

普段は淑女の見本のような女史は、

虎,

もしくは、

大阪のオバチャンと化していたのです。

このような際に、

私は頼りないのです。

すがるような目で、

吉祥寺開業の小出医師に助けを求める私。

なんせ、

都内のど真ん中。

私は今自分が居る所在さへも知らないのですから。

受付嬢である高井女史は落ち着いた方で、

ご一緒して下さるとの事にて、

私と小出医師は、

師匠のヤンチャを真っ直ぐに引き継いだ

じゃじゃ馬女史にリードされ、

夜の巷へと出でたのです。

青山の上品なビルの細い階段を地下へと下り坂、

上品な戸を開き、

田中女史の店選びの眼力に

騒ぐ本人を他所に、

視る眼があるなと、

見直したのです。

酒も付きだし、肴も、

佳い仕事でした。

こういう佳い店は、

呑む側の気持ちをも変化させてくれます。

内藤先生のスタッフを日頃から

尊敬しつつ、

困った時には皆で助けて下さり、

私が一目置く、

数少ない【歯の仕事人】たちとの時間を

わざわざ作って下さった田中女史には、

その心配りに感謝したのです。

夜が更けるころ、

田中女史の肩を叩いて、

オバチャン、オバチャンと呼んで、

笑っている私が、

其処に居たのです。