昨日の歯科技工士さんたちが、
私に敬意を払って下さるのにはアリガタイと、
しかし私からすれば、
50の半ばになりますが、
心は青春期から変わっては居りません。
大学1年の頃、
ジャスコの屋上へ行きました。
その頃売り出し初めの中森明菜さんが
デビュー曲のプロモーションのために
来場していることを知っていたからです。
友人と共にジャスコの屋上にて、
大きく手を振ったあの頃を懐かしく想うのです。
俳優の仲村 通さんの御妻君である女優の鷲尾いさ子さんの実家は、
新潟市のお米屋さんです。
これもミーハーの友人から誘われ、
お米を買いに出向き、
店先から奥の居間がチラリと見えるので、
背伸びしつつ、
覗き見する私たちは何と滑稽であったかと。
好奇心の塊であった私は、
エネルギーを持て余しながら、
今日に至っているのです。
この旺盛なる好奇心が【歯】の方へ向いたのは、
同級生の両親であった群馬県前橋市開業の浅見先生御夫妻のお蔭です。
父上である浅見裕 先生は入れ歯の大家であり、
母上である浅見 保子先生は根管治療の大家で在りました。
1人息子の友市郎君は、この類い稀なる恵まれた環境を
当時は全く活かされず、
私から大いに影響を受けた遊びに夢中となり、
其れを案じたご両親が頻繁に私らの
軌道修正に苦心されて下さった事が、
私の運が開く事のキッカケとなったのです。
両先生のお蔭でもって、
著明な歯科医師の先生方の目に止まる機会が出来た事は
とても幸運でした。
当の友市郎君も今では立派な学者と成長されたのは、
間違いなくご両親から受け継いだ優秀なDNAの賜物でありましょう。
学生諸君や業界の人の前では
無理して作った眉間に皺の私らですが、
二人キリになれば、
ウッシッシ!
と、
ヤンチャ坊主への舞い戻るのです。
本来の私らは、
身体は大人、心は幼児といった処でしょう。
ですから、
余り大袈裟に想わんでください。