休める時に休んでおこう!
と、
最近になって気持ちに余裕が生じた様に思います。
まだ頁を開いていない書物や、
自動車の整備、
映画を観たり、
犬たちと出かけたり。
普段、気持ちを張り積めて仕事していますから。
ノンビリする事も大切だと。
休める時に休んでおこう!
と、
最近になって気持ちに余裕が生じた様に思います。
まだ頁を開いていない書物や、
自動車の整備、
映画を観たり、
犬たちと出かけたり。
普段、気持ちを張り積めて仕事していますから。
ノンビリする事も大切だと。
毎年、新しい具体的な目標を創り、
チャレンジする習慣を自分に課せたノルマとしたのは
私が42歳の年でした。
今年は仕事の拠点を、
今まで通りの高松市と新潟市に加えて、
神戸にも、と。
で、
芦屋近郊に住まいを手当てしたのです。
閑静な住宅街の光景は、東京田園調布を凌駕するほどにて、
と、云っても其れはあくまでも周囲の他人の住まいですが。
坂と木々と川在る土地の風は、
今後の私の仕事のモチベーション向上に役立ってくれる事と
大いに期待しています。
今では成人した息子が高校1年の頃に誘われて、
矢沢永吉さんのコンサートへと出向いた事は、
私には大きな刺激となりました。
矢沢永吉さんがキャロルのボーカルとして売り出した頃は、
私が中学1年の頃でした。
私が日頃から馬鹿にしていた不良グループは、
皆が示し合わせた様に、
鞄の底の両端を針金で縛って、
薄い鞄の形状を保ち、
決まって矢沢永吉さんのステッカーを貼っていたのが印象的でした。
ですから、
不良の教祖が矢沢永吉さんだと、
私はその様に信じこんでいたのです。
コンサートの雰囲気も、
他の歌い手のモノとは大きく異なるのにも、
最初の印象は決して良いモノではありませんでした。
が、
コンサートを観つつ、
私は大いに反省したのです。
手の先まで、
瞳の動き1つをとっても、
全て計算され尽くした上での、
どれ程までリハーサルを積んだのででょう?
と、プロならば判る凄まじさを
私はひしひしと感じて圧倒されたのです。
新しい患者さんへのコンサルテーションが在ったので、
ちょうど良い機会だと、
たまたま応援に来院されて居られた歯科技工士さんに
見せて差し上げました。
人工歯を直接造る歯科技工士さんにとって、
私が、
どのように患者さんと接しているのかを
知って頂く良い機会だと。
上顎の第1大臼歯を
残すべきか?
抜くべきか?
と云う岐路に立たされた正にその時でした。
で、
抜いた後の治療は?
そのドキュメントを歯科技工士さんに見せて差し上げました。
治療方法の決定においては、
より客観的に!より客観的に!
と教育を受けます。
其れは大いなる綺麗事だと思うのです。
専門家である私は、
儲けなど一切、頭の中には置かずに、
私自身が1番良いと信じる治療方法を提示しています。
インプラントよりもブリッジが良いと感じたならば、
ブリッジの治療を自信を持って提示します。
逆に、
この症例は絶対にインプラントだ!
と、判断した際には、
一生を背負う覚悟でもって、
インプラント治療を提示しています。
其処には駆け引きなどありません。
私は、
患者さんの治療に関しては、
正直で在り続ける積もりです。
その後、
歯科技工士さんには想う処が在ったのででょう。
グンと、
距離が縮まるのを感じたからです。
昨日の歯科技工士さんたちが、
私に敬意を払って下さるのにはアリガタイと、
しかし私からすれば、
50の半ばになりますが、
心は青春期から変わっては居りません。
大学1年の頃、
ジャスコの屋上へ行きました。
その頃売り出し初めの中森明菜さんが
デビュー曲のプロモーションのために
来場していることを知っていたからです。
友人と共にジャスコの屋上にて、
大きく手を振ったあの頃を懐かしく想うのです。
俳優の仲村 通さんの御妻君である女優の鷲尾いさ子さんの実家は、
新潟市のお米屋さんです。
これもミーハーの友人から誘われ、
お米を買いに出向き、
店先から奥の居間がチラリと見えるので、
背伸びしつつ、
覗き見する私たちは何と滑稽であったかと。
好奇心の塊であった私は、
エネルギーを持て余しながら、
今日に至っているのです。
この旺盛なる好奇心が【歯】の方へ向いたのは、
同級生の両親であった群馬県前橋市開業の浅見先生御夫妻のお蔭です。
父上である浅見裕 先生は入れ歯の大家であり、
母上である浅見 保子先生は根管治療の大家で在りました。
1人息子の友市郎君は、この類い稀なる恵まれた環境を
当時は全く活かされず、
私から大いに影響を受けた遊びに夢中となり、
其れを案じたご両親が頻繁に私らの
軌道修正に苦心されて下さった事が、
私の運が開く事のキッカケとなったのです。
両先生のお蔭でもって、
著明な歯科医師の先生方の目に止まる機会が出来た事は
とても幸運でした。
当の友市郎君も今では立派な学者と成長されたのは、
間違いなくご両親から受け継いだ優秀なDNAの賜物でありましょう。
学生諸君や業界の人の前では
無理して作った眉間に皺の私らですが、
二人キリになれば、
ウッシッシ!
と、
ヤンチャ坊主への舞い戻るのです。
本来の私らは、
身体は大人、心は幼児といった処でしょう。
ですから、
余り大袈裟に想わんでください。