日別アーカイブ: 2017年2月22日

男と女

母性は女性だけが持つ特権です。

また父性も、

男性だけが持つ特権です。

この相互理解は無意味だと考えています。

相互に尊重すべき事象と、

理解し実践する事は大きく異なります。

私は男です。

男にしか出来ない事に一生懸命勤しむべきと考えています。

草食男子を私は理解出来ませんし、

私はなれません。

ある種の強引さは、

男の特殊性だと考えています。

それと女性特有の厚かましさは別物です。

女性が母性の研究する意味を感じませんし、

男が母性の勉強など、

私には到底出来ません。

多くの方を観て来ましたが、

品格のある精神的行いにて【生きる】を実践したいと、

私は考えています。

父娘

院長室のデスクの向かい側のサイドボードの上に

1枚の写真を入れた額縁を飾っています。

治療で疲れた眼を、

デスク上から放して休めると、

この写真が視界に入ります。

今は社会人となった娘が中学に上がる前の

春休みに二人してスウェーデンへと出かけた時の社会です。

この旅が父娘最後の旅となりました。

誇らしげに並ぶ娘の姿に、

私は心が熱くなります。

あれから随分と年月が経ちました。

この娘とは異なる母親との間にもうけた娘が、

この春、

中学へと上がります。

不思議なモノで、

この二人の娘は顔も好みも瓜二つなのです。

ですから彼女らの想いとは別に、

私の遺伝子を強く受け継いでいるのだと思います。

どちらの娘も、

幸せな一生を送って貰いたいと願うのは、

私も普通の父でしかない証だと思います。

娘の側は、

これからも私の1番の批判者になる事でしょう。

私は娘からの批判は好んで受ける積もりです。

男心が理解できるには、

相当な苦労と辛酸を味わなければなりませんから。

娘には、

そのような利発者にはなって欲しいとは思いません。

苦労して欲しくない。

それが娘に願う父の本音ですから。

耐える心

頑張ったけれども駄目だったと云う言い訳を頻繁に耳にします。

食べてゆく為には仕方がなかったと云う台詞がオマケとして付随します。

土地柄できないと云う自己診断の基に。

コレは何れも歯科医師から聞く台詞です。

言い訳無用と云う台詞が在ります。

馬鹿ならば徹底的に馬鹿になれ。

脇目を振らずに馬鹿になれ。

全エネルギーを一点に集中させて、

高エネルギーレーザー光線のように、

鉄板に孔を空けるほどの気力で以て、

そうでないと、

ひとかどの仕事人にはなれませんし、

特に専門職とは、

そう云う性質をはらんだ職業です。

傍目からすれば良い境遇に在ると観えるのでしょう。

が、

出来ない事をしてきたのは、

耐えたからです。

私が息子に胸を張れるのは、

歯の事全般知りたくて、

耐えて他を犠牲にしてきた事だけです。

 

果報者

私はアリガタイ事に大勢の患者さんと云うファンに支えられています。

本来私の方が患者さんに気を配るべきなのですが、

多くの患者さんが何時も私を見守ってくれています。

本来にありがとうございます。

この土曜日にスタッフの宮田君が嫁ぎます。

娘を嫁がせる父親の気持ちを味わっています。

当日、タキシードにて見届けたいと思います。

患者さんも宮田君の晴れの日を共に喜んで下さり、

お祝いのお品を頂戴します。

宮田君は幸せな歯科衛生士だと思います。

今日も患者さんからのご紹介の新しい患者さんがお越しになられます。

この様な患者さんに私の診療所は支えられています。

治療の難しい症例ばかりですが、

私にとっては、

幼児に玩具の様なモノです。

難しい症例ほど、

私は嬉しくて堪りません。

私は果報者です。

決めた事

私の最大の武器だと思います。

純粋に、

歯科医学の道に身を沈めている事が。

職業歯科医師には到底できない青臭さだと思います。

青臭さくても構いません。

私は少年心を失いたくありません。

真っ直ぐに歯科の王道を歩くと、

決めた事ですから。

 

私の願い

私は歯科医師であって本当に良かったと、

今更ながら自分の軌跡を振り返って、

そう感謝しています。

学問と仕事の両立に一端の矛盾の無い職業だからです。

また歯科医学の特殊性から、

座学だけでは到底、解決できない応用力を

必要とする職業だからです。

私は自由人です。

自分の流儀が既に確立できている年齢に達しています。

ですから私は歯科医学の研鑽が自分の定めだと信じて止みません。

若者には、

自分の信じる道を見つけて貰いたいと思います。

一端道を定めたならば、

脇目を振らずに、

前へ前へとひたすらに進む素直さと、愚鈍さを、

身につけて欲しいと思います。

舗装された道のりより、

砂浜を波に脚を捕られながらも、

歩いて欲しいと思います。

振り返って観れば、

歩いた足跡だけは残っているからです。

18の歳で私は歯科医学の道に入りました。

明日で私は54の歳になります。

築き上げ残したモノと言えば、

財産ではありません。

歯の声が聴こえると云う第6番目の感覚を得た事です。

私はこの為にだけ、

36年の年月を費やして来ました。

その収穫を天に感謝しています。

私は残された人生の時間を

患者さんに尽くしたいと考えています。

得られた第6番目の感覚を武器に、

患者さんの病と戦いたいと切望しています。

私の願いは、

ただそれだけです。

 

医療人の義務

学問の実践の継続と、受験勉強は全く別物です。

また学問と仕事の融合の実践もまた、

現実的には困難な道程です。

私らの職業に於いては生涯研修と云う言葉を頻繁に耳にします。

生涯研修と学会、研修会への参加とはコレも全く別物です。

仕事の意味、

コレは単に所得、収入を得る手段ではありません。

仕事を通して自己を鍛え、

社会への貢献して初めて、

仕事をしたと言えるのだと思います。

サラリーマンとビジネスマンの違いとも言えるでしょう。

私らの職業は特に人の大切な身体を手当てすると云う

特殊性を持っています。

この特殊性故に私らは、

酷しい道を常に選択する義務が在ります。

義務と自己希望とは違います。

好んで勉学に勤しむのではなく、

私らは、義務として勉学に勤しむ定めに身を置いています。

その辺りを医療人は忘れてはなりません。