映画の【ゴットファーザー】は、
パート1から3まで、
何度も何度も繰り返し観たくなる名作です。
ラストシーンでの
椅子に腰掛けたる引退後のドン.コルリオーネが
午睡のなかで生涯を終えた映像は
この映画を不動のモノに仕上げました。
私も、
かく終わり方をしたいと。
老老介護と云う言葉を耳にして久しくなりました。
私の周りでも、
その様な境遇を頻繁に目にします。
幼い頃の自分と親の関わりが
瞼に残っているからこそ、
介護する責任を重く自覚するのだと思います。
が、
老いは残酷なモノです。
痴呆症となれば、
その程度は一層顕著です。
穏やかな痴呆症は幸運な方で、
多くの方は、
怒り激しい痴呆症を呈する様です。
ご本人には自覚ありませんから、
罪はありません。
が、
家族には残酷この上ありません。
私は数年以上前に、
諦めました。
自分の親で在りながら、
身体から心が抜け出したと、
そう思い納得させました。
他人目には判りませんから、
初期は余計に困惑しました。
口から出る台詞は私の悪口、暴言ばかり。
身に覚えのない事も言われ続けられ、
最後には他人に吹聴し廻る始末に
怒りを通り越し、
途方にくれました。
五臓六腑と四肢が丈夫でしたから、
余計に始末が悪かった。
親が息子の風評被害の種になったのです。
悲しい話しですが、
これは実際の私の体験談です。
私は決意して、
関わりを絶ちました。
介護できるのは、
まだ幸せだと思います。
ただ私は、息子には迷惑をかけたくありません。
先の映画のラストシーンのように、
枯れる様に終わる。
それが生きる時間、
精一杯頑張った事への
神さまからのご褒美だと思います。