今では成人した息子が高校1年の頃に誘われて、
矢沢永吉さんのコンサートへと出向いた事は、
私には大きな刺激となりました。
矢沢永吉さんがキャロルのボーカルとして売り出した頃は、
私が中学1年の頃でした。
私が日頃から馬鹿にしていた不良グループは、
皆が示し合わせた様に、
鞄の底の両端を針金で縛って、
薄い鞄の形状を保ち、
決まって矢沢永吉さんのステッカーを貼っていたのが印象的でした。
ですから、
不良の教祖が矢沢永吉さんだと、
私はその様に信じこんでいたのです。
コンサートの雰囲気も、
他の歌い手のモノとは大きく異なるのにも、
最初の印象は決して良いモノではありませんでした。
が、
コンサートを観つつ、
私は大いに反省したのです。
手の先まで、
瞳の動き1つをとっても、
全て計算され尽くした上での、
どれ程までリハーサルを積んだのででょう?
と、プロならば判る凄まじさを
私はひしひしと感じて圧倒されたのです。